第2部 協力しあう関係強化し医療者のスクラムがっちりと  PDF

医療施設は充実しているか

――綾部市立病院の前身はグンゼ病院で、1972年に企業内の病院として設立されたものが一般開放され、1990年に綾部市立病院となったということですよね。
 鴻巣 1990年7月31日にグンゼ病院が閉院したのと同時に、市立病院が開院しました。入院患者さんもグンゼから引き継ぎました。それで今でも高齢の方の中には、市立病院のことを「グンゼ病院」と呼ぶ方もおられますね。
 普通、病院の開院といえばゼロからのスタートとなりますが、市立病院の場合は、診療エリアもそのまま、スタッフも多くを引き継いでのスタートでした。その点、経営的にはうまくスタートできました。むしろ患者さんが多く来すぎて制限するくらいでした。
 市立病院の開院前の状況は、何かの手術をしようとしても、みんな舞鶴や京都市内の病院まで行かなければならなかったようです。急性期の医療ができていなかった。当時の市長が全部は無理としても、ある程度は地元で医療ができるようにしたいと考え、市立病院建設が計画されたと聞いています。
 ところで、綾部市立病院は、名前こそ市立病院ですが、設立主体は第3セクターの財団法人なんです。病院開設には国の許可が必要となりますが、自治体の名前で申請すると赤字を理由に許可を得るのが難しいということで、公設民営という形での設立になったと聞いています。今は逆に、自治体病院の改革方法の一つとしてこの公設民営化が注目されるようになっています。関係者の努力は大変だったと思いますが、当時としてはとても賢明な判断だったと思いますね。経営はずっと黒字です。ただし、ここ最近は経営環境が変わってきていますので、非常に厳しいですね。

――1983年に綾部協立病院(現・京都協立病院)、綾部市立病院開院が1990年で、2000年には綾部ルネス病院ができます。市内には病院が充実しているように見えます。実際はいかがでしょうか。
 寺澤 綾部ルネス病院は新しく開設されたものではなく、清和台病院を前身としています。清和台病院から、あらたに綾部ルネス病院として開院しました。ただし、清和台病院の最後はほとんど患者さんがいないという状況だったので、結局は一からに近い形でのスタートとなりました。現在、本院では脊椎外科や透析などに力を入れ、医療を提供しています。
 今の綾部の急性期医療について言えば、中核の医療は綾部市立病院だけという感じですね。本院は、最初は慢性期の患者さんだけでした。現在は科によってはある程度急性期に対応していますが、病院としては救急指定をしていません。綾部だけで急性期全てに対応しようというのは無理なんです。福知山、舞鶴、綾部という中丹地域の中で態勢をとっています。

医療圏内で完結できない深刻さ

――中丹地域での標榜科偏在の問題はどうでしょうか。
 門 京都協立病院は「子どもからお年寄りまで、かかりやすく何でも相談できる」というのがキャッチフレーズですが、特にリハビリに力を入れています。かかりつけ患者の救急患者も受け入れています。
 綾部で足りないのは脳関係でしょうね。集団で脳外科医がいるのは舞鶴医療センターだけです。たとえば、くも膜下出血とか脳出血で手術を要する場合は、基本的には舞鶴医療センターに紹介します。福知山市民病院にも脳外科医がおられますが、舞鶴には集団でおられるので、まず舞鶴医療センターということがほとんどです。
 また、心臓血管外科関係は、舞鶴共済病院へ紹介します。循環器内科は綾部市立病院にお願いしています。
 鴻巣 精神科救急も足りていません。これも舞鶴医療センターになります。また周産期医療も、母体搬送に対応できる施設が中丹地域にはありません。綾部市内で完結できない医療がいくつかあり、今後こういった問題の解決も詰めて具体化していく必要があります。
 門 NICUについては、実は舞鶴ではもっと切実な声があるのではないでしょうか。舞鶴医療センターにはNICUがあるけれども産婦人科医は1人だけなんです。先日の医療センターの勉強会のテーマは「救急医療の崩壊」でした(笑)。びっくりさせられました。舞鶴もかなり大変な状況なんだなあと感じました。

