特集3 京の伝統息づく花街上七軒  PDF

現在、京都には祇園甲部・祇園東、宮川町、先斗町、上七軒の五つの花街がある。その中でも最も歴史の古い上七軒を取材。芸妓・勝音さんに花街の伝統や慣習についてお聞きした。

芸妓さんと舞妓さんの違いとは

渡邉副理事長 今日は、1年前に衿替えされたばかりの芸妓さん、勝音さんにお越しいただきました。
衿替えというのは舞妓さんから芸妓さんになられたということですが、衿替えするタイミングってどこなんでしょう。
勝音さん 一般的には15~20歳が舞妓、20歳になれば芸妓と言われていますが、あくまで舞妓はんは子どもを表しているので、子どもらしさがなくなると、ぼつぼつ衿替えといわれます。18歳で見習いである仕込みさんに来られるお人もいます。タイミングは置屋のおかみさんの判断どすね。
渡邉 なにか決まり事でも?
勝音 決まってはおへんけど、年に1回、夏前ぐらいに五花街合同の公演があって、フィナーレでは各花街の舞妓はん4人ずつが一同に舞います。春や秋にも踊りがあるので、華やかさを保つためにも4~5人はいはったほうがええと思います。
渡邉 舞妓さんと芸妓さんの違いってなにがあるでしょうか。
勝音 舞妓はんは地毛で髪を結います。芸妓はんはかつら。かんざしは舞妓はんだと、1月は松竹梅、2月は梅花、3月は菜の花など月ごとで決まっていて華やかなものが多いんどすが、芸妓はんはシンプルなものが多おす。うちらが身に着ける小物も全部手作りの工芸品が多て、姉さんから譲り受けたりしますね。着物は基本的に置屋のおかあさんが選んでくれたものを着ますが、舞妓はんは振袖で、帯は有名な「だらりの帯」。舞妓はんの衿は赤地ですが、年数が経つにつれて、赤地に白と銀糸の刺繍で埋めて、前衿のみ白に見える衿に替わります。芸妓はんは白衿なので、舞妓はんから芸妓はんになることを「衿替え」と言うのどす。
渡邉 今日はお正月の正装でお越しいただきました。黒紋付、稲穂のかんざしをつけてらっしゃいますが、本物ですか?
勝音 稲穂は本物で、お正月は千社札と稲穂を一粒つけてお渡しするのが恒例行事どす。かんざしがなぜ稲穂なのか、一度聞いたけど、いろいろ謂われがあるようどすね。お正月なのでおめでたいもの、豊穣などの意味ではないかと思います。

きっかけは母のすすめ

渡邉 勝音さんがこの世界に飛び込もうと思ったきっかけは。
勝音 テレビや京都の街中で舞妓はんを見かけたり、たまたま北野をどりを見て、憧れから入ってくる人が多おすね。うちの場合は、中学のときに母親から「舞妓さんっていう選択肢もあるよ」と勧められたことがきっかけどした。ものすごレアケースどす(笑)。その当時、うちはなにを思うて来たんやろと不思議どすねえ(笑)。だいたいは両親の反対を押し切ってというケースなんどすけどね。
今も応援してくれている母親には「もっと上手に話しなさい」って駄目だしされてます(笑)。
渡邉 年間スケジュールでいうとどんなことをされているのですか。
勝音 大きな行事でいうと、1月は黒紋付の正装で参列する新年のご挨拶まわりと始業式です。2月はお化け。これは節分の夜に芸妓はんらが男装・仮装してお座敷を回ります。日本のハロウィンみたいな感じで3日間盛大にやってます。それから天神さんの梅花祭での野点、3~4月に上七軒歌舞練場で行う北野をどり。6月は五花街合同舞踊公演で、五花街の芸舞妓が勢ぞろいします。よそは選抜どすが、上七軒は上から4人がでます。それぞれ踊りの流派が違うので、曲が一緒でも振りが異なり見応えがあります。7月はビアガーデン、8月はお茶屋さんやお師匠さんへの挨拶を行う八朔。夏のお正月どすね。黒紋付の正装なんで暑おす(笑)。9月は古典ものが中心の寿会、12月は天神さんの本殿でのお献茶祭どすね。

京文化に誇りを持って

渡邉 芸事をそれだけ行うにあたっては、習い事も大変でしょうね。
勝音 お稽古は舞、長唄、小唄、常磐津、清元、鼓や笛などのお囃子、お三味線、お茶どすね。仕込みさんのときはお茶と舞とお三味線だけ。舞妓はんになってからぐんと増えます。お座敷の作法などは基本、お茶の作法で習います。12~13科目ぐらいの習い事をしてます。お座敷や春の北野をどり、秋の寿会のほか、お師匠さんが開催するお披露目会などで披露します。
渡邉 最近は海外のお客さんも増えてますか。
勝音 多おすねえ。修学旅行で呼ばれたりもします。
渡邉 もう今は「一見さんお断り」ではなくなっているのですね。
勝音 いえ、昔と変わらずどすね。ただ、海外のお客さんなんかはお茶屋さんとお付き合いのある料理屋さんが芸妓さんを呼ばれるという格好なので、お客さんは料理屋さん。一見さんではおへんのどす。
上七軒では、お座敷にあるもので遊ぶので、道具が必要な投扇興などはしません。遊びの基本はじゃんけんで、トラトラとか金毘羅舟々とか。
出張もありますえ。東京のイベントに呼ばれたり、以前はパリにも行きました。
話はそれますけど、舞妓はんは地毛で髪を結うので、出張のときに高枕を忘れると大変どす。以前に忘れた子がいやはって、トイレットペーパーにタオルを巻くとちょうどいい高さになるんどす(笑)。1週間は結ったままでいますので、寝相が悪くて髪が乱れる子はどんどん髪を整える技術が上がっていきますねえ(笑)。
渡邉 いろいろな苦労がありますね(笑)。
さて最後に、勝音さんにとって上七軒はどんな場所ですか。
勝音 15歳からここにいるので、ほぼ青春どすね(笑)。今の時代、いろんなものが目まぐるしく変わっていきますが、変えないということも大事だと思っています。うち自身、古臭いなと思うこともあるんどすが(笑)、そういったことも含めて京文化の伝統を守っていきたいと思います。気負うことなく、でも緊張感をもって日々を過ごしていきとおす。
渡邉 本日はありがとうございました。
上七軒
文安元年(1444年)室町幕府の頃、北野社殿が一部焼失した際、社殿御修築の残材で七軒の茶店を建て休憩所に。七軒茶屋と称したのがその由来です。
その後、天正15年(1587年)、太閣秀吉が催した大茶会の際に、この七軒茶屋を豊公の休憩所にあて、名物の御手洗団子を豊公に献上。その褒美として七軒茶屋に御手洗団子を商うことの特権と、山城一円の法会茶屋株を公許したのが、我が国におけるお茶屋の始まりであると伝えられています(上七軒歌舞会ホームページより)。

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