特集1 地域紹介シリーズ13 下京東部彩雲
「女人厄除け」の神社として有名な下京区河原町の市比賣神社と姫みくじ
地域紹介シリーズ第13弾となる「下京東部」座談会を開催。出席者は下京東部医師会会長の佐々木敏之氏、木谷輝夫氏、前田眞里氏、井上喜美子氏、内田亮彦協会副理事長(司会)で、下京東部の地域医療の移り変わりと現状を語っていただいた。また、ゲストに京都タワー設計・監理に携わられた建築士の平田精作氏、京都タワー株式会社の浅野美紀氏をお招きし、京都タワー建設のいきさつや現在のタワーの活動状況などをお話しいただいた。
第1部 京都タワー50年の魅力
デザインに込められた設計者の思い
平田 京都タワーの建築主となる株式会社京都産業観光センターは、1959年に創立されました。これは、京都財界によりつくられた会社です。京都商工会議所名誉顧問が取締役会長、京都新聞社社長が社長、元三和銀行常任監査役が専務に就任しています。その他京阪電鉄、近鉄、寳酒造、日本レース、日本電池、比叡山観光開発、京都観光デパート、島津製作所、丸物、京都銀行などが設立に参画しています。建設用地は京都中央郵便局が移転した跡地です。この用地を払い下げるにあたり、京都のために活用できる公共的な建物を作りたいということで、会社を起こし建設を計画しました。
当初の計画では地上9階建てのビル建設構想でしたが、京都産業観光センター専務の藤林貞一が横浜のマリンタワーを見学した帰り、今度建てる9階建てビルの上にタワーを載せることができないかと発案したのです。ビルの上に100メートルものタワーを建設するというのは世界的にも例のないことでした。
設計者の山田は、京都駅という国際文化観光都市の正面にどんなタワーをつくればいいか、ものすごく腐心したようです。従来あるような鉄骨の骨組みのタワーは京都の駅前にはふさわしくない。京都に新しい美を与えるべく、優美さを持ったものにしなければならないという思いから、あのようなデザインのタワーが実現したのです。
賛否両論巻き起こる
ところが、建設工事が始まると反対運動が起こりました。タワーをつくる際、はじめはエレクションタワーを組み立てていきます。エレクションタワーというのは塔体を組み上げるための仮設足場のことです。これがタワー本体と誤解されてしまったようなのです。タワーというとみんな鉄骨を組み立てたものしか知らなかったものですから、「あんな華奢なタワーなのか」と相当批判が沸き起こったのです。
京都ノートルダム女子大学のジャン・ピエール・オシコルヌという文化人が、京都の景観を乱すとして反対を叫び、各方面に声をかけて反対運動を行いました。
産業観光センターのそもそもの目的は、1964年の東京オリンピックまでにホテルなどを整備する国際観光事業に基づくプロジェクトの一つでした。1年10カ月という短工期で進められており、私自身、設計・監理に携わっています。9階建てのビル本体は同年7月30日に完成しオリンピックまでに間に合いましたが、タワーの方は間に合わず、竣工したのはその年の12月25日でした。
新幹線と京都タワー
京都タワーで設計者の山田守が一番悩んだのが、塔体の色をどうするかでした。最終的には青空に映える明るいミルキーホワイトになったわけですが、それが決まったのは1964年11月なのです。つまり工事最終盤、完成まであと1カ月という時点でした。施主である会社側からは、反対運動の声に気兼ねして、目立たないようにとシルバーグレイにするよう提案されていました。それに対して山田は、そんな煙突のようなものなどつくれないと得心せず、苦心して考え出したのが、ミルキーホワイトだったのです。
なぜミルキーホワイトだったのか。この色に決まる1カ月前、東海道新幹線が開通しており、その車体の色と符合しています。当時、山田は東京の日本武道館の設計も行っており、そのため開業したばかりの新幹線を利用して東京と京都の間を往復していました。必然、新幹線の車体の色が山田の目に付いたはずです。また、新幹線の流線型の躍動美と京都タワーの流動美に相通ずるものがあり、この色で会社を説得した可能性はあると思います。会社の意向とは反対の色ですが、古都の玄関に美を与える使命を持つ建築家山田守の面目躍如を示すものだと思います。
日本の造船技術と伝統文化が支える
京都タワーの塔体は骨組みのない円筒式応力外皮構造を取っています。鋼板をつなぎ合わせていく構造です。京大の棚橋諒先生が考え出したものです。これを技術的に裏付けたのが、当時の日本のすぐれた造船技術でした。鋼板の厚みは下部にて22ミリ、上部にて12ミリでその接合には半自動の炭酸ガス溶接を使用しました。鋼材は、船舶に用いる溶接性がよく、靭性のあるSM鋼を使用しています。塔体の耐力面を考慮し、日本の鋼材の溶接分野で非常に進歩した実績の上に、このタワーができあがったのです。
