みんなにたすけられ(僕の音楽遍歴) 中路 裕(西京)  PDF

皆さま、新年おめでとうございます。
昨年、5月22日の誕生日で晴れて後期高齢者の仲間入りをした。
僕の音楽遍歴について話したいと思う。
小学校の時、ピアノを習っていた。バイエルは弾いた記憶があるが、ものにならず。今となっては後悔。小学6年生の時に閉塞性黄疸に罹り、1カ月間自宅安静加療(シジミ汁と父親による点滴)その間ラジオばかり聴いていた。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、村田英雄など。
中学生になってからは外国産音楽に夢中になった。テレビではザ・ヒットパレード、ラジオでは小島正雄の9500万人のポピュラーリクエストを毎週聴いていた。ベンチャーズ、ビーチボーイズ、ヤードバーズ、アニマルズ、ビートルズ(解散するまで)、モンキーズ等々。高校生になると外国産に加えグループサウンズなる日本産音楽、スパイダース、ブルーコメッツ、タイガース、テンプターズ等を聴いていた。例に漏れずエレキは買ってもらえなかった。アコギを買ってもらい、関西フォークなる高石ともや、中川五郎、高田渡、フォークル、ジローズ、ウッディ・ウー、五つの赤い風船などを独学(習っておけばよかった!)のストローク、アルペジオで唄っていた。大学、就職と時は過ぎ、父親の跡を継いで開業することになり、時間と軍資金が手に入り、家族バンドを夢見て、一式購入するも家族の足並みが揃わず、3曲(Allmyloving,Tilltherewasyou,Woman)を一人で多重録音。しかし何回やっても満足できなかった(今も時々聴いているが‥)。
そのうち医師会の仕事が増え、昼間の自由時間が減り、夜な夜なライブハウスに通い出すことになった。Cクラブ、Kス、F.C、Lバー、J・E、Yー等唄えて弾けるお店である。ずっと徒党を組まず一人で楽しんでいたのであるが、十数年前からこれらのライブハウスで知り合った方々(ギター、ベース、ドラム、キーボードなど)とご一緒に周年パーティーや誘われたイベントでいろんな曲を唄わせていただくようになった。皆さん音楽に長けた人ばかりで、信頼して僕は下手なギターを弾き、歌を唄うことができるのである。みんなにたすけられているのである。
人生も同じです。僕の75年の人生、みんなにたすけられての人生である。関わりのあった全ての人に感謝なのである。
拓郎80歳。3枚目のシングル(1971年7月21日発売)「今日までそして明日から」の歌詞をあらためて読み直した。やはり拓郎は詩人だと確信した。
「そして今私は思っています明日からもこうして生きて行くだろうと」

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