特集2 これがめざしてきた医療か 早川一光医師インタビュー  PDF

地域医療のパイオニアとして知られ、「わらじ医者」の愛称で親しまれる早川一光医師。病院から自宅に帰っても安心して医療を受けられるようにと、「在宅医療」の言葉もなかった時代から、この課題に取り組んでこられた。しかしご自身が病気になり、自宅へと戻った際に「こんなはずじゃなかった」と語っている。早川医師が現在の医療や介護をどう感じているのか。それをお聞きしようとインタビューを行った。聞き手は垣田さち子理事長。
極楽か地獄か

垣田 本日はどうしても直接お聞きしたいことがあり、ご無理を承知でおうかがいいたしました。京都新聞の連載「こんなはずじゃなかった」で、これまで在宅医療のすばらしさを言ってきたけれども、いざ自分が医療を受ける側になると、それは思っていたものと違っていたと、率直にお書きになっておられますね。私は大変衝撃を受けました。
早川 在宅医療こそ最高の医療だ、まるで極楽のような生活だよと、これまで西陣の人たちに言ってきました。ところが、自分が人さまのお世話になったとき、それは「こんなはずではなかった」と思わせるものだった。本当にこれが極楽か、ひょっとしたら地獄じゃないのか。「こんなはずじゃなかった」とは、わがまま、在宅医療への批判、あるいは現代の医療に対する不信、そういったものが折り重なって思わず口についた言葉です。

初めて知った患者の気持ち

早川 数年前、風邪をひいたときに血液検査をしたことがありました。そのとき、もしかしたら重大な病気になっているかもしれないと言われたのですが、当時自分の体のことにはかまわずに働き続けていました。それから1年半くらい経った2014年10月、腰を圧迫骨折して40日ほど入院することになりました。
私の病気は多発性骨髄腫です。検査データを見ますと、輸血をするのが当たり前という状態です。同時に、体のあちこちが痛みます。腰痛、関節痛、背骨も痛い。この痛みは表現できないほどです。
入院して痛みが少しやわらいでくると、帰ろう、帰ろうと言っていましたね。こんな状態で帰っても、家族に心配をかけるし、病院からはもう一度こけたら歩けなくなりますよと言われましたが、それでも帰りたいと言い続けました。たとえ医師でも患者になると、言うことはそのへんのおじいさんと一緒なんです(笑)。
垣田 家に帰りたい一番の理由はなんだったんでしょうか。
早川 ……家内の顔が見たい(笑)。いや、これは冗談のようですけど、実は真実なんです。入院中のベッドで、ふっと見回して「ゆきは?」と言ってばかりでした。べつに用事はないんです。それでも呼んでしまう。歌の文句じゃないですが、そばにいてくれるだけでいいんです。ああ、これが入院というものか。この気持ちが患者さんを在宅に引き込んでいくんだなと思いました。
入院した病院で多発性骨髄腫と診断され、主治医と家の者が相談して、抗がん剤治療を選択しました。ところが治療開始の前日か前々日になって、私は拒否したのです。「家に帰る」って(笑)。それで、家の者は訪問看護やヘルパーさんの段取りをして、胸椎がくっついたか、くっつかないかくらいの段階で退院することにしました。
家に戻ってきたのはいいのですが、「この家、わしの家と違う」と思いました。「自分をここに閉じ込めるために、こんな自宅のような家を作ったんや」。リビングに設置した介護ベッドを見て、「誰の許可を得てこのベッドを入れたんや」と。
垣田 早く帰りたいとおっしゃっていたのに? 帰られたお家は違っていたんですか?
早川 一番嫌だったのは風呂です。訪問看護の看護師さんがお風呂に入れてくれるんですが、私のイメージにある家の風呂場と違うんです。どこかに連れて行かれたような気がした。自分の家なのに何か違う。こういう感覚は病気をしてみるまではわからなんだことでした。
その上、幻視の症状も出てきました。症状がなくなるまで、7、8カ月かかりました。2年前の10月初旬に発病して、翌年の夏過ぎくらいまで、たたかっていましたね。

