主張 「時間」も「手間」も減っていない 日本のDXの現状を憂慮する  PDF

 各種データとともにデジタル化されたさまざまな業務を端末システムから行うことが可能になりつつある。これらの動きはデジタル・トランスフォーメーション(DX)と呼ばれる。
 保険医療行政におけるDX推進の目的は、主に国民の医療サービスの質向上や効率化、持続可能な医療制度の確保であるとされている。その目的に沿う限りDXに異論を挟むものではないが、現状でのDXは各種手続きを自前の端末で行える程度にとどまっている。
 賛否はあろうが、療養の給付に関して、クラウドにまともな電子カルテシステムが共有され、医療行為が保険点数に自動的に紐付けされて、即時に窓口負担分まで計算され、それを通せば返戻も減点もないシステムが保険者から無償で供与されるなら、ほとんどの医療者はDXに肯定的になるだろう。匿名化された個人データの共有も統計処理をまともにできるなら医療の有効性の向上に有用であろうからなおさらである。
 すでに労働人口減少社会となった日本では全ての局面において、不要なコストの軽減は重要である。各種許認可や手続きにかかる時間も手間もコストである。全て不要なものとは無論言わないが、手足に重りをつけて動くようなものである。当然、生産性は落ちる。
 現状のDXは現場の手間を省き生産性を上げる方向には向かっていない。むしろ行政はいろいろな手間をネットやデジタル化を通して現場ユーザーに放り投げつつある。ユーザー側はその都度端末に向かわねばならない。手間をユーザーに丸投げできるようになった上は、規制を増やすことに行政側がちゅうちょする理由はない。
 実際、今回の診療報酬改定でも、療養の給付に関わるとは言えないベースアップ評価料や煩雑な管理料などの手続きが現場に降りかかってきた。しかも各部局がそれぞれ行うものだから、同じ厚労省でも担当部署が違うとこちらに割り当てられるIDが違うなど、いい加減なことが起こる。
 管理する側からすれば、いろいろな枠組みが細かく厳格に区切られ、乗り越える度に情報が残る方がやりやすい。行政はすべからく規制を増やしたい本能を持つのである。管理される側にすれば、手間が多いものに近づくのはなるべく避けたい。規制の多い分野は参入者が減って、その分野自体が成り立たなくなる。2009年に教員免許更新制度が導入され、さまざまな手続きが教員に降りかかり、雇用レベルが維持困難になって結局、更新制度は2022年に廃止された。かかりつけ医制度の構想を見るにつけても、医療行政でその二の舞が演じられつつないか。
 かつて米国のトランプ前大統領は、一つの規制を作る時は二つの規制を廃止するルールを提唱した。トランプ前大統領の実際の政策はともかく、DXの推進に当たっては、日本の今後に必要な分野であるほど、それを規制強化の手段にしてしまわない歯止めが必要だ。今の日本にその動きがあまり見られないことを憂慮するべきである。

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