山田は建築に日本の「和」をモチーフとして取り入れています。京都タワービルの柱は、和風の桐柾模様のメラミン樹脂化粧板でつくったり、外部のバルコニー手摺は日本の伝統色であるえんじ系の色を施し、京の雅を表現しています。
また、障子も使われています。洋式建築で障子をこれほど大々的に使ったのも初めてのことだと思います。当時、夜に京都駅前に降り立つと暗いという声が多かったんです。それで、明るくするために連窓のアルミサッシと障子の間に照明を仕込み、光の帯をつくり、駅前が少しでも明るくなるよう考えました。京都タワービルとタワーの優美さは、このように意匠と世界的にも前例のない構造とがマッチしてできたものと言えます。
最近の新聞社の調査によると、京都タワーは京都の町になじんでいると考える人が6割を超えている。20代後半では8割を超えているんだそうです。
昨今ではタワーの形状から、観光バスなどでは、「京都タワーは東本願寺のお灯明として設計されました」と説明することもあるそうです。実際そういう事実はないのですが、みなさんに親しみを持っていただければ良いということで、会社の方から訂正を申し入れるようなこともしていないと思います。
デザインの本当の意図は、海のない京都の灯台をイメージしています。現実に、そういう役目を果たしているように思います。地方から出てきてタクシーの運転手になった人は京都の地理がわからない。しかしタワーがあるので、それを目印にして運転しているそうです。
このように環境になじみ、人の心に響く、人に優しい建築を追求していることが、50年経った今、人々の評価を高めているのではないでしょうか。
ライトアップで医療啓発
内田 ありがとうございました。塔の色がミルキーホワイトということで、最近はいろんな色にライトアップすることで団体の宣伝活動にも利用されているようですね。
浅野 依頼を受けて初めてライトアップしたのは2008年です。乳がん検診の啓発活動を行っているピンクリボン京都からの依頼を受けてピンク色にライトアップしました。
今も、毎年1回ピンク色にしています。その後、世界糖尿病デーに合わせてブルーに、最近は臓器移植デーおよび早期移植普及推進月間に合わせて、グリーンにライトアップしています。医療関係以外にもDV撲滅、児童虐待撲滅に取り組む団体の依頼により、それぞれの色をライトアップしています。
ライトアップは年に10回以上はやっています。これからも会社として賛同できる依頼があれば続けていきたいと思っています。
反対運動と京都の器
井上 50周年というと、できた頃は周囲にはビルはなく、平屋で町家ばかりだったと思います。そういう中、131メートルものタワーができて、市民やお寺さんや神社などは反対したんじゃないでしょうか。
木谷 タワーができた当初は「なんであんなんつくったんや」「京都のまちには似合わない」と批判が強かったようですね。よく記憶しています。
平田 でも、京都ってそういう小さなことで壊れるような町ではないと思うんです。包容力があって大きな町ですよ。将軍塚の展望台から京都の町並みを眺めると、京都はそんな小さな器じゃないと感じます。
木谷 今は京都のシンボルとなっていますね。先ほども言われたように、市内どこへ行っても京都タワーを見れば自分の位置がわかります。新幹線で東京方面から京都に帰ってきて、京都タワーを見ると「ああ、帰ってきた」とホッとした気持ちにもなります。
観光と電波塔の役割もつタワー
木谷 そもそもなぜタワーを京都駅前につくろうということになったんですか。
平田 我々からすれば、9階建てのビルの上にタワーを載せるなんていうことは、驚くべきことでした。その当時のことを思いますと、京都産業観光センター専務・藤林貞一の存在が大きいと思います。
建物の目的は、京都の国際文化観光に貢献する役割が第一と考えられていました。観光で京都に来られる方の利便性を考えたのでしょう。京都タワーにのぼると京都の市街を一望でき、碁盤の目の街並がよくわかります。
建築主としては観光客がタワーにのぼって、京都の景観を楽しみ、その収入を建物の維持管理等の経費にあて、経営も成り立つと考えたと思います。
131メートルのタワーは観光目的だけでは行政の建築確認を得ることができませんでしたので、電波塔としての役割を持たせています。実際、電波塔としての形状になっています。
前例のない建築物でしたので、建築主事は京都市だけでなく、建築大臣の判断を仰ぎ建築確認を行っています。
前田 タワーの年間来館者数はどれくらいですか。
浅野 約50万人です。ピークはオープン翌年の約80万人です。
前田 50年経ってもさほど少なくなっていないんですね。
灯明としてのイメージ
佐々木 タワーがお東さんのろうそくを模したものだということは聞いたことがありましたが、灯台だったとは知りませんでした。
内田 でもろうそくのイメージをうまく使えば宣伝になるんじゃないですか。いっそのことろうそくをモチーフにしたゆるキャラをつくったりして(笑)。
