特集1 地域紹介シリーズ15 下京西部不堯  PDF

東寺の南大門と五重塔

地域紹介シリーズ第15弾の「下京西部」座談会を、下京西部医師会会議室で開催。出席者は下京西部医師会会長の安田雄司氏、小泉俊三氏、山下琢氏、小笠原宏行氏、藤田祝子協会理事(司会)で、下京西部の地域医療の現状について語っていただいた。また、ゲストに京都市中央卸売市場青果卸売協同組合元理事長の田中憲一氏をお招きし、市場の歴史などをお話しいただいた。

第1部
「京都の台所」から見た地域の移り変わり

日本初の中央卸売市場
田中 京都市中央卸売市場は1927(昭和2)年、中央卸売市場として全国で初めて開設されました。国は、大正末期に起こった米騒動を受け、食料品の安定的な需給の重要性を認識し、1923(大正12)年に中央卸売市場法を制定します。それに基づき、全国に先駆けての設立です。
京都市中央卸売市場の設立当時、青果物を扱う問屋街は京都各地に12施設あったそうです。市場にはこれら施設の人たちが加わりました。私のところは「鳥羽弥」という名称ですが、名称からその業者が京都のどの地域出身かがわかります。「鳥羽」とつくのは上鳥羽です。「西」「朱」がついた業者は、西七条にゆかりのある方です。
その後戦争となり、食料品は配給制度になったため、中央市場の機能が停止していた時期が4年ほどありますが、1947年頃再び自由な取り引きの形態に戻り、中央卸売市場も復活しました。

戦後の変貌
市場の前には、七条通に市電が走り、今のJR嵯峨野線をくぐっていました。商品も貨車輸送が盛んな時期で、市場にはトラックより貨車で多くの商品が運ばれてきました。63年を境にして貨車とトラックの輸送量の割合が逆転しています。以後モータリゼーションで次第にトラック輸送に変わっていくことになります。市場で「レールもの」と呼ばれる商品があります。レールものというのは、鉄道で運ばれてくる商品をそう呼んでいたことの名残です。九州、東北などからの商品はすべて貨車輸送でした。
これからみかんの時期を迎えます。60年代のみかんの消費量は年間300万トンくらいでしたが、今は80万トン。日本の食生活も大きく変わっていることがわかります。

競りと相対取引
市場には卸売会社というのがおりまして、生産地から運ばれる商品をこの卸売会社が市場で委託販売する形になります。委託された商品は毎日、競りにかけられます。その商品にわれわれ仲卸人が値段をつける。競りで最高額をつけた仲卸人に商品が落ちることになります。
卸売会社は、この金額から野菜の場合8・5%、果物の場合7%の手数料を取ります。この手数料を差し引いた金額を卸売会社は産地に支払う。一方われわれ仲卸人は、競り落とした商品の価格にマージンをつけて小売屋さんに売る。これが基本的な仕組みです。
ただ、この形態は最近ではずいぶん変わってきています。
私が入った頃は、仲卸人の顧客の90%以上が小売屋さんで、残りは料理屋さん、食堂などでした。現在では7割か8割はスーパーマーケットがお客さんです。小売屋さんはずいぶん減りました。
競りは朝6時から始まります。京都ではまだなんとか競りを維持していますが、他の都市では、競りはほとんどなくなっています。競りに代わって相対取引が行われています。値段は後でわれわれ仲卸人が産地と交渉して決めるというやり方です。競りの場合は、値段はその場その場で決めていくわけですが、相対は産地と話をしてこの相場でいきましょうと話し合いで決めていくやり方です。
なぜこういうやり方が増えたかというと、スーパーマーケット、量販店が増えてきたからです。そういうお客さんは、数週間先、数カ月先の販売計画を立てています。たとえばスーパーは新聞などに折り込む宣伝用のチラシを作りますが、そのためには実際の販売日の何日も前に値段などが決まっていなくては準備することができません。売り出す商品のチラシの校正を1週間先にはしないといけないから、値段は事前に決めてほしいということになります。
百貨店の場合、たとえばお中元のカタログは何カ月も前に作ります。だから値段は1月か2月の時点で決めておかなければならないのです。
この相対取引のリスクは、われわれ仲卸が負うことになります。この相場でいけるだろうと判断するのですが、いざフタを開けると「大損した」ということもあります。
また、京都市中央卸市場の青果部門には、他都市の市場にはない特徴があります。近郷野菜売り場の存在です。これは京都府産と滋賀県産の野菜を扱う専業者による売り場です。「京野菜」は今や全国区となりましたが、市場にもそういう独自の売り場ができています。

