特集 地域紹介シリーズ18 舞鶴和衷協同  PDF

 協会は、地域紹介シリーズ第18弾の「舞鶴」座談会を舞鶴メディカルセンターで5月24日に開催。出席者は舞鶴医師会会長(当時)の梅原秀樹氏、堀澤昌弘氏、隅山充樹氏、法里高氏で、舞鶴の地域医療の現状について語っていただいた。協会からは吉河正人理事が参加し、司会進行を務めた。

医師同士の親睦深める伝統脈々と

軍港として発展した町と医療
 吉河 舞鶴といえば、私たちの世代だと、港町、しかも旧軍港、鎮守府があった港町というイメージです。まずそのあたりからお話いただければ…。
 梅原 舞鶴市は西舞鶴、中舞鶴、東舞鶴の三つのエリアに分かれています。各エリアは山で隔てられてます。西舞鶴地区は、かつての細川家の城下町でした。現在田辺城跡が公園となっています。これに対し中舞鶴は、舞鶴に軍港ができたときにそこで働く人たちが住む町になりました。東舞鶴もかつては寒村でしたが、軍港ができて栄えていきました。同じ市といってもそれぞれ成り立ちは違います。
 市内には公的病院が四つあります。独立行政法人国立病院機構舞鶴医療センター(旧国立舞鶴病院)、国家公務員共済組合連合会舞鶴共済病院、市立舞鶴市民病院、舞鶴赤十字病院です。人口10万人に満たない市に大きな病院が四つもあるのも、他市にはない特徴でしょう。各々の病院の成り立ちは、医療センターは海軍の病院として、共済病院は海軍工廠、つまり海軍の工場で働く人たちの病院として、日赤は戦後の引揚げ者に対して尽力されたという経緯があります。また市民病院ももとは海軍軍人の家族の病院としてつくられました。つまりいずれも旧日本海軍に関わりのある病院ということになります。
 堀澤 市民病院は、2004年の医師の大量退職問題以降、大変危機的な状況に陥ったんですが、今の多々見良三市長になってからの政策で、西舞鶴地区に全100床の完全医療療養型の病院として移転、再開されました。100床のうち常に97~8床は患者さんが入っておられる状態で稼働していると聞いています。

病院の特色の背景と弊害
 吉河 舞鶴では病院ごとの特色がはっきりしているという印象があります。この特色はずっと以前からのものなんですか。
 法里 医師の大量退職問題で市民病院の機能が他病院に移管したり、業務を一時民間に委託することになりました。それ以降、自然と住み分けがはかられていったと思います。私の勤める医療センターでは脳卒中とNICUを中心とする新生児側の周産期医療、それに精神科病棟を抱えます。
 共済病院は心臓外科と循環器がメインで、透析等を抱えて泌尿器科も重点的にやっています。日赤では整形外科、とくに脊髄、そして回復期リハに対応する急性期部門も持っています。そして、市民病院は医療療養型施設となっています。
 ですので、医療センターには産婦人科医は1人しかいませんし、整形外科はありません。市民病院以外の3病院に共通してあるのは外科、消化器内科です。かつては人口も多く、患者さんが他市から来られることもありました。しかし現在、医師の配置という点ではこれだけの病院があるのは非効率ではないかと思います。50年前の市の人口は10万人でしたが今は8万数千人に減っています。
 梅原 開業医から見ると、市民病院は別としてもこの3病院は、それぞれの特色がはっきりしているので、患者さんを紹介する際に非常に便利です。
 隅山 ただ、紹介に関して言いますと、医療センターの内科は全部事前予約制なので、大変難儀しています。
 法里 率直に現状を言いますと、内科系専門医が少しずつ減っていっています。それで多臓器のいろいろな疾患が急性増悪した患者さんを開業医のみなさんから紹介していただく場所がだんだんなくなっている。それで外来をすべて紹介制、予約制にしています。
 堀澤 行政などが地域医療を舞鶴とか福知山とかの単位で見ておらず、中丹医療圏としてしか考えていません。たとえば血液疾患の場合、舞鶴にはなくても福知山に行ったらよいではないかとなる。中丹医療圏全体で充足すればよいという発想です。