――先日、舞鶴医師会長のお話をうかがう機会があったのですが、小児科医が足りないとおっしゃっていました。
 鴻巣 そうです。舞鶴赤十字病院の医師が辞めて補充できていないと聞いています※。ただ、舞鶴医療センターには7人くらいいると思います。そこが唯一集中治療ができる施設なんです。ここに母子センターができれば理想的なんですが、ドクターの確保をはじめいろんな事情で難しいようです。
 以前から提供体制で議論を重ねているのだから、地域医療構想をつくっていくのであれば、こういったことも話題にあげるべきだと思いますね。病床数をどうするのかということより、はるかに大事だと思います。
 門 救急医療で言いますと、兵庫県の公立豊岡病院のドクターヘリを利用して綾部から豊岡に行く人も結構おられます。一定の条件を満たせばドクターヘリが動くんです。とにかく早いんです。
 鴻巣 豊岡からは15分で来ますね。市立病院の前にはグンゼグラウンドがありますが、そこを行政と企業とがコラボしてヘリが発着できるようにしています。統計を見ますと、京都府北部では、綾部市立病院のヘリポートの発着件数が一番多いようです。
 門 綾部からだと舞鶴医療センターに救急車で運ぶより、ヘリで豊岡まで運ぶ方が速いですからね。綾部の医療は市内だけで完結していないのはもちろんですが、中丹医療圏内でも完結していないということです。しかし、豊岡で入院することになると、家族が大変ですよ。リハビリ目的で本院へ転院してくる人もいます。
 鴻巣 最近上林の奥に常駐するようになってから、脳疾患に限ってですが、患者さんを舞鶴医療センターに救急車で直接搬送できるようになりました。上林から峠を越えたらすぐ舞鶴ですからね。これまでのようにわざわざ綾部中心部まで運ぶことを考えたら断然速い対応ができるようになったのではないかと思います。
 地域の特有の問題にどう連携して対応するか、協議する場があるべきだと思います。本来なら地域医療構想の各論で出てくるべきテーマだと思いますが、今後の調整会議での話し合いに期待しています。
※17年8月1日より小児科外来診療が再開された

「在宅、在宅」と言う前に

――国の方針では、在院数を減らして地域に患者さんを戻し、開業医の先生方に在宅医療を担うよう議論が進んでいます。府が取りまとめた地域包括ケア構想では、中丹医療圏の課題として、在宅診療の受け皿が少ないと書かれてあります。医師数の問題もありますが、綾部では面積的な問題もあります。
 米谷 綾部は、ひょうたんを右に倒したような形をしています。ひょうたんの下の方の広い部分に市街地がある。ひょうたん上部の狭いところがいわゆる過疎地、上林地区です。私の診療所から一番遠いところにある上林地区まで往診に行くと片道1時間近くかかります。すぐに診に来てほしいと言われて、行けるような距離ではありません。「ちょっと夕方まで待ってほしい」と答えざるを得ない。広い綾部だからこその不公平があります。医療の恩恵を十分受けることができない住民がいます。
 開業医を対象に在宅医療がどこまで可能かといったアンケート調査を、綾部医師会で独自に行いました。なんらかの形で在宅医療にかかわれると答えた医療機関は10軒くらい。そのうち、かなり深くかかわることができると回答したのが5軒でした。当時、市内の在宅の患者さんは160人くらいだと言われていました。先般の京都府地域医療構想の中で、在宅医療は将来どのくらい増えるかという議論があり、そこでは慢性期病棟の区分1の患者さんの7割が在宅に戻されるということだったのですが、しかしそれはどうも難しいということになりました。それでも綾部は将来的に100人くらいは増えるだろうと見られています。100人のうちどれだけの人が家に帰り、施設に入るかによって違ってきますが、現在在宅を担当されている先生方の年齢を考慮しても、今後10年先くらいであれば対応できるのではなかろうかという見通しを持っています。しかし、これが20年先となると、かなり厳しくなります。
 寺澤 わずかですが、本院でも在宅医療をしています。病院としては在宅に帰すとなると当然開業医の先生方にお願いすることになりますから、連携して進めていくことになります。施設に入る場合には施設と連携を取ります。リハビリが必要な場合は病院スタッフが患者さんのご自宅にうかがい、状況をチェックしたりもします。そういう意味では、病院としても在宅に力を入れざるを得ない状況だと思います。
 しかし、将来的には行き詰ってしまう可能性がありますね。誰が見ても帰れそうにない人まで在宅ということになりますから。たとえば97歳で独り暮らしの人が肺炎で入院した。肺炎は治っても、独りで歩けない、ご飯もようやく食べることができる、という状態の人が在宅で生活できますか。実際、そういう例も少なくありません。だからといって生活のために病院に置いておくわけにはいかない。そうすると施設に入るということになりますが、施設では医療行為はできない。たとえばたんを吸引しなければならない患者さんだと施設でも無理ということになる。病気以外の高齢に伴う廃用症候群的な問題を行政はどう考えているのか疑問に感じます。受け皿は今どこにもないんです。国は在宅、在宅と言っていますが、どう見ても在宅が無理な患者さんをどうするつもりなのでしょうか。
 門 本院の場合、在宅療養支援病院ですので、何かあったときには受け入れています。夜中の看取りに行くこともあります。在宅医療のバックアップ機能としての役割を果たしています。単身者、患者家族の高齢夫婦がものすごく多いのも対応が難しいですね。また、家族が同居していても生活がかつてとは全然違います。昔でしたら仕事は昼間だけでした。ところが今は夜勤など不規則勤務がものすごく多い。夜間、家族が一緒にいるという前提が成り立たないのです。