中央卸売市場の10年後
私は市場の理事長を2009年度から3期6年間務めました。一昨年から施設整備が行われていて、10年かけて新しい施設にしようという計画です。これは大変な大事業で、計画は私の理事長の頃からありましたが、10年先自分がどうなっているかわかりません(笑)。若い人に頑張ってもらおうということでバトンタッチさせていただきました。
建て替えといえば、今ちょうど東京の豊洲市場が大きな話題となっています。そのため、京都市中央卸売市場の建て替え計画については、京都市もかなり慎重に進めています。いずれにしましても、これから先10年で中央卸売市場は大きく変わっていくことになります。ただし、市場ができた当時、仲卸人は果物と野菜合わせて111軒ありました。それが現在は53軒、半分になっています。建て替えが終わる10年後にはもっと減っていると思います。
JR京都・丹波口間に新駅ができるといっそう変化は進むでしょう。率直に言ってわれわれからすれば市場に求めるものは機能性です。そういう意味ではどこか更地に移転してくれた方が効率よく業務ができます。しかし、京都市はこの日本初の中央卸売市場に強い思い入れがあり、日本食の文化の拠点にしたいと考えています。

食の教育と安全
現在、市場のことを市民のみなさんにもっと理解していただきたいということで、食の拠点機能充実事業に取り組んでいます。
たとえば、「食の海援隊・陸援隊」です。市民から会員を募り、料理教室を開いたり、漁業や農業の現場を訪れ、どのように獲ったり生産したりして、それを消費地に輸送しているのか見てもらっています。それを通じて、食についての知識を養い、食の在り方を考えていただこうという取り組みです。青果の関連では今年は里浦(鳴門市)のイモ畑に行きました。イモ掘りをしたり、生産者のお話を聞いたりして勉強してきました。
また、「模擬競り」「仕入れ体験ツアー」もやっています。面白い取り組みとしては、「出前板前さん教室」があります。これは水産部門が小売屋さんの協力を得て行っている行事で、小学校に板前さんが出向き、魚のさばき方などを教えるというものです。それ以外にも、年に1回「鍋まつり」、8月に夏まつりをやっています。
われわれは毎年年末に地域の消費者の代表の方々と会合をもっています。そのとき代表の方から出る質問は「農薬はどうなっていますか」など、すべて安心・安全に関するものです。中央卸売市場には、京都市衛生公害研究所の第1検査室というのが入っていまして、年に2回ここが抜き打ちで検査をしています。幸いなことにこれまで検査で何か問題が判明した事例はありません。
最近よく「この食品の履歴をはどうなっていますか」という質問も受けることがあります。市場に入る商品については生産から流通までの状態を知ることができます。いつ、どれだけの期間どんな農薬を使用したとか、すべて記録されており見ることができます。そういう意味では道の駅などで販売されている産直野菜より中央卸売市場の商品の方が安全であると自信を持っています。

初競り
お正月の号ということなので初競りについてもお話しします。毎年正月5日が初競りです。果実の場合、初市にはサクランボが出てきます。今年の初市に出た山形のサクランボは300グラム5万円ほどで売れました。ひところよくニュースで、築地の初競りで大間のマグロに1億5000万円の値がついたとか出てきますが、京都ではそういった商品はありません。初競りではありませんが、マツタケに20万、30万の相場が出るくらいでしょうか。

