エッセイ 漢方の扉  PDF

安井俊雄(北丹)

漢方の歴史は2千年前までさかのぼる。紀元206年に中国で、傷寒雑病論(現在の傷寒論と金匱要略)が張仲景先生により記されたとされている。
傷寒論は、インフルエンザなど流感によって生じる病状の変化、即ち、頭痛、発熱、疼痛、咳、下痢、便秘などの症状を六病のステージに分け詳細に分析し、葛根湯、柴胡桂枝湯、調胃承気湯など治療について記載された書物である。金匱要略は、日常、遭遇する雑病について論じられている。
西暦986年に僧侶が日本に持ち帰った木製の釈迦如来像が現在、京都の清涼寺に国宝として指定保存されている。釈迦模型の腹部に五臓六腑が見つかり、漢方理論の根本として、重宝されている。また、日本においても、浅田宗伯は明治時代に大正天皇の治療にもあたり、当時の漢方医学を推進した人物として知られ、古都、京都には、吉益東洞(東洞院在住)、曲直瀬道三(十念寺に墓石)の軌跡を辿ることができ、華岡青洲の業績も展示されていると聞く。中国では、温病学が、清、明の時代に発展していく。現在、日本でも漢方は幅広く使われ、未だにその有効性は高く評価されている。
ご存じの通り、漢方薬は、何種類かの生薬で構成され、その効果を発揮する。寒冷期本番を迎えるが、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、温経湯などは四肢を温める代表的な方剤で冷え症の方にとって、欠かすことができない。
当帰は、セリ科の植物で味は甘辛、暖める効果があり補血、活血、止痛、潤腸と血液の流れをスムーズにして、便秘にも効用がある。写真は当帰の写真で、薬用植物園にて撮影したものである。
主な生薬は、中国を中心に栽培されている。日本では、北海(道)当帰が取扱いされ、京都丹波でも、セリバ黄連がかつて栽培されていた。また、桂皮(シナモン)はベトナムが生産地として有名。朝鮮茯苓。牛黄はオーストラリア産と、素材はアラビア半島から東南アジア一帯に広がりを見せる。
地球上に存在する動食物が、治療薬として効くのであるから、実に心地よく思ってしまうのである。先代たちは、一味一味の効果を確かめそれらを組み合わせて漢方薬を創り上げたのであるから見事である。漢方は学問として奥深く、魅力あり、自然の恵みとして救いの手を差し伸べてくれる。漢方の勉強会に参加すると、講師がアメリカ人であったりするので、驚かされることも多々ある。
大塚敬節先生が執筆された書籍『漢方医学』(創元社)は、入門書として、是非お勧めである。趣味も学問も一旦興じると、見たことない世界が延々と広がっていることに気づかされる。

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