第3回純保険主義化の下での受療権侵害
本来、保険制度の広域化は何を目指すものか
国民健康保険が保険制度の形式を採っている以上、保険者規模の拡大はリスク分散によって財政基盤を安定させる効果がある。保険制度の一元化・広域化を進める理由は、本来、他に見当たらないはずである。
京都府内には26の市町村国保が存在する。だが京都市国保は被保険者数約36万人と巨大であり、最も被保険者数が少ない町の約480人と、格差が大きい※1。
財政規模の小さい国保は、高額な保険給付が発生すると、保険財政を圧迫。構成上、保険料が急激に高騰する。市町村国保の「構造問題」の一つである。
この問題を緩和すべく、2006年10月から「高額医療費共同事業」(1人1カ月80万円超医療費)、「保険財政共同安定化事業」(同30万円超、但し15年からは1円以上が対象)が実施されてきた(図1)。
これらは、同一都道府県内の保険者同士の「財政調整」で、小規模保険者の負担減を図るものである。前者は国・都道府県・市町村の拠出により、後者は市町村の互助で実施されている。後者の対象医療費が「1円以上」に拡大されたことで、国保財政の「出」の部分は、事実上都道府県化した。
ただし、これらの仕組みは不十分さが指摘されている※2。
①国民健康保険税(料)は各市町村で決定するため、県内市町村で格差がある(必ずしも適切な保険料(税)の改定につながらない)
②一般会計法定外繰入等(赤字)の解消にはつながらない
③県内市町村の所得格差が反映されない仕組みとなっている(所得に対する負担の調整がされない)
18年度からの国保都道府県化における「納付金」・「交付金」と「標準保険料率」の仕組み(本紙2971号にて既報)は、今紹介した財政調整の仕組みを基盤とし、さらに不十分と指摘された点を踏まえて発案されたものと考えられる。
(図1)の「拠出金」を「納付金」に置き換えるだけで、(図2)の新たな財政構造と近似したものとなる。
新制度では都道府県が、各市町村の納付金を算定するにあたり、これまで保険財政共同安定化事業の拠出金算定が、医療費実績50:被保険者数50を原則としていたのに加え、「所得」が反映されることになった。
さらに、保険料率決定は引き続き市町村に委ねる一方、全国一律の算定式に基づく「標準保険料率」が示され、市町村が採用するように誘導する。すると法定外繰入が排されることにもなる。
なぜ、市町村を保険者に残し、統一保険料へ直ちに移行しないか
だが、今回の国保都道府県化にあたり、①に記した「県内保険料」格差是正の捉え方や、解決の方向性について、国の立ち位置は変化している。
保険料の地域格差是正が論理的に正しいとすれば、同一所得でも、居住地域が違うと保険料に差異が生じるのはおかしい、という点に尽きる。同一所得に占める公租公課割合に差異が生じれば、法の下の平等に抵触し、生存権保障に足る所得水準ラインに違いが生ずる(=生命の格差)恐れがあるからだ。
そう考えると、国にとっての国保都道府県化の主目的が保険者規模の拡大によるリスク分散(構造問題の解決)であれば、市町村を保険者に残す必要はなく、保険料算定方法の統一も一気呵成に目指してもおかしくなかったはずだ。
だが、国の目指す方向は、リスク分散や法の下の平等には向かっていない。
それを如実に表したのが、経済財政運営と改革の基本方針2015が「国民健康保険料に対する医療費の地域差の一層の反映」を求めたことである(本紙2976号にて既報)。
確かに、厚生労働省保険局長通知「国保事業費納付金・標準保険料率の算定方法(ガイドライン)」には、「将来的には、都道府県での保険料水準の統一を目指」すと明記。直ちに目指さない理由として、医療費水準・保険料水準の差異や「被保険者が受けられる医療サービスに見合わない保険料負担にならないよう」にする配慮と書かれている。つまるところ、たとえば医療資源格差(医師不足・偏在等)が厳然とあるのに、保険料水準が揃えられたら、医師不足地域の保険料水準が従来よりも引き上がってしまう。これは理解が得られないだろう、という訳である。ここまでなら冷静な政策判断と評価しても良さそうだが、ガイドラインは次のようにも書いてある。「市町村の医療費適正化機能が積極的に発揮」「将来的には都道府県内での保険料水準統一をめざし、都道府県の各地域で提供される医療サービスの均質化」を進める。