京都ブランドの可能性
山下 農薬の検査を行う研究機関は市場とは独立しているんですか。
田中 独立しています。保健センターの研究機関です。
小泉 相対取引というのは、市場を通さずに各スーパーが産地と個別に取引するのですか。
田中 いいえ、スーパーと直接取引するのはわれわれ仲卸もしくは卸です。競りを行わない取り引きということです。
安田 昔の市場はモートラがあちこちから入り込んで、ほとんどドアもない状態だったと思います。それが今では閉鎖型になっていますね。構内禁煙にもなっています。それも安心・安全の対策だと思います。
一方、最近の問題として、ネット通販があると思います。また、ふるさと納税で各市町村がお礼で地元の特産品を出していますが、それが広がってきていて、流通が複雑化しているんじゃないでしょうか。
田中 その通りです。ふるさと納税の関係で、今年は一時、商品が入らなかったことがあるんです。影響はありますね。
安田 市場に入ることができる業者は世襲と聞いています。仲卸業者数が半減しているとのことですが、従来からおられる人とはまったく関係のない業者が入ってくることは今でもないのですか。
田中 今後はどうなるかわからないと思いますが、今のところありません。業者の許可を出すのは京都市ですが、市としても今はそれは考えていないようです。市場に魅力があればいろんな外部の業者が目をつけてくると思いますが、そういうこともありませんので、現状、市場に魅力がないということじゃないでしょうか(笑)。
安田 私は京都の場合は魅力はあると思いますよ。今度近くに新しい駅もできますし、周辺には鉄道博物館があり水族館もあります。人を呼び込む施設が多くあります。昔は七条商店街といえば年末は大変な賑わいでした。ところが今は閑散としている。たとえば築地の周りにはお寿司屋さんがいっぱいあって賑わっていますよね。京都も周辺地域の施設を活用しながら全国初の中央市場ということでブランド力を高め、いろんなアイデアを出していけば面白くなるんじゃないでしょうか。
田中 その点で言いますと2014年、すし棟(すし市場)がオープンしています。これは市場の近くになんでおいしいものを食べるところがないんやという声を契機にできたものです。
藤田 市場内の安全という点で私はフォークリフトが走っていて怖いなと感じたことがありますね。
田中 青果棟では時間帯を決めて入場制限しているんです。何件か事故も起こっていますしね。
山下 昔はおそらくもっと事故が多くて、私のところにモートラに当てられたっていう人がけっこう診察に来ていたんですよ。最近全然来られなくなっているのは、お店が減っていることもあるのかもしれませんが、安全管理が行き届くようになったということなんですね。
田中 今は許可制にしているんです。場内専用の免許を交付しているんです。安全講習会も開いています。

