私のすすめる 歌(ナガラ)詠み 妻と一緒の台湾旅行 宇田 憲司(宇治久世)  PDF

日本脱出 満喫した東台湾

 妻が台湾旅行に誘う。しかし、自分は、2013年9月13日~15日に「アジア医事法制研究会」を立ち上げる大阪の弁護士らと、台北を研究訪問した。ガイド付きで台北市内を観光し、夕刻、国立台湾大学の法律学系で医学院社会医学科教授の陳聰富先生らとの会合に参加した。翌日午後に台湾桃園地方法院を訪れ、午前中に国立故宮博物院を十分鑑賞できた。したがって、通常の台北市コースには食指が動かなかった。
 しかし、妻の提案は、「知られざる東台湾―知本温泉・太魯閣・九?幻想夜景4日間」で、旅行代金は少し張るが、4月28日関空発・令和元年5月1日帰国の、十連休の前半を活用でき、次女も含めて3人で申し込んだ。
 旅行第1日目は、台北市内で昼食をとり行天宮に寄って参拝し、また飛行機で台東空港にまで移動し、まず、今期最南端となる台東市の有名温泉地知本の老爺酒店知本はホテルロイヤルに宿泊した。大浴場休憩室の間取りと装飾品が皇帝・皇妃向けに設えられてか、大変美しく驚いた。また、庭園舞台での原住民プユマ族の歌舞公演は、日本軍相手に武装蜂起した「霧社事件」を描く映画「セデックバレ」で、マヘボ社の頭目モール・ルーダオや原住民戦士が怒りと祈りを込め舞い踊った一画面が想い出され、感動的であった。
 2日目は、バスで国道11号線を北上し、小野柳なる奇岩に登り、また、水流の堤防・脇道が登っているように見え、流水まで上っていると錯覚する「水柱上流」は不思議な光景で、エッシャーの騙し絵の如き奇観が解明できず不思議な気分が残った。3人の仙人が休んだとの「三仙台」なる島に行くには、琴型に8本連結する小橋を、奇しくも本旅行でご家族3人とご一緒することになった、吉村陽先生と一緒に渡りきることになった。先に進むほど、自分を取り巻く海域が円形に形造られ、「船にのりて山なき海中にいでて四方をみるに、ただまろにのみみゆ」とはこういうことかと思えた。バスで北行を続け、花蓮の太魯閣(タロコ)峡谷(写真①)に到着して、インディアン酋長の横顔様の巨岩もみられ、壮観であった。2泊目は、美侖大飯店なるパークビューホテル泊で、添乗現地ガイドの陳秀蘭女史に案内され吉村先生一家とともにアミ族はじめ花蓮六大原住民族らが主催する夜市に赴き、夜の明るさを満喫した。
 3日目は、花蓮駅から国鉄自強号に乗り新北の七堵まで移動した。汽車から見る東岸の景色が爽やかで、学生講義などで五・七・五・七・七の三十一文字などにまとめるとよいと言っていたのを実行して、「砂浜の海岸線に打ち寄せる波のしぶきの武だけしかな」と写生したが、これでは、「よく見れば空には月が浮かんでる」に類して桑原武夫氏の「俳句第二芸術論」を地で行く忸怩たるもので、妻には後日ながら「我が妻に捧げんとぞ手折りしは、棘の抜けたる薔薇の一枝」と贈った。この後、平渓線は十分駅沿線の基隆河の土手から、簡易熱気球に「世界平和を!」と書いて飛ばし(写真②)、仇分では、映画のロケで命名の「悲情城市」茶芸館と「千と千尋の神隠し」のモデルとなった阿妹茶酒館の間の細くて急な石の階段は豎崎路を往復した。台北に移動し、南坦仔?海鮮レストランの夕食がもう最高の味付けで、台北西華飯店はザ・シャーウッド台北ホテルでぐったりと大満足の3泊目を過せた。
 翌令和元年5月1日、妻子希望の国立故宮博物院にもタクシーで往復でき、新しき平和の御代の元旦に無事関空に着陸した。

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