二つの在宅医療

早川 その頃、私の4人の子どもたちも心配して訪ねてきてくれました。福島で働いていた一番下の息子が、「おやじ、おふくろの老後の面倒はぼくがみる」と家族で同居してくれることになったのです。それが山だったんじゃないかな。
私はそれまで、「一人暮らし、いいじゃないか。一人でいてよろしい」と人さまに偉そうに言ってきました。しかし自分のこととなると、同居者を探す。これが一人暮らしの患者さんの揺れ動く気持ちです。
現在、ヘルパーの女性が日中、掃除、洗濯、身の回りの世話をしてくれる。この人たちこそ、在宅医療において大きな力になります。ドクターにも看護師にもできないことをやってくれています。主治医の先生は来られても家にいるのは6分くらいです。私が在宅医療をしていたときは3分くらいだったかなあ。でも3分でもいいんです。聴診器をあてて「生きてるよ」、帰るときは「また来るよ」そんな医師の言葉を患者さんは待っていると思います。
かつてこんなことがありました。ある患者さんの訪問診療を行った。あくる日、ふと、あの患者さんは大丈夫かなと気になる。そしてその家の前を通りかかったとき、戸を開けて声をかけてみた。すると家にいたおばさんがびっくりして言うんです。「今先生を呼びに行こうと思っていたところです。それがふすまの前に立っていたのでびっくりした」。私は「あんたが来てほしいと思うと、おれにはわかるんだ」(笑)と返しました。
訪問診療したお宅の台所まで上がり込み、「腹へったんだけど、今晩のおかずはなんだ」と言って鍋のふたを開ける。「なあんだ、こんなもの食べているのか」と言ったりしていました。
もちろん、私がそのとき、そのお宅を訪ねたのはたまたまのことです。しょっちゅうあることではありません。だけど、私がやってきたことは、週に1回何時頃訪問診療します、火曜と木曜は入浴日ですというようなスケジュールだけの今の在宅医療ではなく、患者さんが「来てほしいなあ」と思ったときに、そこにいることができる、そういうものでした。
垣田 私たちも先生の教えを受けて西陣でそんな医療の後を継ごうとしてきたつもりです。でもいま国が進める在宅医療はそういうものではないんです。
西陣にも在宅専門の診療所があります。そこの先生にお話を伺う機会がありました。朝8時くらいに診療所を出て、帰るのは夜の8時くらい。訪問診療していると、この患者さんはまもなく亡くなられるだろうなあとだいたいわかります。そういうときご家族にはこう言うそうです。「もし夜中に亡くなられてもそのまま朝までそっとしておいてください。朝連絡をいただいたら、伺いますから」と。家族を教育したら大丈夫、これが今の在宅医療だとおっしゃっていました。
私たちは、「ずっと診てきた患者さんなんだから、せめて最期は手を握って送ってあげたい」と思っています。しかし政府の進める在宅診療所はまるで違っています。「2週間に1回来ますので、それ以外はあんまり連絡しないでください」と言っているそうです。開業医、臨床医の醍醐味は患者さんの顔を見るだけでわかるというところにありますよね。様子を見て、あれ?と異変を感じたりします。しかし、現状はそういうことを否定して、とにかく在宅で死んでもらおうという医療です。これから年間100万もの人が死んでいく時期を迎える。130万人を送るためには丁寧なことはしてられないと言わんばかり…。
早川 むけむけに言えばそうなりますね。いちいち息の根が止まるまで、枕元で診ていられるかということです。それをしようとすると、それだけの数の医師がおらないかん。それでは国のお金が続かないと。
垣田 私たちが保険医として追いかけてきた大事なものが、財政的な理由を前面にたてて軽んじられてきています。