第2部
変貌する地域の開業医の役割を考える

大病院志向と開業医
藤田 興味深いお話、ありがとうございました。引き続きまして地域の医療についての座談会に移りたいと思います。みなさん、下京区、南区で長く開業されておりますが、先生方の開業当時と比べて、地域はどう変化してきていると感じられますか。
小泉 私は中央卸売市場のすぐ近くで生まれ育ちました。親もそこで医師をしていました。開業時に比べずいぶん変わったと思います。患者さんとの関わりでいうと、昔はまず病院ではなく、開業医(町医者)にかかる人が多かったですね。本当にたくさんの患者さんが来られていました。最近では病院志向が強いので病院の外来の方が混んでいると思います。また、設備として今はもうCTくらいはなくてはならない状況ですが、そういう設備を持つか持たないかで診療のスタイル、パターンも変わってしまっている。機器・設備に応じた診療に変わってしまっていると思います。
小笠原 私は開業して12年になります。診療所はリサーチパークのすぐ近くにあります。リサーチパークで働いている人は、比較的若い人が多く、だいたい1回か2回の受診で終わりという人がほとんどです。若い人でいうと、昔に比べるとわりとまめに受診されているという印象を受けます。インフルエンザの予防接種の時期になると、予防接種を受ける人も増えてきていますね。
小泉 市場の、ある会社内で、インフルエンザが大流行して、大変なことになったらしいのですが、翌年から予防接種は絶対受けるようにという方針が出て、従業員が大挙して来院されるようになりました。
小笠原 会社がそういった方針を出してくれるのはいいですね。市場で働いている方たちは我慢強いのか、医者嫌いなのか(笑)、診察に来られた時にはけっこう症状が進んでいる人が多いように感じます。もう少し早めに来ていただくようにおっしゃって下さい(笑)。
田中 はい。そうします(笑)。
山下 かつてはうちの周囲は八条商店街でした。診療所は以前は東寺の境内地だったそうです。父の代に、ここに土地を買って開業しました。古い市街地ですから、地域の住民も古い人ばかりです。私が子どもの時やんちゃをしていたことを知っているおばちゃんらもたくさんおられます。「あんたに注射してもらわなあかんようになるとはな…」って言われたりしてやりにくいんです(笑)。先ほども出たように、患者さんには大病院志向があります。医療レベルを保とうとすると、ある段階で患者さんを病院に紹介しないわけにはいかないことが多くなっていますね。検査であってもちょっとあやしいなと思ったら、MRIをとらないといけない。すると病院に検査を依頼することになります。また、商店街は本当に壊滅に近い状態でシャッターばかりです。ちょっとした腰痛、膝痛なら地域の人は来られますが、なじみの患者さんには通院も難しい方も増えてきていますので、薬を持って訪問診療に行くケースもよくあります。
安田 私も中央卸売市場の近くで育ちました。当時の私の主治医は小泉先生のお母さんです(笑)。その頃の開業医、町医者というのは、私のことを全部知ってくれているという安心感がありましたね。
今は生まれ育ったところとはまったく関係のない久世で開業しているんですが、ここは昔のよさが残っている地域ですね。昔ながらの古い住宅街、聴診器とレントゲンくらいの設備で、CTは必要がなければ撮りませんし、ほとんど問診だけで診ています。患者さんの体を触ること、聞くことが求められます。そういうかなりアナログ的な方法を取り入れながら、必要に応じて病院と連携したりしています。昔の七条商店街を中心とした町が持っていたよさが、ここにはまだ残っていると感じています。しかし、そんな患者さんとの間でも、なにかあったときは「この先生に任しておけば、きっとどこかよい病院を紹介してくれる」と普段から安心してもらえる関係だけは築いておかなければならないと思っています。私は喘息の患者さんでもお腹も触りますから(笑)。
藤田 プライマリケア医ですね。