綾部ならではの連携体制

――患者さんの医療に対する意識も変わってきていますか。昔は、自分の病気のことだけでなく、仕事のこととか家族のことなど細かな生活のこともお話になる患者さんは珍しくなかったと思います。しかし、最近、京都市内ではプライべートのことまで医師に話したくないという患者さんが増えてきていると耳にします。
 鴻巣 少なくとも入院している患者さんでしたら、生活レベルの細かな情報まで聞いています。この患者さんは在宅でも大丈夫かとか、判断の材料になります。
 米谷 医師の側のキャラクターにもよると思います。ある先生はとにかく話し好きで、ずっと患者さんと話し込まれるものだから、順番待ちしている患者さんは大変だった(笑)という話もあります。私のようにあまり社交的でないものもいる(笑)。
 今は電子カルテが広がって、診察のとき医師はパソコンに向かうばかりで患者さんの顔を見ないことを不満に思っている方も多くおられるようですね。過疎地区の上林地区には不定期で開業している診療所が三つありまして、そのうちの一つに私が行っています。やって来る患者さんはいつも同じ人です。診察では病気のことより、今どんな作物を作っているかとか、ご主人の様子はどうだとか、そういう話が多い。綾部中心部の患者さんに比べてそういう話をすることは多いですね。患者さんと密につながった関係が築けているのは、街中より過疎地域です。

――綾部の中でも地域差があるということですね。
 地域における各病院の連携、あるいは病診連携を進めてらっしゃると思いますが、医師会としての取り組みはありますか。
 米谷 医師会が取り組んでいる病診連携の典型例として、2、3年くらい前から始めている大腿骨近位部骨折の「地域連携パス」です。実際のところ、このパスで診療所に来られる方はあまりいないんですけれども、こういった形での連携を行っています。
 また、だいぶ前のことになりますが、医師会として、在宅医療の窓口をつくりました。在宅を希望する患者さんを窓口で取りまとめて、医師会の先生方に振り分けていくという仕組みでした。しかしこれはやはりマンパワー不足で、1年くらいで立ち消えになってしまいました。今は個々の病院の連携医療室を通して医師会の各診療所に在宅を受け入れてもらえるかの打診を行っているのが現状です。

――先生方は常に顔を合わせておられるようですので、意見交換は日常的に行えているのではないですか。
 寺澤 雰囲気はいいですし、病院も開業医も仲がよいので、これからは何かできるかもしれませんね。
 門 だいたいお互い何ができるか、何ができないかわかっているんです。硬膜下血腫の患者さんはルネス病院で受け入れてもらったり、他の侵襲的処理が必要な救急患者はほとんど市立病院にお願いしています。逆に少し時間がかかりそうなリハビリの患者さんは市立病院からの紹介で本院に来院してもらったりしています。市立病院の整形外科で手術をした患者さんの3人に1人くらいは本院に来ていたのではないでしょうか。市立病院に包括ケア病棟ができてからは人数は少なくなりましたが、患者さんによっては今も紹介いただいています。以前はそれぞれが独立してやっていましたが、今は状況がずいぶん変わりましたね。共存共栄、お互い補い合う方向に変わっています。
 だから、システムとしては地域連携パスのようなものがありますが、それ以上にお互いがどういった医療が提供できるかがわかっていることが大事だと思います。お互い補えないところは舞鶴医療などへということになっていますけれども(笑)。

綾部の未来は明るい?