これを読むと、国がただちに保険料率水準の統一を求めないのは、「法の下の平等」や被保険者への配慮に主眼があるわけではないとわかる。むしろ、都道府県間・市町村間の医療費の差異がいっそう際立つ、最近頻繁に使用される造語でいえば「見える化」である。
「見える化」から純化した保険主義へ
保険料に医療費の地域差をダイレクトに反映させ、嫌なら医療費を抑制せよ(地域の医療費格差を是正せよ)というやり方は、リスク分散のための財政調整システムとは真逆の発想といえる。使った分は被保険者が負担する=受益者負担原則の強調であり、より純化した保険主義へ向かうものである。となると法定外繰入の解消を執拗に求めるのも、医療費の地域間格差解消のインセンティブを与えるのに必要な「痛み」がやわらげられてしまうからなのかもしれない。
国は、広域化によるリスク分散という本来期待するべき効果よりも、「医療費の地域差」縮小を競わせる仕組みづくりの方に重きを置いて、今回の都道府県化を設計した。
そう考えると、国が「広域化」や「一元化」なる言葉を、ほとんど使わなくなったのも理解できる。
保険主義強化が人命を蹂躙し、奪っている
国保制度の純保険主義化の流れはすでに強まっていた。例えば、保険料を滞納した人は保険証を返還させられ、代わりに資格証明書が交付されると10割負担になり、事実上医療にかかれなくなる。これなど剥き出しの保険主義である。
昨今、拡大しているのが「滞納処分」(国保法第80条)、すなわち財産差し押さえである。
2014年度、京都府内の国保滞納世帯が46,225件のうち、財産差し押さえが4,317件で9.3%。実に滞納している人の10人に1人が何らかの差し押さえを受けたことになる。総額1,035,478,470円※3である。
「サラ金より酷い!国保料非情取り立ての実態」を告発したサンデー毎日(2016年3月6日)には、預貯金、不動産にとどまらず、年金や生命保険、子どものための学資保険が差し押さえられ、強制解約させられる事例も紹介されている。
滞納処分は、保険料未払いを理由に、医療を奪うだけでなく、生活を破壊する。国保行政は社会保障行政であり、市町村は保険料を滞納する市民と面談し、払えない事情を聴き、生活に寄り添って対策をともに考えるのが本来の在り方である。にもかかわらず、京都でも賦課徴収業務の一部を共同で実施する組織である広域連合「京都税機構」がつくられ、市町村自らが滞納処分をする痛みからも解放されている。
毎年「経済的事由による手遅れ死亡事例調査」を実施している全日本民主医療機関連合会は、15年に「お金がなく受診できず」63人が手遅れで亡くなったと報告した。京都でも2人の犠牲が確認されているという。
受療権侵害を食い止め、抜本的な国保改革を
2018年度からの国保都道府県化は、制度開始以来の最大の改革となる。
この大改革が、国保被保険者の生存権保障でなく、医療費抑制策の主翼として設計されたことは、重大である。
本来、今なされるべき国保改革とは、保険原理主義を排し、財政基盤を安定させ、受療権侵害を食い止めることである。
保険給付の膨張が保険料に直接リンクする仕組みを改め、国の責任で費用な医療を必要なだけすべて給付し、被保険者の負担は完全応能負担のみとする。
そうした方向での国保改革が必要であり、当面は国の負担割合の大幅引き上げこそが、最大の獲得目標であろう。
※1 「平成25年度国民健康保険事業概要」京都府
※2 千葉県ホームページ掲載「保険財政共同安定化事業の概要」より引用
※3 大阪社会保障推進協議会ホームページより引用
図1 医療保険制度の安定的運営を図るための国民健康保険法等の一部を改正する法律の概要
図2 厚生労働省保険局 国保改革の施行に向けた検討状況について
(平成28年3月24日・第94回社会保障審議会医療保険部会資料1)