特集2 皆保険制度成立の意義と歴史  PDF

特集2 皆保険制度成立の意義と歴史

 池上直己氏(慶応義塾大学医学部教授)を講師に迎え6月11日に開催した皆保険50周年講演会、「皆保険制度成立の意義と歴史」講演録を掲載する。(文責:編集部)

慶応義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授 池上直己氏
慶応義塾大学医学部医療政策・管理学教室
教授 池上直己氏

医療保険の原理とは

 医療保険の原理は、全員から集めた保険料で全員の医療費をまかなうことである。医療費を決める要素は、(1)保険加入者がどの程度病気にかかり、受診するか、(2)医師がどこまで医療を提供し、いくら請求するかである。保険料を抑制する方法として、(1)病気にかかりやすい者を加入させないこと、(2)医療サービスの価格と給付条件を統制すること、(3)患者に負担感を持たせて受診を抑制することがある。

 このうち(3)については、効果は限定的である。負担感があると病気が重く(医療費がより高く)なるまで受診しなくなり、さらに高額療養費制度が適用になると通常3割の自己負担額が1%になる。医療費の8割は2割の高額医療費の患者によって使われており、がんなどの重い病気については、負担感による抑制効果はないと思われる。

 では、保険料はどう設定されるのか。民間の医療保険では、高齢になるほど(病気にかかりやすくなるほど)保険料は高くなる。公的な社会保険では、所得に応じて負担(応能負担)し、給付(医療)は平等に受ける。加入者同士の相互扶助・連帯が基本だが、日本の場合、その範囲は職場(被用者保険)か地域(市町村国保)に限られている。なぜそうなったのか、医療保険の歴史を紐解いてみる。

医療保険の歴史から見えるもの

 第1期(1922年〜45年)は、国家主義の観点から、二つの公的保険制度を推進した時期である。

 被用者保険は、社会主義運動を阻止し、国力増強のため労働者の生産性を確保することを目的に創設され、事業所単位で保険料を徴収した。中小企業被用者には政府管掌健康保険が適用され、国が最大の保険者となった。加入対象者は、34年に5人以上の事業者に、39年にホワイトカラーと扶養家族に広がった。新しく誕生した保険者にはいずれも既存の診療報酬を採用し、国の料金統制の基盤を構築して医療費抑制の礎となった。

 国保は、元は各地域に自然発生した互助組織である。農村は所得捕捉が難しいため、村社会の公平性の観点から、各保険者が応能負担(所得割・資産割)、応益負担(世帯割・加入者割)など様々な方式を組み合わせ、独自の賦課方式を決めた。各国保は直営の医療機関を設置し、加入者がそれ以外の医療機関を受診するのを制限した。

 戦前は農林水産業の世帯が全体の半分だったので、1国2制度はバランスを保っていた。

 第2期(45〜61年)は、国民皆保険を推進する「福祉国家」の建設期である。55年、社会党の左右両派が統一し、自由民主党が結成され、いずれも皆保険を公約とし、国民健康保険に対する補助金が増加した。59年には国保に対して被用者保険の診療報酬を適用し、61年には最後の市町村が国保を施行して、皆保険の長いプロセスが完結した(図1)。しかし、1国2制度には手をつけず、被用者保険本人は負担ゼロ、それ以外は5割負担と、医療費負担に大きな格差が生じた。

(図1)

 第3期(61〜82年)は、患者負担割合が低下した「福祉国家」の拡充期である。国保世帯主、国保家族、被用者家族が順次3割負担となり、73年の老人医療無料化で老人の受療率が大幅に上昇した。また、高額療養費制度で自己負担に上限額が設けられ、月額3万円以上ならば全額保険給付となり、医療費による生活破綻の危険性がなくなった。

 第4期(82年以降)は、「福祉国家」の調整期である。優遇されていた被用者本人・高齢者の自己負担が徐々に引き上げられ、現在は約8割の国民が3割負担となっている。例外は、勤労者平均所得以下の93%の高齢者と、6歳以下の子どもである。高額療養費制度でも対象額が引き上げられ、対象額に対しても1%の自己負担が導入された。

 多くの保険者が併存している中、比較的公平な制度をどのように実現したのか。

 保険料率(保険料の所得に占める割合)は、加入者の所得水準によって上下する。被用者保険内(大企業従事者・公務員と中小企業)、被用者保険と国保、各国保(市町村)間での所得水準が異なるため、それぞれの所得格差を調整する必要がある。そこで国は所得水準の低い保険者(政管健保改め協会けんぽ、国保)に助成している。

 年齢構成の格差に対しては、後期高齢者医療制度導入以前には保険者間の財政調整(高齢者の少ない保険者からの拠出)が行われた。その結果被用者保険の保険料の4割は高齢者医療に拠出され、被用者保険の保険料が上昇して被用者保険、事業主、労働組合から不満の声が上がった。