浅野 すでに「たわわちゃん」というキャラクターがあります。それまでは修学旅行生など観光のお客さんが多かったんですけど、たわわちゃんが生まれたことにより、客層も少し変わってきているように思います。たわわちゃんは今も活躍中ですので、何かイベントがありましたら呼んで下さい。
第2部 地域の医療連携目指し 下京東部地域の医療
大きくなる医師会の役割
佐々木 下京東部医師会は南区と下京区にまたがり、南北は四条通から十条通まで、東西は鴨川から新町通もしくは油小路通までのエリアを持つ医師会です。会員数95、医院数74で構成されています。地区内には病院がありません。南区ができて今年で60周年だそうですが、当医師会はそれ以前からありましたので、歴史のある医師会といえると思います。
医師会としての取り組みとしては、多職種連携、交流を図り、地域ケアに取り組もうとしています。会員個人としてはいろいろやっておられますが、下東医師会として、歯科医師会、薬剤師、看護師などと連携して地域ケアに取り組むにはまだ至っていません。今後はそうした取り組みを少しでも増やしていきたいと思っています。
内田 幸い、お隣に会員数が多い下京西部医師会があり、各会員はそこと協力しながらいろんな活動に取り組んでいますね。しかし、これからは、「川上」から「川下」に至る医療制度改革が進められていきますので、医師会として取り組む必要性も大きくなってくると思います。
子育て、虐待問題での連携
井上 私は小児科を開業しています。医療とは直接関係しないかもしれませんが、近年よくテレビなどでも話題となる児童虐待問題に、医師会として取り組んでいます。2000年に、児童虐待防止法が施行され、それをきっかけに区ごとに子育て支援ネットを立ち上げることになりました。各区の子ども支援センターが事務局となり、多職種の方々、小学校や幼稚園の先生、保健所、福祉事務所の職員などと情報交換をして支援事業を行っています。当初は子育て支援事業でしたが、05年に要保護児童対策地域協議会が全国の市区町村に設置されるようになり、子育て支援ネットのメンバーがそのまま協議会のメンバーになっています。これまで勉強会をしたりして交流をしています。この活動を通して、医師会として小学校や保育所の先生とも関係を築けたのは大きな意義があると思います。
地区内で小児科の単科は私だけです。少子化が進みずいぶん地域の様子は変わってきましたね。昔は町内に子どもさんが30人くらいいて、地蔵盆もにぎやかでした。今は子どもがゼロ、あるいは一人だけという町内が増えました。そこにマンションが建つと一気に増えるんですが。
木谷 マンショが建つことにより子どもが増え、地蔵盆を復活させたところもあるようですね。
井上 はい。でも子どもは増えますが、ほとんどが核家族ですので、お母さんが誰にも相談できず子育ての悩みをひとりで抱え込んでしまっているという状況もあります。そういうとき、多職種交流で築かれたネットワークが対応に生かされたこともあります。
医師会館と事務局の要望
木谷 病院のない医師会というのは京都市内では下東だけですか。
内田 そうです。会員数の少ないところは他にもあるようですが。また、医師会館(事務局)を持たない医師会は下東だけですね。
前田 事務局がないのは大きな問題だと思います。これから在宅医療に力を入れていくことになり、ますます多職種の人たちと連携する必要性が高まると思うんです。でも現状では打ち合わせする場所一つない。事務局を立ち上げ、核となるスペースをつくらないと、医師会としては在宅医療を進めるのも厳しいんじゃないでしょうか。時代が大きく変わっています。30年前と同じ考えでは対応できない問題が出てきていると思います。
木谷 国の政策もありますが、今「かかりつけ医」というものが注目されています。かかりつけ医の責務は、在宅医療と多職種連携です。かつてのように医師がすべてをやる時代ではなくなっている。そのためには確かに事務局が必要になりますね。若い人の中には、在宅医療に積極的に取り組んでいる方もおられます。ただ熱心にやっておられる医師同士の連携を医師会としてつくれていません。
内田 それが下東の現在の大きな課題でしょうね。それと、下東地区内の南区には耳鼻科、眼科がありません。
前田 下京区全体でも耳鼻科は3軒ですね。小児科も井上先生おひとりです。
それと、私も在宅をやっていますが、例えばお正月に休診した場合、医師同士の横のネットワークがあると安心です。個人的に連携していくのではなく、事務局のような組織があればはるかにスムーズにいくと思います。はじめは大規模なものでなくても、とりあえず在宅医療をやっているドクターの横のつながりをつくることだけでも良いと思います。