画期的な診療連携カード
藤田 下西では大きな病院もあれば、プライマリケア医、かかりつけで全身を診る開業医もおられるんですが、国レベルでは、地域ケア構想、つまり地域で完結する医療政策が進められています。こういった状況に対応する下京西部医師会の特徴ある取り組みをお話していただけますか。
小笠原 下京西部医師会が開発した診療連携カードについて紹介します。患者さんの血液データ、薬の情報、アレルギー情報、簡単なサマリー、画像、それに看取りに関する情報などを、下西医師会が発行したカードを患者さんが提示すればインターネットを通して必要な情報を知ることができるというものです。この場合、セキュリティが一番問題となります。これについては、先日VPN(Virtual Private Network)というデータを安全に通信するために用いられるネットワーク技術を採用しました。かなりいいものができていると思います。
府医師会に、「京あんしんネット」という組織ができていて、医療、介護関係者の間でSNSを使って患者さんの情報を共有する。また、共通の診察券を使って患者さんの情報を関係者みんなで共有していこうという試みがあります。下京西部医師会の診療連携カードはこの府医師会の「京あんしんネット」が求めているものとかなり近い内容を持つものですので、今後採用に向け、さらに改善していこうと考えています。
安田 現状では患者さんは医療機関を受診するたびに、レントゲンを撮りましょう、採血しましょうとなることが多いんですね。その都度むだなことをやってしまっている。そうではなく、カードを使えば受診時に、この患者さんはどういう問題を抱えているのか、アレルギーを持っているとか、この薬を飲んでいるから注意が必要だといった情報を知ることができます。採血したときは、検査会社からデータが自動的に送られてくるのですぐに診療に入ることもできる。従来から電子カルテというものがあります。このカルテを見ると過去十数年の病歴を知ることができます。しかし、昔、風邪で治療を受けたとか、手を切って治療を受けたといった情報は、現時点ではどうでもいいことなんです。そういう情報ではなく、今この患者さんの問題はなんなのかという情報を知ることができれば、スムーズに診療をすることが可能になります。私たちの地域には16病院ありますが、そういった情報を病院を含めたわれわれ医療機関で共有できれば、患者さんにとってスムーズに、かつ適切に医療を受けることができます。むだな検査に費用を払うこともありません。そういうシステムを確立したのが診療連携カードです。カードは患者さん本人の同意のもとに持ってもらいます。すでに始まっています。

看取りにも対応
藤田 このカードには看取りに関する情報も入っているんですね。
山下 これからは在宅で亡くなられる方も増えてくると思います。在宅医療を頑張ってやっておられる先生方はますます大変になります。それで2015年から土日だけ当番を決めて、看取りの取り組みを始めました。診療連携カードに看取りのページも作って、その方の看取り情報を記録しています。医師会には転送電話が置いてあり、主治医が旅行などなんらかの事情で患者さんの看取りを行えないとき、主治医が医師会の専用番号に電話をすれば自動的に当番医に転送されることになっています。カードの看取りのページを見ると、ケアマネジャー、家族のキーパーソン、治療の経過、あるいは死亡診断書を書く場合、患者さんの病名、状態などもわかるようになっています。その上で、当番医が患者さんのお宅にうかがい、看取りを行うという制度です。これは看取りだけを行う制度で、患者さんの病状変化など緊急事態には対応しません。たとえば、患者さんの血圧が急に下がって危篤状態になったということで主治医を呼んでも、現状では救急車を呼んで下さいということになると思います。まして、ふだん診ているわけでもない当番医が行ってもどうすることもできない。当番医が対応するより救急車を呼んでもらう方が適切な対応ができます。なので対応するのは看取りに限っているわけです。自宅で亡くなられることを本人はもちろん、家族もみんな納得している場合のみを対象とした制度です。
田中 うちにも102歳の母親がいます。月2回、訪問診療に来ていただいています。先生は何かあったらいつでも呼んで下さいと言って下さっていますが、先生が来られない場合は不安ですからね。最期は病院ではなく家で看取りたいと思っています。データが共有できると、何度も同じ検査を受けなくていいので助かりますね。いいことを教えていただきました。

かかりつけ医がもたらす安心
藤田 今は病院で亡くなりたいと思っても病院の方が引き受けてくれないという時代ですものね。田中さんから、地域の開業医や病院に対して要望はありますか。
田中 自分のことをよく知っている先生がいると安心ですね。地域の先生は患者にとって心理的に大きな存在だと思うのです。「心配することありません」と言われるだけでホッとします。
私もこれまでいろんな病気をしてきましたが、京都にまだMRIが2台ほどしかないときに、調べてもらったことがあるんです。すると副鼻腔のところに影があると言われました。ところがその後、耳鼻科で調べてもらったら異常なしということで症状も自然に治りました。機械ばかりが発達して診る側の技術が追いついていないのではと、昔のことですが思いました。
小泉 たしかに、新しい機械を入れることにだけ熱心な病院がありますよね。それで写真は撮るのだけれども、きちんと読める人がいないという時代はありました。
山下 機械が発達すればするほど、正常と病気との境界がわからなくなります。レントゲンもデジタルになって画像を拡大できるようになりました。これまで見えなかったところを見ることができるようになった。するとそれでこちらも逆に判断に迷ってしまうようなことがあります。だから安田先生も言われるように、患者さんに触るということが大事になってくるんですよね。
安田 かかりつけ医は、患者さんのことを以前から診ているわけですから、ちょっとした変化からいろんなことを考えるものです。患者さんはそのときの状況だけでなく、流れがありますから、変化に伴って何が起こったんだろうと考えます。そういう意味ではかかりつけ医は必要だと思いますね。