医師の配置をどう効率化するか
 吉河 それぞれの地区にある病院だけですべての疾患をカバーするのは難しいと思います。福知山市民病院でも、最近脳外科が再構築されましたが、それまではどうなっているのかという不安がありました。
 法里 それについても一方で、ある意味医師の非効率な再配置が行われたとの見方もあります。人口割合から見て、医師を1カ所か2カ所に固めたほうがよいこともあるんです。これは地域医療構想の範疇のことなのかもしれませんが、なんらかの調整をすべきだと思います。疾病構造は変化し、人口が減っている中、地区ごとに一生懸命態勢を整えたとしても、4、5年先には現状にマッチしていない可能性もあります。
 梅原 舞鶴と綾部、福知山で連携するにしても、どのレベルですべきでしょう。市レベルなのか、府レベル、あるいは医師会レベルなのか。
 法里 二次医療圏ということになると府レベルではないですか。しかしそれを府に言うと、「地域でやって下さい」と絶対言われます(笑)。
 堀澤 京都市内と乙訓地域は、人口10万人あたり医師数が420人を超え日本で一番多く、中丹地区は200人ちょっと。中丹も数字だけ見ると多いように見えます。しかし舞鶴と綾部、福知山の間ではけっこう乖離があるんです。丹後では160人ほどですね。
 法里 丹後は数が少ない分、効率のよい医師の配置にはなっています。逆に平均を上回っていても、ベッド数が多かったり病院数が多かったりすると、ものすごく非効率になります。
 吉河 一時、4病院を統合しようという話がありましたが、どういう議論だったのですか。
 梅原 動き始めたけれど、実を結びませんでした。各病院の経営母体が違うわけですから、そういう点で実現しなかったんだろうと思います。
 堀澤 発想はよかったかもしれませんでしたが、あの時期、そのまま進めていたとしてもうまくいっていたかどうかわかりません。なんとも言えませんね。
 吉河 今までのお話をお聞きして、統合は無理だけれども各病院の連携を強めていこうということになり、現在その一部は実を結んでいるんだなと感じました。

開業医と勤務医との関係
 吉河 ところで、舞鶴で開業されようと決めた思いはどのようなものでしょう。
 梅原 私は舞鶴に特別な思いがあったわけではないです(笑)。生まれた土地ですし、両親もいましたから帰ってきました。
 先ほども出ましたが、舞鶴の各病院の特徴は、非常にクリアです。だから患者さんを紹介しやすい。開業医にとってありがたいことです。
 堀澤 私は父も祖父も外科医としてこの地で開業していたので、自分もなんとなく外科医になり、十数年で帰ってきました。今の私の年齢ですと、10年先のことを考えてもしかたがないので、大きな手術をするわけではありませんが、自分の専門をとにかく一生懸命やっていく、それだけです。かかりつけ医とか在宅とか、さかんに言われていますが、自分の得意分野に特化してやれるだけやっていこうと思っています。
 隅山 私は産婦人科医でして、親父も産婦人科医です。私が舞鶴に帰ってきた頃は市内でも産婦人科はたくさんあり元気だったんですよ。そこに私が産婦人科医として帰ってくると潰し合いになる(笑)。それでいったんは市内で勤務することになりました。ところが、その後お産をする人が少なくなり、産科のみなさんも辞められていきました。それで私も「内科・婦人科」という形で開業に至りました。
 開業してみますと、舞鶴では病診連携、病病連携、診診連携がわりとうまくいっていると感じます。みんな仲がよいですし、開業医同士も非常に患者を送りやすいと思います。そのことにはとても助けられています。
 吉河 舞鶴医師会には比較的、勤務医の先生方が多く入っておられますよね。
 堀澤 病診連携、病院と開業医が顔の見える関係をつくろうというのが、舞鶴医師会代々の会長のポリシーなんです。毎年、医師会の総会後には、病院と開業医との懇親会を開いています。あるいは、たとえばゴルフコンペなどをするにも、病院の先生にも案内を出して参加を呼びかけています。顔が見えると紹介もしやすいし、お互いになにかあったときにも頼みごとをしやすいですからね。
 法里 病院でも医療センターでは、医長以上は自動的に医師会に入会するようになっています。懇親会の場にも他の病院には負けないくらい大勢参加するようにしていますよ(笑)。他の病院もそういうことになっているんじゃないでしょうか。
 梅原 「二十日は つ か会」というものがありましてね。西部班、東部班それぞれが毎月20日前後に食事会をやっているんです。そのときには医師会からの報告や連絡事項を伝えて、あとは会食するという会です。西部班では幹事は各会員が順番で担当しています。私が開業する以前から行われているんです。この二十日会も、お互いの情報交換には非常に役立っていますね。
 隅山 もともと毎月20日は市内の市場がお休みだったんですね。それで連れ合いが大変だろうということで、その日だけはみんな外で食事しようということになったのが始まりです。それで二十日会。
 堀澤 東部班では幹事は順番制でなく固定制です。数年前から東舞鶴の医療センターと共済病院の院長にも参加していただいています。理事会からの報告のあと食事をしながらいろんな話をします。やっぱり開業医同士も顔が見える方がいいんですよ。たとえば内科ではあそこの医院にかかっていた人が膝痛でこっちに来るとか、重複してかかられる患者さんはたくさんおられます。そういうとき、病診だけでなく、開業医同士顔が見えている方が、なにかあったときには連絡をしあったりできる。
 隅山 最近は出席率が以前よりかなり良くなっていますよね。情報交換ができることが大きいのだと思います。地域の飲食店にも微力ながら貢献しています(笑)。
 堀澤 酒癖が悪い人がいるとかないませんけどね(笑)。東部にはそういう人はいないけど(笑)。
 法里 年配の方がおられるとだいたいお叱りを受けるんですけどね(笑)。

