忘れ得ぬ症例 初心忘れるべからず
松尾 敏(中京西部)
今回理事に就任した時に、「忘れえぬ症例」とのタイトルで文章を書くよう依頼されました。誰にしようか、症例報告のように書くのも場違いかなと、思い悩んでいるうちに締め切りを過ぎてしまいました。
開業するまでに20年間勤務医をしていた時に、何人かの受け持ち患者さんが亡くなられました。小児科では、患者さんが死亡されることは滅多にありません。それだけ記憶に残りますし、亡くなられた子どもたちから学んだことは、本当に沢山あります。せっかくの機会ですので、亡くなられた子どもたちをもう一度思い出して、徒然書くことをお許しください。
私が医者になって初めての日、今日から受け持ち患者さんとして紹介された小学校高学年の男の子。急性リンパ性白血病で何度も再発し入院。母からは、「先生が大学に入学する前からこの子は病院にいる」と言われ、「採血点滴の練習台にはさせへんで」とも。指導医の先生からは「この子の処置は僕がするし、特別やから。早くお母さんと仲良くなっといて」と。今は悪性腫瘍の子どもたちはほとんど中心静脈から治療も採血もできますが、当時は採血や点滴ルートを末梢から必ず取らねばなりませんでした。大学病院で抗癌剤治療を繰り返した子どもは、ほとんど末梢血管がなくなっています。点滴ルートを採るのに1時間から2時間かかることもまれではありませんでした。そんな子ですから母も私のような新米に、うちの子の採血点滴ができるはずないと分かっておられたのです。
毎朝採血室で大人の採血をさせてもらい、同級生や若い指導医の先生にも練習させてもらい、普通の子どもなら何とか処置ができると自信が持ててから、上手な看護師さんに「この子の血管はここからこの方向にあるけど深めに刺すように」と教えてもらい、一発で採血成功した時はとてもうれしかったし、採血された子のうれしそうにニッコリ笑ってくれた顔を、今でも覚えています。亡くなられたのは私がNICUに入り、同級生が主治医の時でした。カンファレンスで血液グループの先生が、この子は助からなあかん子やったのに、某病院で血小板減少性紫斑病としてステロイド治療を開始されたあとに、白血病と判明し大学に送られて来たから、治らなくなってしまったと。最初に正しく診断することの大切さを教えてもらった症例でした。それから15年後くらいに第二日赤で勤務していた時、「おぼえてる〜?」とお母さんが外来に訪ねてこられました。「先生評判ええで。いいお医者さんになって、私も見てほしいわ〜」と冗談っぽく言われました。「そりゃ無理やわ」と笑って答えましたが、懐かしいと同時にうれしかったです。
あと何人か亡くなられた子どもを思い出していますが、1人で制限字数オーバーしました。他の子の話は、またの機会に。