2025年までにやるべきこと
藤田 この下西地域には病院、診療所がたくさんあります。病診連携、診診連携といったことがよく言われますが、今後の地域の課題はなんでしょうか。
小泉 とくに下西は病院の数が多い。市立病院は中京区ですが下西の診療圏に近い。病院とかかりつけ医との連携ということでは、もちろん個々の患者さんの治療で直接病院側とやりとりをすることがありますが、それとは別に日頃からコミュニケーションを深めるようなことを積極的にやっていく必要があるのではないでしょうか。病院の医師とかかりつけ医とが同じ土俵で意見交換するような場は、患者さんにとっても意味のあることだと思っています。みなさん自分の持ち場のことで忙しいので、そういった形でのコミュニケーションの場を設けるのは大変ですがね。
小笠原先生と市立病院とはツーカーの間柄ですよね。
小笠原 そんなことはありませんが、長い間勤務していたので、病診連携で良い関係が築けています。時には病診連携の会に参加して、顔を合わせることも大事ですね。
藤田 やはり、病院の医師と意思疎通が図れるのは、大事なことですよね。
山下 下京、南区には病院が多いということですが、最近は新しく開業する人はだいたい医療モールに入ります。だから地域医療に深く関わる人が増えているわけではないんですね。われわれの年代ですと、診療所同士の連携、病院との連携もだいぶ取れるようになってきています。しかし、私たちの次の世代の人たちをみるとそうでもありません。いかに引っ張り込んで連携を取っていくかが課題でしょう。
下西の取り組みをどこで報告しても先進的と言われますが、実際にはさほど先進というわけではありません。2025年からの10年間をどう乗り切っていくのか。われわれ自身が健康を保っていないと、地域によい医療を提供することはできません。そのためには楽に仕事をして、余暇を楽しむ、人間らしい生活をわれわれ自身が構築していかないといけないと感じています。そういう意味でも、もっと次の世代の人たちを引っ張り込むことをこれから特に考えていかないといけないと思います。
安田 2025年というのは、団塊の世代が75歳の後期高齢者になる年です。患者の数が増え医療費がかさみ、医療界は大変な事態になるとみられています。そんな中、多くの人が在宅医療を受けることになる。それで病院との連携とか、歯科、薬剤師、介護との連携の重要性が指摘されています。
これと並行して進めなければならないこととして、患者さんと地域の人たちが、今後どんな医療を受けたいか、どういう形で最期を迎えたいかといったことをお互いが話し合えるような、意見を出せるような地域を今後10年間で構築していくことです。それができれば下京区、南区のこの地域は、とっても幸せな地域になるんじゃないでしょうか。医師会としても、住民の意に沿うような形での医療、介護の提供をしていきたいと思っています。
田中 そういう地域に住むことができて幸せです。
藤田 京都市中央卸売市場も今後10年で大きく変わるということですが、10年後には地域の医療も中央卸売市場もお互いよい未来が待っていることを信じて頑張っていきましょう。ありがとうございました。
上図は京都市中央卸売市場の構内図。下図の囲み内は下京西部地区の範囲。

田中憲一氏(京都市中央卸売市場 青果卸売協同組合元理事長)
安田雄司氏
山下 琢氏
小泉俊三氏
小笠原宏行氏
藤田祝子氏(協会理事・司会)

 

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