もう一つ、今年の春、若手医療者の懇談会に出て、下東医師会が持っているマンパワーを発掘する必要性を感じました。実際には積極的に連携していろんなことをやっていきたいと考えている医師とか、こんな取り組みがあったなんて知らなかったと思われている医師も大勢いると感じたんです。地区には在宅に一生懸命な若い医師もいるのに、医師会の活動は知らないという現状はとてももったいないことだと思います。
在宅医療は進むか
内田 それぞれの医院では、在宅にどのように取り組まれているのですか。
佐々木 「在宅医療をやっています」と医院で看板を掲げても、それで患者さんがすぐに来られるわけではないと思います。ずっと診ている患者さんの症状が進み、それで往診に行くようになり在宅医療が始まるのではないでしょうか。
前田 基本的には患者さんとの信頼関係ですものね。
内田 国の政策は、もともと診ていない患者さんでも、病院から地域に戻ってきたらかかりつけ医として診なさいという方向に向かっています。そういう患者さんをすぐに在宅で診るというのは難しい面がありますね。
前田 病院から問い合わせが来ることがありますよね。今度この患者さんを往診で診ていただけますかって。今、病院では、「連携かかりつけ医」制度をやっているじゃないですか。みなさんはどうされていますか。
内田 私のところはほとんど来ないですね。断っているわけではなく、むしろ積極的に受けようと思っているのですが、問い合わせ自体ほとんどない。
木谷 がん患者の連携はありますね。私の場合、第二日赤からですが、手術をして退院した後、そちらで診ていただけますかという打診があります。そういう患者さんについては、病院で何かの検査をするとそのデータが入ってきます。
佐々木 しかし、そんなに多い件数じゃないですね。
小さな医師会ならではの魅力
内田 先ほど会員数の話が出ましたが、逆に小さな医師会ゆえの良いところなどありますか。
木谷 例えば下東医師会主催で講演会などやったとき、出席率はとても高いんじゃないでしょうか。お互い顔を知っているもの同士で、医師会の行事にも親しみを持っておられると思います。
内田 昔から親睦を旨としている医師会といわれていますしね(笑)。地区懇談会でも出席率は高いですね。絶対数でも多い方じゃないでしょうか。
前田 それは嬉しいことですね。
木谷 市内の医師会の中には、会員数は多い割には懇談会に出席する人は毎年ほぼ同じ人ばかりだというところもあるようですから。
前田 そういう意味では下東の先生方はみなさん熱心ですよね。
在宅医療と家族の支え
平田 在宅で診ていても終末期になると病院に送ってしまうことになるのですか。
内田 それはご本人と家族の意思で決まります。我々としては最期まで診ようと思っていても、最後の最後になってやっぱり病院に入りますというケースが多いですね。
平田 今はホスピスの施設を持つ病院はまだ少ないでしょ。だから私としては在宅看護の延長で最期まで看取ってくれるのが一番良いと思っています。在宅医療では、例えば点滴など必要な医療器具なども全部用意してくれるものなんでしょうか。
前田 そうです。中心静脈栄養を付帯して来る場合もあります。一番の問題なのは、本人が在宅を希望しても、家族が希望しない場合です。ご家族で看取りましょうと話し合っていたのに、いよいよ最期が近づき呼吸が苦しくなってくると、怖くなって「やっぱり家族だけでは無理です。救急車呼んで下さい」となることも多々あります。
内田 まあ、どれが正しいということは言えませんからね。
前田 そうですね。病院にいる方が家族が安心できるというケースもあります。
内田 家族にとっては、最期までやってあげたという満足感が残るというのはとても大事なことです。ただね、「昔の嫁は偉かった論」には異論があるんですよ。昔はみんな在宅で看取った。その際お嫁さんががんばって偉かった。それに比べれば今は…という言い方があります。でも昔は倒れるとすぐに亡くなってしまう場合が多かったんです。だから家族は一時的には大変だけれども、全体の負担は今と比べると少なかった。今は医療の発達により、倒れてもしばらくは持ちこたえる。認知症でも同じことが言えますね。
医療費削減政策でよくなるのか
前田 政府は病院から在宅医療に移していく方針でいて、また健康寿命を伸ばしましょうと言っています。その一方で、介護保険の認定を厳しく査定しています。厳しく査定すると介護する人はいなくなってしまいます。そういうミスマッチを感じます。
内田 国はスタートの発想が間違っているんじゃないでしょうか。在宅医療を言い出したのは医療費を抑えるためでしょう。でも、在宅にすると個別にはお金がかかるんです。国は、お金がかかるけれどもみんなの幸せのための在宅医療を進めましょうと言うべきなんです。
地区内はビル診がほとんどですが、最近は新たに開業される方も増えてきました。そういう先生にも是非医師会の活動に参加していただきたいですね。親睦を旨としている医師会ですので、是非ご参加いただくよう、最後にこの紙面を借りて呼びかけさせていただきます。本日はありがとうございました。