狂画(滑稽絵・戯画)に見る
人情家芳年の面白味
今回は記載字数を守り若干、趣向を変えて普段の芳年の人となりを探ってみたいと思う。小生の傍らにある浮世絵アートブックによると、芳年の作画態度は何よりも写生を大切にしたようだ。ある時、磔刑されている人物を描くのに実際に木柱で十の字を作り、弟子の年景を縛り付けモデルにしたところに、何も知らぬ有名講釈師・放牛舎桃林という人物がやって来てその場面を見て仰天し「手前に免じて御勘弁願いたい」と詫び入ったが、芳年は知らぬ顔で「こいつは言うに言われぬ不都合をしたので柱に縛り付けたのだ」と言い放ち、周りの連中は笑いを堪え切れずどっと噴き出した。桃林は何のことか分からず首をかしげていたが、事情を知ってようやく大笑いしたとの余聞だが、芳年の写生に対する厳しい姿勢や門人たちとのユーモラスな情景が手に取るように見えてくるエピソードだ。
蛇足だが放牛舎桃林の命名は暴政を行った中国殷を倒した周の武王で戦争が終わり、戦備を解き平和が訪れる例えとして、戦いで用いた牛を陝西から河南省にまたがる平野・桃林で解き放し、もう戦争はしないと世の中に示した逸話による。また画家・鏑木清方の文集によると、当時人気絶頂だった噺家円朝と芳年を新聞社が組ませる機会があり、芳年が円朝の人情話を聴き入っている際、啜り泣いてしまったことから世間で言われている「血も涙もない残酷絵師」ではなく人情に篤い温かい心を持っていたのが分かる。
では明治14(1881)年1月6日御届と記してある芳年作挿絵本(浮世絵黒表紙)「東京開化狂画名所」(総数は34図とされているも、小生所有図122図を挙げ載せておく。なお、裏面は吟光作・善悪児手柏の題で表裏が定めにくいコノテガシラの藁から転じて、善悪両様の図が掲載されている)狂画は滑稽絵・ざれ絵・戯画とも称し、現在の漫画でもあるのでクスッと笑ってみて下さい。小生は東京名所を背景に当時の人々を登場させ、面白おかしく活写しているセンスが愉快で特にウイットに豊む両国花火での芸者の振る舞いと船遊び客のはしゃぎ具合(図1)、日本橋魚市場大蛸の乱暴と人々の慌てふためき(図4)、湯島天満宮巫子の鉗乱に大笑いする参詣者たち(図14)がお気に入りである。
月岡芳年・東京開花狂画名所(号は芳年のみ、小生は22図所有だが総数34図とされている)