第1部 すべてがほどよい距離感の「綾部」 という町  PDF

グンゼと綾部

――綾部はもととも絹織物業が盛んな土地だと聞いています。また、グンゼ発祥の地であり、大きな工業団地もあります。まずは綾部という地域について、お聞きしたいと思います。
 米谷 私は小学3年生から綾部に住んでいます。綾部にはグンゼと大本という宗教法人の本部があることで知られています。通っていた小学校のすぐ近くに大本の建物があり、それを毎日眺めながら通学していました。大本の信者さんも近くに大勢住んでおられました。現在でも信者さんが診療所に来られることもあります。
 綾部の生糸生産は、私の子どもの頃にはすでに衰退していました。それでも小学校の隣には蚕糸試験場があり、研究は続けられていました。小学校の夏休みの研究課題として、試験場から蚕を何匹かもらってきて繭になるまで育てた覚えがあります。いつの間にかその試験場もなくなり、今は団地になっています。
 グンゼ発祥の地ではありますが、本社は大阪に移り、綾部の社屋は「象徴本社」として残っています。綾部のグンゼにはメディカル事業部というのがあり、溶ける縫合糸や整形外科的な骨接合材、人工皮膚、人工硬膜などを研究しています。現在は20~30億円くらいの規模らしいですが、数年後には80億円くらいまでにはしていきたいという方針があるようです。

綾部の魅力──新しいものに飛びつかない

 鴻巣 私が綾部に来たのは1990年、綾部市立病院設立と同時です。今年で27年目ということになります。出身は千葉県松戸市で、大学は京都府立医大です。京都で働き始めましたが、大学の関係で綾部に赴任することになりました。1984年には丹後の与謝の海病院(現・京都府立医科大学附属北部医療センター)にも赴任したことがあります。私は医療人生の多くを京都府北部で過ごしているんです(笑)。最初はよそ者でしたが、今はもうほぼ地の人間になっています。
 綾部は田舎ですが、人柄のよい人が多いように感じます。住みやすいところですね。適当にコンパクトにまとまっており、いろんな点でコミュニケーションを図りやすい町で、とても気に入っています。
 京都市内との距離感も、電車や高速道路がつながったことで、以前に比べてずいぶん近くなったと感じています。おそらく綾部の土地柄を好んで移住してくる人もこれから増えてくるんじゃないでしょうか。とくに若い人には来てほしいですね。

――綾部市も、「スローライフ」をうたって移住を呼びかける宣伝をよくしていますね。
 門 市の出生数は現在年間200人ほど、死亡者数は500人以上になっていますので、市全体の人口は毎年減っています。ところが、社会増といいますか、学校を卒業して就職などを理由に綾部から転出する人の数よりも、移住してくる人の方が多いそうです。
 寺澤 私は1997年、当初は福知山の病院に赴任しました。福知山市内の借家に住んでいましたが、家を建てかえる際に、福知山、綾部で物件を探しました。その結果、綾部の桜が丘というところに決めました。福知山は大雨のときに水がつきやすい地域なんです。家は長い期間にわたって住むことになるわけですから、家を持つなら標高は少し高いところがよいと思いました。ただ、福知山市内で水がつきにくいような土地は、結構な値段となります。その点、桜が丘はそれほど高額ではなかったし、また市が開発した分譲団地ということで安心できると思いました。
 私は京都府立医大出身で、ずっと京都市内の病院で勤務していましたが、同級生や先輩、後輩が大勢、綾部や福知山、舞鶴などに派遣されていました。ですので、北部に行くということ自体、別に特別のことに感じませんでしたね。
 実際綾部に住んでみると、福知山との違いを感じます。福知山はどちらかというと大阪っぽい。新しいものがあるとすぐに流行っていくというイメージです。これに対し綾部は昔からのものを守り、新しいものが入ってきてもすぐには見向きもしない。なじむのに時間がかかる風土があるのではないでしょうか。
 たとえば、綾部ルネス病院ができて15年以上になりますが、最初の5年くらいは7割くらいが福知山から来られる患者さんでした。綾部の人は病院の近くに住む人も含め、ほとんど来ない。今は大勢の綾部市民が来るようになっていますが、この点でも新しいものを受け入れるまで、時間がかかるようなところがある。ただし、いったん受け入れるととても大事にしてくれるのです。患者さんも一度信用していただけるととことん信用して下さるし、そうでない人は全然来られないというところがありますね。
 福知山は、新しいものにみんな集まって来るけど、すぐに離れていく(笑)。福知山の人は怒るかもしれませんが、私の中のイメージはそうです(笑)。

意外に? オープンな過疎地

 門 私は現在、単身赴任で綾部に住んでいます。最初、当時綾部協立病院と呼んでおりましたけど、綾部駅前に病院があったとき、1991年から97年までの6年間勤めました。その後、京都市内の病院に移り、2013年にから再び赴任しています。
 最初の赴任時期は介護保険制度が始まる前でした。ですから今回赴任した当初は、地域の医療事情が大きく変わっていて、浦島太郎になったような気分でした(笑)。
 移住者の話が出ましたが、積極的に受け入れている地域、個人の方々がおられて、おそらく市内でも一番移住者が多いのは志賀郷し が さとだと思います。ここは本当に田舎なんですが、かなりの数の若い人たちが移って来られていますね。他の地域でも若い人を多く受け入れています。「半農半Xエックス」という言葉をご存知ですか。半分は農業をして、半分は自分のやりたいことをして生活を両立させていくという考え方です。塩見直紀さんという綾部出身で現在も市内に在住している方が提唱している生き方です。この「半農半X」という考え方に興味を持たれて、綾部を訪れる方も結構多いと聞いています。
 私はマラソンが趣味で、走りながら綾部のいろんな特徴を肌で感じています。たとえば上林かんばやし地区から福井に抜ける道沿いに見える風景は、昔ながらの農村地帯という感じ。奥に行くにつれて緑が次第に深くなっていく。これに対して、志賀郷は田舎の原風景といいますか、他の地域とは違う印象を持つ場所です。また、於与岐お よ ぎという舞鶴に通じる地区は、昭和の雰囲気を残した地域ですね。同じ「緑が深い」といっても、それぞれ違うんです。綾部にはそういう落ち着ける場所がたくさんあり、都会の生活にしっくりこないという人たちを受け入れることができる魅力があると思います。

――新しいものを受け入れるのに時間がかかる土地柄ではあるけれども、オープンにしようと努力されているということでしょうか。
 門 この地域は排他的だとぼやく移住者もおられましたけど(笑)、それでもだんだん洗練されてきているんじゃないかと思います。当時と比べると移住者はだいぶ増えていますし、地域の側も新しい人たちを受け入れていこうと考えている。
 しかし、田舎のことですので、地域の役がたくさん回ってきて、そのストレスで診断書を書いてくれと言ってこられた患者さんもおられました(笑)。

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