介護される立場になって

垣田 先生は在宅で、家族のことを思うとつらい、と新聞連載で書いておられますね。
早川 半年前に息子たちが引っ越してきて今2階に住んでいます。大変な苦労をかけています。いつも夜中2階から降りてきて、「異常ないか、元気か」と声をかけてくれる。それだけで安心します。かつて、訪問していた患者さんに「おい、生きてるか」と声をかけてきた私のやってきたことと似たようなものでね。しかし、そこまでして畳の上の往生を望むべきなんだろうか。女房と私とふたりで家にいるということで満足すべきではないか。私の中では未解決の問題です。
ヘルパーさんが私に説教するんです。身の回りの世話をしてもらっていることに対して「すまんなあ」と言うと、「何言っているんですか。私たちはこれが仕事です。この7時間は雇われているんだからなんでも言ってください」と叱られるのです。ある一人暮らしのおじいさんも、そのヘルパーさんは担当していて、その人は「お尻にうんこをいっぱいつけて、私たちが来てオムツを替えてくれるのを待っている。それでも一人でほんと頑張って生活してはるんですよ」と言われる。私は医師だと偉そうな顔してきたけれども、ヘルパーのおばさん、そのヘルパーさんがお世話しているおじいさんの方がはるかに人間として悟っているように感じます。人間らしく生きているおじいさんと、不満をいっぱい抱えて生きている自分。
在宅をめざされるドクター、ナースのみなさんには、今やっていることが本当に患者の立場に立ったことなのか見直してほしい…。いや、そういうのは患者のわがままか…。
戦後、みんなが医療に困っていたとき、私は橋の下で暮らしている人のところにも行きました。そこに人がいる、患者がいる、黙って見ていることができず、考える前に体の方が先に動く。葵橋の下でゴザを敷いて子どもの面倒を見ている日雇いのおばさん、おじさんの顔を見たら、明日も来ようと思ってしまう。行ったところでなにもできない。治らないことは百も承知だけど、それでもそばについて声をかけたくなる。私のめざした医療は、今の国がいう在宅医療とは違うものだった。
垣田 先生を見ていると、住民とともに生きてきた、病気ではなく生活を見てこられたんだと感じます。しかし今の医学教育は臓器別ですし、だいたい6年間で何ができるかということもあります。患者さんの生活を見るということは今の若い先生にはとても難しいことだと思います。価値観も違いますし、家族のあり方も違いますし。
でも、先生はすごくお幸せですよ。愛する奥さまがおられて、先生を大事されるお子さまたちがおられて。
早川 今でももみじの葉っぱを見て、あれは虎の顔ではないかと思うと本当に虎の顔に見えてくるんです。医師はすぐにそれは幻覚です、幻聴です、ボケの始まりですといい、薬を飲ませようとします。そうではなく、思ったものが見えてくるというのが人間の脳の働きではないかと、幻覚を乗り越えた自分の体を反芻しながら、人間とは何かともう一度問い直してみる。そうすると人間学というものがね、医学だけではなく、そこには生活科学もあるし、経済学も入る。もちろん心理学も入ります。それらを統合した人間学は医師になるには絶対通らなければならない基礎知識ではないかと思います。
垣田 大事なことだと思います。医学教育の中で社会医学系は全部カットされています。もちろん授業で習ったからといってすぐにどうなるということはないとは思いますが、そのことの大切さを教えなくていいのかと思いますね。
お話を伺って、先生が、何に悩んでおられるのかが少しわかった気がします。早川先生でさえも、こんなに悩んでいらっしゃる。そのことに打たれます。簡単に答えなど出ない、これからの私自身の課題だと思います。
最後に奥様にお聞きしたいことがあります。今、一番お幸せですか?
ゆき そうですね。これまでは忙しくて全然家にいなかった人が、ずっと家にいるからね。
垣田 早川先生、そうですって(笑)。やっぱりすごいわ。本日はありがとうございました。

早川一光氏
胸中を語る早川医師と聞き入る垣田理事長(左)
ゆき夫人(左から2番目)とご子息の岳人さん(右端)もまじえて

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