福山 正紀(上京東部)
卒業後の臨床歴も35年を超えると、心に残っている患者さんは数えきれないが、かかりつけ患者という意味では今は亡き両親もしかりである。
自らの専門外の整形外科等にお願いした以外は、二人ともの全身管理をしていたと言っても過言ではないと自負しているが、その両親も他界して今年でちょうど十年目となる。
母親は、小生が中学生の終わり頃から原因不明の進行性難聴とその後徐々に下肢の筋力低下を患い、晩年は寝たきり状態であった。幸い、認知症状は最後までみられなかったが、コミュニケーションの困難さと何をするにも人手を借りなければならない不自由さから、ケアしている側の我々も少なからずストレスを感じる毎日であった。最後は、経口摂取が徐々に困難となってきたが、心を鬼にして点滴等の延命処置は施さなかった。今際いま わの際きわには、残された我々の手を握りながら、遠ざかる意識の中でうわごとのようにして、今までありがとう、みんな仲良く暮らしてね、と何度も繰り返しながらやすらかに息を引き取った。
一方、父親は腰椎の手術を受けた以外は、小生の範疇である生活習慣病のいくつかとお付き合いしながら93歳の誕生日を孫たちと元気に迎えたが、ある日、元職場のOB会に出かけて行き、そこで乾杯の音頭をとった瞬間そのまま倒れて、小生の古巣である第二日赤救命センターに搬送されることとなった。そこでは、救急隊員達の懸命の心肺蘇生とセンタースタッフ皆様のおかげで、意識は戻らなかったものの、遠くは東京から孫たちが到着するまで心臓は動き続け、みんながそろって死に目に会うことができた。何ゆえか、父親の葬儀の時は、母親の時にそうでもなかった涙がとめどもなく溢れてならなかった。
父親の他界は母親の死から半年を明けることなく、まさにあとを追うように逝ってしまったが、母親が呼んだのか、父親が一人で寂しかったのか、知る由もない。
二人は、子どもの目から見ても、天寿を全うしたのではなかろうかと思うが、もし両親が二人して満足して死んでいったとすれば、主治医として、母親の言いつけを守り医師になって本当に良かったと思う。