続・記者82  PDF

読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平

「しごき思想」の害悪

 人には厳しくしたほうがよい、甘やかしたら人間は怠ける――という考え方がある。
 「しごき思想」と筆者は名付けている。この思想は日本社会に根強く存在し、広い範囲に悪影響を及ぼしている。
 苦しくても我慢しろ、とにかく必死に努力しろ、泣き言を言うな、限界まで頑張れ……。しごき思想を持つ人々はそんなふうに要求する。彼らは「甘えるな」「愛のムチ」といった言葉を好む。
 典型的なのはスポーツ関係である。厳しい言葉を投げつけ、必要以上に過酷な練習を課す。時には体罰を加える。
 学校や塾や家庭でも、いわゆるスパルタ教育の信奉者は少なからず存在する。
 職場でパワハラが起きる背景にも、しごき思想の土壌があることは多いだろう。
 そういった現場のことがらだけではない。社会的な問題のとらえ方にも、しごき思想は関係している。
 近年は、社会的弱者をたたく風潮が強い。経済的に困っている人々や生活保護の利用者に対して「甘えるな」と非難する。糖尿病や人工透析のような病者にも「医療費を全額自己負担させろ」といった攻撃が行われたりする。
 なぜ、しごき思想が広まったのか。仏教の一部にある修行主義が関係しているのか。それより、戦前の軍部の組織体質と彼らが広げた精神主義の影響が大きいのか。
 一つ言えるのは、しごく側の権力性である。監督と選手、教師と生徒、上司と部下といった力関係があるからこそ、しごきが可能になる。言われた側は逆らえないばかりか、それを受け入れて、自分の価値観に採り入れてしまうこともある。社会的な問題でも、反撃しにくい弱者がターゲットにされやすい。
 そうやって権力をふるう側は、優越感を得ている。ストレスのはけ口にもなる。支配と利権を維持するために利用していることも多い。
 厳しくつらい状況に人を追い込むことが、良い成果をもたらすというのは、思い込みにすぎない。辛抱と努力を自分に課するのは自由だが、条件の違いを無視して他人に要求し、他人を責めるのは、はなはだ迷惑なことだ。
 精神論を強調するのは、科学的な分析、技術的な助言、心理的な援助をする能力が乏しいからでもある。
 特に人間心理の理解は重要だ。きつい言葉を受けた人が何くそと発奮するというのは、まれなことだ。勉強でも仕事でも、否定されたら気分が落ち込んでしまう。
 人は、自分を認めてほしいものだ。努力や工夫を評価する、小さな成功体験を積み重ねるといった方法で、前向きの気持ちを高めるほうが、はるかに効果が高い。
 障害者や生活保護の人の就労支援は、働けと迫るのではなく、自信と意欲を高めてこそ、うまくいく。アルコール・薬物のような依存症の治療や生活習慣の改善でも、将来の危険を強調して脅したり、失敗を責めたりするのではなく、失敗につながるきっかけを探りつつ、小さな目標達成を継続することが大切だ。
 人を否定したがる文化から抜け出し、人を勇気づけるアプローチを広げたい。

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