病院同士の連携
 吉河 病院間ではどういう交流がありますか。
 法里 われわれのところから泌尿器の病気で日赤の外来に行くとか、あるいは共済病院に眼科で外来に行くとかというように、医師間のやりとりはもちろん、科によってはカンファレンスをやっているところもあります。
 現場の科同士では連携は強くなってきているんじゃないでしょうか。
 ただ、それでもうまく連携が成立する場合としない場合があります。気をもむところではあります。ひとつの病院だけですべてをやるには機能的に少ない。しかし、お互い協力しながらであれば、十分機能を果たすことができるという時期にきている感じです。
 隅山 市民病院がものすごく頑張っていた時代は、各病院が競って患者さんを受け入れていました。舞鶴はどうせなら大きな病院で診てもらいたいという意識がすごく強いのですが、そういう大病院受診志向を形成するひとつの原因になったのかもしれませんね。

大学入試の「地域枠」 は有効か
 堀澤 話は変わりますが、札幌医大では地域医療に従事する意向がある地元出身者を優先的に入学させる「地域枠」やそれに準じる枠が、全体の8割を占めるそうです。一方で、京都は1割以下です。8割とまではいかないにしても、せめて5割くらいまで上げてくれれば、20年30年先には北部の医師数も足りてくるのではと思います。
 隅山 地域枠を増やせないかということはよく議論になりますが、実際のところ、地域枠を増やせば定住する医師は増えますかね。
 法里 学生がまず地域枠の意味をしっかり自覚しているかというと、必ずしもそうではないように思います。一定期間この地域で勤務する義務があるという感覚をあまり持っているように感じません。北海道などでは本当に地域医療構想などから求められる医師の適正な配置をしないことにはやっていけないわけですが、京都の場合は人口10万人あたり医師数は全国平均を上回っている。そういうこともあり地域枠の自覚はあまり強くないんではないでしょうか。
 隅山 自治医大に頑張ってもらおうという話もありますね。
 法里 自治医大の先生方にはずいぶん貢献していただいています。医療センターにも5人ほどおります。地域医療に対する考え方も教育されています。逆に、自治医大出身の先生方は、ジェネラル医としてやっていこうとされている方が多いので、専門医になることに対して少し抵抗感を持つことがあるようです。それでも毎年2人ずつは増えていくわけですから、施策的なものとして今後も考えてもいいように思います。少なくとも「地域枠」の人たちよりは、地域医療に対する理解、実際の取り組みについてはしっかりしていますね。
 吉河 自治医大の卒業生でも各都道府県に戻ると、自治体では扱いが違ってくるようですね。京都の場合は京都府の職員になると聞いています。
 法里 その人たちが専門医と博士号の資格を得るのもまた難しい問題ですね。医療センターには自治医大出身者として京都で初めて脳外科専門医を取った人がいます。その人の場合、義務年限の間での専門医資格取得には、なかなか難しいことがあったようです。
 吉河 地域枠も、大学によっては卒業後のへき地医療にかなり温度差があるようです。私もどこで働くかは本人の自由ではないかと思いながらも、実情を考えると、緩やかでももう少し何らかの枠がないと現状を変えることはできないのではと考えてしまいます。悩ましい問題です。
 法里 地域偏在の問題は難しいですね。専門医取得とへき地医療の問題を整理する必要があると思います。
 堀澤 医学部の定員はここ十数年で約2千人増えているわけでしょ。それなのに結果が出てこないのは、結局みんな都会の特定の科に行きたがる人が多いということなんでしょうね。