後期高齢者医療制度の導入と廃止案

 そこで、全ての75歳以上の高齢者を対象とする独立保険制度として後期高齢者医療制度が創設された。保険者は都道府県単位の広域連合で、財源の5割は税金、4割は保険者の支援金、1割は加入者の保険料である。

 前期高齢者(65〜74歳)は、従来通り国保か被用者保険に加入し、高齢者の加入割合の格差を是正するため、被用者保険は納付金を拠出することとなった。納付金は加入者の総報酬から人頭割になり、加入者の所得水準が低い場合は納付額が上昇した。2010年度の改正で、健保組合・協会けんぽ間では総報酬に変更された。

 新制度での後期高齢者の保険料は、各加入者により上下した。国保に加入していた8割では、世帯主の場合、居住している市町村の所得水準や医療サービスの利用度が都道府県平均に比べて高いか低いかにより、家族の場合は個人として新たに徴収される保険料と世帯の応益額との兼ね合いで、新制度での保険料が上下した。

 扶養家族として被用者保険に加入していた2割では、新たに保険料を徴収され、負担が増した。特に被用者保険本人であった2%の後期高齢者では、保険料が5倍以上となった。

 保険料負担が増えた者への対応として、応益部分に対する減免を7割から9割に拡大したため、最低保険料の全国平均は、徴収に要するコストを下回る月額350円となり、加入者の自己負担は1割のはずが7%となった。

 また、「後期高齢者」という言葉への反発もあって通称を「長寿医療制度」とし、年金からの保険料天引きは一定の条件で選択性になった。75歳以上だけに対する診療報酬は、「終末期医療相談支援料」が強い反発を受けて2カ月で凍結されたのをはじめ、2010年度改定で全廃となった。

改革会議の提言と現状の課題

 後期高齢者医療制度に対するこのような社会の反発が、政権交代の大きな要因となり、民主党は高齢者医療制度改革会議を設置した。後期高齢者医療制度を推進した人は委員から外され、最終報告のタイムリミットも設けられており、制度廃止のための会議であった。各委員からの要望は、それぞれの立場から負担を軽くしてほしいというもので、全員が合意できる対応は一般財源(税)の負担を上げることであった。

 示された改革案の第1段階では、75歳以上は世帯主と同じ保険(国保または被用者保険)に再加入し、元通り世帯単位にする。ただし、国保は都道府県単位とし、保険料徴収は市町村が行い、都道府県に納める額は2方式(所得による応能と均等割の応益が半々)で計算する。

 第2段階では国保の都道府県単位の統合を行うが、市町村により保険料計算の根拠となる所得の捉え方が違うため、被用者保険よりも統合が困難となる。より基本的な課題は、最も財政基盤の弱い国保に75歳以上の8割が再加入すれば泥舟になるということである。

 現状では、依然として保険料の階層間格差(保険料率は大企業・公務員 中小企業 国保)、階層内格差(健保組合間では2007年で3倍、国保間では5倍)が存在する。なぜそうなったかというと、被用者保険では、加入者の所得が高ければ保険料率は低下するので、そのために保険加入を正社員に限定し、できるだけ非正規雇用者を活用してきた。国保加入者は、1965年には42%が農林水産業だったが、2008年には農林水産業4%、無職(年金生活者含む)40%、被用者(非正規雇用)34%と、構造的に変化した。また、市町村の国保は被用者保険の退職者を把握できず、国保に加入すれば未払い分を2年間納める必要があることから、3割の自己負担で加入するインセンティブが乏しく、無保険者が増加した。このような状況では、税による補填と財政調整はともに限界である。

 また、医療費は年齢とともになだらかに増加するもので(図2)、高齢者と若人(非高齢者)という区分は望ましくないのに、二分することで世代間の対立が先鋭化し、高齢者の医療費をいかに負担するかで改革論は終始してきた。

(図2)

 さらに、高齢者以外の低所得者への対応が不十分で、高齢者の9割に自己負担の減免が適用されているが、同程度の所得の若人には減免は適用されない。

 何より、相互扶助・連帯の範囲が同じ職場・地域に留まっているため、他の保険の加入者に対する無関心・拠出に対する被害者意識が生じている。

 現状では1国3制度が併存しており、被用者保険は応能のみ、国保は応能+応益、後期高齢者医療制度は応能+応益で個人単位の加入と、非常に複雑である。そのうえ、3500の所得・年齢構成の異なる保険者が存在し、非効率でリスク分散も不十分であり、それぞれが保険料の抑制を図っている。職場・市町村単位の社会保険制度はもう限界である。

都道府県単位の統合一本化案

 そこで抜本改革私案としては、まず、加入する保険によって保険料率に3倍の格差があってもよいかを国民に問う。次に、同じ都道府県に居住し、同じ所得であれば、年齢・職業を問わず同じ金額の保険料を支払うというビジョンを国民に提示する。そして、全ての保険者を都道府県単位に、順次統合し一本化する。加入者側要因(所得・年齢構成など)による都道府県の負担能力の格差には、国の責任で対応する。供給側要因(医師数、病床数など)による都道府県の医療費の格差には、住民の保険料で対応する。医療の9割は同じ都道府県内で完結しているので、地域医療計画における知事の権限を強化する。

