遠藤 裕(北)
A新聞が、週1回「万葉こども塾」を連載しています。読むたびに、古代の人の喜怒哀楽の情が伝わってきます。なかでも印象深いのは大伴家持の歌です。そこで『大伴家持』『万葉集』の本を買いました。『大伴家持』の1首目の歌は、「ふりさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引(まよび)き 思ほゆるかも」(振り仰いで三日月を見ると、一目だけ見たあの女(ひと)の眉が思い出されるなぁ)という歌です。『万葉集』の本の表紙を見ると、万葉美人が座っている足下に三日月が描かれていました。この絵は家持のこの歌だと思い感心して見ていました。
その後、彼は越中へ赴任しますが、その間、政界の変異もあり、大伴家に厳しい時代が到来します。「我が園の 李(すもも)の花か 庭に散る はだれの未だ 残りたるかも」(我が庭の李の花が地面に散り敷いたのか、それとも薄雪(はだれ)がまだ残っているのか)。異郷の雪国での歌です。
「春の苑(その) 紅にほう 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(おとめ)」(春の苑が真っ赤に照り映えている。桃の花が下を照らしている道に出ている乙女よ)。絵画的な歌ですが、都を恋しく思っています。
帰京後の家持の歌は、絶唱三首が有名です。第一首「春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鶯鳴くも」(春の野に霞がたなびいてそぞろ悲しい。この夕方の光の中で、鶯が鳴いているよ)。感傷的な歌です。第二首は「我がやどの い笹群竹(むらたけ) 吹く風の 音のかそけき この夕べかも」(我が家の庭の少しばかり群れている竹に吹く風の音が、かすかに聞こえるこの夕方よ)。音で家持の孤独が表されています。さて、万葉集の最後の歌です。「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉(よ)事(ごと)」(新たな年の初めの初春の今日、ここに降る雪のように、いよいよ重なれ、良いことよ)。この歌は因幡に転出後の正月の宴の歌です。自分が編纂したこの歌集の未来をも祝福しているような歌です。
万葉集を通して、大伴家持という歌人のすばらしさを1200年の年月を超えて感じました。(参考文献『大伴家持』創元社(2013年)鉄野昌弘著、『万葉集』河出書房新社(2009年)吉村誠著)
河出書房新社 発行
吉村 誠 著
定価 1500円+税