在宅医療と地域の現実
 吉河 舞鶴では開業医の先生方の場合、たとえばご子息が帰ってこられるということは多いんですか。
 堀澤 東部班ではここ3、4年で3人か4人帰ってこられていますね。
 隅山 西部班は厳しいですね。
 堀澤 医院継承のために帰ってこられる方もおられますが、年老いた両親の面倒を見るために60歳を過ぎて帰ってくるという感じなんですね。また、舞鶴の出身だけれども、出身地とは別の地区で開業される方もおられます。
 吉河 北丹地区でお話を聞いても、子どもが医師にはなっても帰ってくることが全然ないそうです。新規開業する方は時々おられるようですが。後継者に関しては非常に厳しいと聞きます。将来のことを言い出すと厳しい話ばかりになりますね(笑)。今は結局は、どの地域でも人の問題が最大の問題ということですね。
 堀澤 そうですね。たとえば在宅医療を将来担えと言われても、私らが10年先に在宅医療ができるとは思えませんからね。その頃にそれを担える、その時点で60歳代前半くらいまでの人がどれだけおられるか。
 吉河 本当に在宅って増えていくのでしょうか。私のところは福知山の周辺部の過疎地域で、2025年どころか2030年から40年頃に近い高齢社会を先取りした地域です。周りを見ても在宅療養の方は実際には減る一方なのが実情です。
 堀澤 施設に入所するほうが家族は楽ですよね。1回ショートステイを利用すると、次は3カ月入れて、その次は特養に入所するということになるでしょう。
 吉河 周辺部になると、在宅を支える介護サービス提供体制の整備も不十分なので、家族への負担が重くなる。とくに独居、高齢夫婦、老老介護のケースが増えていくばかりですから、そういう状況で在宅でと言っても現実離れの政策だというのが実感です。一方施設のほうは、大都会に比べるとベッドに余裕がある。ただし、いっぱい作り過ぎたので、ベッドはあるが動かす人員がいなくて受け入れられないという施設も周囲にはたくさんあります。それに施設に入る人自体の数が減り続けている。
 梅原 舞鶴はそこまではいっていないですね。私も在宅訪問診療をやっていますが、最終的には家族がみることができなくなって、施設入所を希望されることが多いです。もちろん在宅で看取ることもありますが、徐々に介護の負担が重くなっていきますからね。家族の疲弊度をみて入所施設を探すと、全然見つからなくて困ったという経験はないですね。少し待てば空きが見つかる。
 吉河 行政の会議などに出ると、特養待機者がまだ何人いるといった議論がいつも出てきます。でも肝心なのは、実質的に待っている人がどれだけいるのかということです。待機者の中には、とりあえず特養入所を申し込んでおこうかという方がものすごく多く、しかも近隣の施設全部に申し込んでいる方もおられます。そういった人の場合も含めて延べ人数で「待機者」ということで行政は数字を出してくる。
 実際、私が嘱託で診療している施設でも、空きができたので事前に入所の順番をリストアップしている申込者に連絡してみると、「いや、入所はまだいいです」(笑)と。それでも、待機者が多いからベッドをもっと整備すると行政は言うのですが、今現在あるところも動かすスタッフがいないために稼働できていないのに、さらに増やしてどうするのか。