 私案達成へのロードマップとしては、まず国保の賦課方式を標準方式に統一し、市町村の一般財源からの補填を順次廃止する。また、加入者の所得が高く、年齢が若ければ拠出、逆なら交付を行い、被用者保険・国保それぞれにおいて年齢リスク・所得構造を調整する。この際、年齢調整は5歳階級で行う。これにより保険料が平準化し、合併しやすくなる。次に、国保を都道府県単位に統合し、被用者保険は協会けんぽを核に再編統合する。

 実務的課題は実務的対応により解決していく。社会保障総背番号制度を導入し、給与のほか年金、資産所得も含め、所得捕捉を徹底する。保険料の賦課方式は、応能の定率負担に統一する。国保の加入者数に応じた追加的な保険料負担を廃止し、代わりに世帯構成員全員の収入をベースに賦課する。被用者保険料の事業主負担分は被用者の給与の一部なので、保険料相当額を一律加給する。保健等の事業については、職場固有の保健事業のみ職域で行う。

 後期高齢者医療制度は反発を招き、廃止の方向が打ち出されたものの、改革は難しい。国民にビジョンを提示し、全ての保険者を都道府県単位に統合一本化する抜本改革私案が正道であると考える。

質疑応答から

■全国一本化の見込みについて

 Q1 保険医協会は「医療制度改革提言2005」の中で、医療保険を国として一本化することを主張した。先生のお話にあった年齢リスク調整と所得構造調整で、一気に国単位の統合まで展望が開けるのではと思うがいかがか。また、所得捕捉との関係で挙げられていた社会保障総背番号制度に対しては、国民には漏洩問題など危機感があるが、それ以外にはないのか。

 A1 国への一本化の問題点として、診療報酬を含め、国の統制があまりにも行き渡りすぎて、何かをするときに小回りが効かないことが懸念される。ある程度、地域特性に応じた医療のあり方や保険料設定の仕方があっていいのではないか。道州制を主張する人もいるが、実現性が乏しい中では都道府県単位が適切である。よりよい医療システム再構築の原動力として、各都道府県に保険者としての責任を持つことが重要と考える。そうでなければ都道府県に財源の裏付けがないので、ほとんどの医療計画は机上の空論になる。救急や地域包括ケアの問題を考えても、一律の制度のもとでは決してよいものはできない。

 背番号制については、政府への不信は根強いが、先進国で背番号制がないのは例外的存在である。銀行預金をするときに背番号の申告を義務付けるなどし、税や保険料の徴収に対する公平感を実現しなければ、負担増に対する国民の理解は得られない。漏洩を恐れるなら、「心配だからやらない」のではなく、漏洩に対処する方法を考えるべきである。

■医療団体の役割は

 Q2 医師会や保険医協会は、国民皆保険制度や医療制度改革にどの程度寄与しているのか。また、これからの保険医療制度を検討する場に、医師会や保険医協会は呼ばれているのか。

 A2 歴史的に見て、医師会は戦前には国保に反対していた。保険者が医療機関を設置し、保険者が望む形での医療を提供することに対して、医師団体として容認しがたいということであった。それが現在の保険医協会にどうつながるのかは、私の範疇を超えているのでお答えできない。

 現在、皆保険が危機に瀕している。保険医協会が「保険医療を行うことを前提とした医師の団体」であるならば、無保険者問題をどうするのか。三十代非正規雇用ならば(決して推奨するわけではないが)無保険が合理的選択という状況である。現状では医療保険が三つの制度に分立しているため、保険料を払っていない人がどこにいるかわからない。このあたりを、保険医協会の一つの活動方針としていただければと思う。

 日本医師会は後期高齢者医療制度に賛同したが、三上氏は当時の理事ではなかったという立場で、高齢者医療制度改革会議の委員になられている。保険医協会からは委員は出ていないのが現状である。

■高齢者の負担について

 Q3 医療保険をめぐっては、先生のお話にあったように、高齢者と若人との世代間対立をあおるような政策が行われてきた。戦前・戦後苦労してきた高齢者を大切にし、医療費の負担を軽くするような、温かい社会保障のあり方について、先生のお考えを伺いたい。

 A3 私は、高齢者だから大事にしてほしいということには反対である。高齢者は負担なし、若人は3割負担となれば、逆に世代間の対立を深めることになる。戦前から苦労してきた高齢者に特別な対応をするというのが、1973年の老人医療無料化の原動力だったが、当時は人口に占める65歳以上の割合は7%しかなかった。現在は22%、間もなく30%になろうとしている。弱者を優遇することはできても、人口の3分の1を占める高齢者を一括りに優遇する政策には反対である。

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