跡地から悠久の歴史を知る
光源氏ゆかりの地へ
協力は「光源氏ゆかりの史跡」を巡る文化ハイキングを11月17日開催、『源氏物語』の光源氏のモデルと言われる源融みなもとのとおるの史跡を巡った。雨予報を覆し晴れ間がのぞく五条大橋から参加者4人はガイド脇野博昭氏(元京都市観光協会)の案内で、まずは邸宅「河原院跡」へ。「河原院」は五条河原町から六条柳馬場まで方二丁(4町)に及ぶ広大な敷地があったとされるが、今は一部の遺構を残すのみとなっている。
源融は嵯峨天皇の第12皇子だったが、臣籍に下り872年左大臣に。河原院のほか二つ別邸があり、嵯峨清凉寺に「栖せい霞か観かん」、宇治は後に藤原道長に移り、頼道により平等院となった。
「本覚寺」は浄土宗の寺院で源実朝夫人の信子(本覚尼)が西八条の遍照心院へんじょうしんいんに建立したのが起こりとされている。当日は法要で建物内に入ることはできなかったが、源融の像が祀られている。
「渉成園」は東本願寺の別邸で、周りに枳殻からたちを植えたことから枳き殻こく邸ていとも呼ばれる。この地が河原院のあった場所に当たるとの伝承から、園内には河原院の風情を思い起こさせる景物を多く観ることができる。印いん月げ池つちは境内の6分の1を占める池泉回遊式の池であり、大島の右手には「源融塔」と呼ばれる九重の塔(供養塔)がある。池から西南方向には京都タワーが臨め、対照的な景色からは京都の悠久の歴史を感じることができた。
河原院跡から少し西の六条院公園には「源氏物語ゆかりの地」の説明板がある。この「説明板」は近年、京都市により40枚建てられている。平安時代の建物は京都市内にはほぼ残っていないが、「説明板」を頼りに当時に思いをはせてみてはいかがだろうか。
河原院跡の碑と市民植樹のエノキ
渉成園の縮遠亭(しゅくおんてい)から源融塔を見る