医療は地域産業だ
 法里 話は変わりますが、医療センターには付属の看護学校があります。そこの学生数を保つのが厳しくなってきています。人材の「地産地消」と言いますが、実際のところ現状ではさほど地域に還元できていません。ただし、医療センターで卒業生の半数くらいは雇いますし、ある程度経つとその人は地域の医療機関に転職されるので、付属の看護学校出身のナースは地域にけっこういると思います。
 堀澤 うちの職員にも1人います。付属看護学校を出て結婚し、子どもを産む。その後、当院で勤めるようになった人です。しかし、新卒の人が地域の診療所に就職することは考えられませんし、その人のためにもならないと思います。
 法里 卒業生はある一定の時期まで病院にいて、その後地元人として「地産地消」で地域に戻る。
 堀澤 開業医に行ったり特養に行ったり、療養型医療施設に行ったり…。
 法里 今後はおそらく包括ケアに人材が流れていくことになると思います。ですから地域で運営する看護学校を作ることができないかと思うのです。ダイレクトに地域の病院が看護師さんを確保しようとなると大変でしょう。みんな都会へ行ってしまう。充足率は60%前後です。われわれのところはたまたま付属の看護学校があるから充足率は高いですが、他の病院は困っています。
 ですので、地域の人口動態を含め、一産業として医療従事者を「地産地消」で確保するという考え方で、行政も巻き込んで看護学校を支援してほしいんです(笑)。医師もそうです。地域医療構想で求められる適正な配置をしようとすると、「地産地消」じゃないとこれからは無理かもしれません。
 吉河 福知山医師会では今も准看護学校を運営しています。医師会の看護学校を卒業した准看護師が市民病院の看護学校に進学して正看護師となり、卒業後は「地産地消」で地元に残ってもらうという形が理想的です。それで福知山市民病院の看護師の充足率は相対的に良い状態を保っています。そういう意味では養成機関のありなしの影響は大きいですね。
 堀澤 現在市内には看護学校は2校ありますね。医療センターと日星高校の看護科。
 法里 日星高校の卒業生は日赤や共済病院に入っていると思います。医療センターの卒業生は半分はセンターに入り、2~3割は他市の国立病院機構内の病院に入っている。ですから地元への貢献度合いは60%くらいです。これをもっと地域で働いてもらえないか。たとえば市から奨学金を出すとか。医療は地域のひとつの産業と考えて援助してもらいたいです。

過酷な労働現場をどう乗り切る
 梅原 看護師、事務職員の定着率は高いですね。私のところもここ十年以上定着してくれています。
 堀澤 辞める人は3、4カ月で辞めるし、そこを過ぎた人はあまり辞めないのではないですか。子育てでいったん辞めても落ち着いたらまた働きだす。
 吉河 生活の場が地元に根ざしている人なら、他所に動くことは少ないのかもしれませんね。開業医は夜勤がありませんが、3交代にしても2交代にしても夜勤は若い人でもけっこう嫌がるようです。病院は夜勤があるから嫌なので、それで開業医に来るというケースが最近増えていると聞きます。
 法里 でも以前の3交代勤務よりは今の2交代制で楽になったとはよく聞きます。勤務日数が減るし、まとめて休めるからだそうです。
 堀澤 夜勤手当は働く人にとっては魅力的ですよ。これで家計を支えるという人は多いです。夜勤する公的病院の看護師さんと同様に給料を稼げる人は、地方では、公務員、教員をのぞけばあまりいないと思います。ですから旦那さんより多く稼いでいるという人も珍しくないです。
 吉河 だけど、はじめは夜勤を嫌がるケースは多いみたいです。職員の頭数は揃えても実際のところかなり厳しいというのは医療も介護も同様のようです。その上、これから法律に基づき、医師も働き方改革をしていかなくてはなりませんが、どういうことになっていくか(笑)。
 梅原 私も若い時は当直はよくしていましたけど…。
 法里 いや、そういうことは今は絶対言ってはいけないんですよ(笑)。わしらの時代は…というのはダメです(笑)。
 梅原 そうか(笑)。
 吉河 本日は、ところ変われば…というお話をたくさん聞かせていただきました。ありがとうございました。

梅原 秀樹 氏
舞鶴医師会 会長(当時)
医)梅原医院 院長

隅山 充樹 氏
舞鶴医師会 副会長
隅山医院 院長

法里 高 氏
舞鶴医師会 副会長
舞鶴医療センター 院長

堀澤 昌弘 氏
舞鶴医師会 会長
医)堀澤医院 院長

吉河 正人 氏
(司会・協会理事)

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西舞鶴にある田辺城跡

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