小学生の頃に愛読した『少年倶楽部』掲載の小説家・尾崎士郎氏(代表作: 人生劇場)の少年向け作品(題名は失念)に感激して、氏に手紙を出したところ、思いがけず尾崎士郎氏自身から私宛に自筆の年賀状が来て、両親を驚かせたことがある。
そのことがきっかけで、以来私は手紙を書くことが好きになったように思う。
ある時、ふと大学生時代に付き合った女性に約60余年振りに気軽な気持ちで手紙を書いた。書いた内容は若かりし頃の懐かしさをただ単純な気持ちで、誰にも書くような内容で手紙を出した。音信不通かと思いながら、その後はしばらく手紙を出したことを忘れていた。数カ月してから彼女から返事が来た。
手紙には、孫も数人ある様子で、高齢に至り病気がちのことが書かれていたが、叶うことならぜひお目に掛かり、若かりし頃のいろいろ懐かしい想い出を語り合いたいなどと昔の恋人のような想いが書かれていたことには、出した当方の手紙の反響のあまりの大きさに、私は手紙を書かねば良かったと思った。
高齢に至り、病気が進行していて、会うことが叶わないながら、若かりし頃の想いを今も抱く彼女の気持ちへ86歳の爺さんはもう枯れてしまっている。書斎の机上の件の手紙は妻の目に触れ、逆鱗に触れて、過去を追及される羽目に至った。この手の手紙は気を付けねばならない。
手紙を書く楽しみは、その返事が来るのが楽しいことで、100歳まで生きると書かれる現在97歳の中学時代の恩師には、いつも励まされている。友人の中には手紙を書くと、返事を電話やメールでくれるのはあまり嬉しくない。
所用の公文書以外、ほとんど今は手紙形式でなく、SNSなど電子媒体となり、実に寂しくまた、現在86歳の私は、恩師、年上の親族、その他の友人、知人などはほとんど亡くなってしまって、手紙を出す相手が大変少なくなって一層寂しさを募らせている。
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