――医療資源が少ないからこそ、病院間、病院と診療所間で役割分担をされているのですね。最後に、今後、綾部の地域医療を守っていくために、なにが必要とお考えでしょうか。
 鴻巣 市立病院では最近地域連携室のスタッフを増やしました。各関係機関に積極的に出向いていくようにするためです。認定看護師を現場レベルでもう少し増やしていきたいと思っています。とくに連携室が中心になっていろんなミーティングをしています。たとえば病院のスタッフとともに施設のスタッフ、行政なども交えて、課題となる症例について検討する学習会を定期的に開いています。そうした場を通して、現場レベルでの課題が見えてきます。今度からコミュニティーナースにも参加していただくことになりました。コミュニティーナースとは、過疎地などの地方に一定期間住み込んで、生活や在宅医療の支援をする看護師のことです。総務省の地域おこし協力隊事業の一つです。今年度から上林地区で3人の方に活動してもらっています。顔の見える関係をつくっていくことが、綾部で地域医療を守っていくうえで大事であり、一番工夫しやすいところだと思います。
 ただし、問題はさきほどから出ていますが、綾部だけでは完結できない医療をどうするかです。これは中丹レベル、北部、あるいは京都府全体として考えていかないといけない課題です。
 米谷 顔の見える関係づくりでいうと、「ござの会」というのがあります。今から4年くらい前から始まった飲み会です(笑)。
 ケアマネジャー、訪問リハビリを中心にやっている事業所のスタッフ数人が中心になって、綾部で医療・介護に従事している人の連携を強めることを目的とした集まりです。中心になっている人がとても熱い方で、その人に引き付けられて、会は年に3、4回なんですが、毎回数十人くらいが参加するまでになっています。市長が参加することもあります。そこでは通常の研修会では出てこないような本音が聞けたりします。できるだけ長く続けて、綾部の人材がまとまってスクラムを組んでいきたいですね。
 門 そういう顔の見える関係はとても大事だなと実感します。うちの病院でも患者さんを家に帰すのに、ものすごく苦労するケースがあります。介護認定をし直し、ケアプランを作り直すとき、関係者が集まりますが、だいたいその場に来る人って知り合いなんです。だからツーカーでいろんな話ができる。課題はたくさんありますが、そういった意味では安心してお互い頼んだり頼まれたりすることができます。
 寺澤 綾部はとても小さくて、素朴な町です。小さいということは互いに仲良くできてまとまりやすく、融通がきくということでもあります。臨機応変に対応しやすい環境がある。
 話は変わりますが、我が家を建ててもらったのは京都市内の業者でした。京都市内の業者が綾部まできて家を建てるのは大変でしょうと聞くと、京都市内を移動するよりも楽だというのです。市内だと渋滞で込み合い移動時間が計算できないが、綾部には確実に1時間半くらいで来ることができる。京都市内の業者にとって綾部はビジネスチャンスの土地ですよということでした。宇治から来ている本院の勤務医に聞くと、片道1時間20分くらいだそうです。
 交通の便は以前と比べて格段によくなっています。福知山、舞鶴よりもいいんです。綾部は人口が減り、さびれていく町というイメージを持たれることが多いですが、私は逆に将来大きく発展する可能性もあると思っています。人手不足、医師不足と言われますが、京都市内から1時間ちょっとで来れる環境にあるので、小さな町だけに大きく変えていくことができるのではないでしょうか。20年くらい前までは、病院同士、競合しあう関係でした。病院と開業医の関係もです。ところが今は反対に、協力しあう関係に変わっています。ここから何か新しいものが生まれてくると思います。

――最後は明るい話になりました(笑)。本日はありがとうございました。

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