ペイシェントハラスメント訴訟
かつては俗にモンスターペイシェント、今はペイシェントハラスメント(ペイハラ)と呼ばれる行為について、ある訴訟の判決が注目されている。入院患者の家族Aの度重なる理不尽な言動により、看護師が相次いで退職し病床の閉鎖を余儀なくされたとして、病院が家族Aに損害賠償を請求した訴訟で、一審の長崎地裁はAの発言の多くを違法なハラスメントと認定したが、報道によれば福岡高裁はAの発言は違法でないと判断し、最高裁で病院敗訴が確定したという。
ネット上では「医療従事者は何を言われても我慢しろと言うのか」「医療現場を分かっていない」などと福岡高裁判決を非難する医療関係者の投稿が多く見受けられる。しかし弁護士の立場から見ると、福岡高裁の判断は十分あり得るものである。この判決から教訓を読み取り、今後のペイハラ対応のあり方を考えてみたい。なお、有料判例検索サービスで長崎地裁判決は入手できたが福岡高裁判決は入手できず、本稿は高裁については報道を基にしていることを予めご了承願いたい。
まず大前提として、身体的暴力、有形力の行使は犯罪にも当たり得るもので、絶対に許されない。福岡高裁もAが看護師の頭を後ろから押さえつけた行為は違法と認定している。そのような行為があれば警察を呼ぶなど毅然と対応すべきである。本件で判断が分かれたのはあくまでもAの発言である。
発言がペイハラに当たるか否かを判断するにあたっては、厚生労働省がウェブ公開している「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」が有用適切な基準を示しているので、ぜひ参考にされたい。福岡高裁も基本的に同様の基準に拠ったものと考えられる。
カスタマー(ペイシェント)ハラスメントとは
厚労省マニュアルはカスタマーハラスメントの定義を「顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの」としている。
ここで重要なことを4点指摘したい。
第一に、不平不満や要求(いわゆるクレーム)を口にすることそれ自体でハラスメントとされることはないということである。クレームをつけられると気分が落ち込み精神的に苦痛を覚えるのが我々人間の性であるが、だからと言ってそれが直ちにハラスメントとなるわけではない。最初にクレームの内容の妥当性、次にクレームの態様の社会的相当性を吟味する必要がある。
第二に、内容の妥当性や態様の相当性を判断するにあたっては、前後の文脈を考慮することが不可欠である。それはクレーム発言の直前の会話内容やその背景にある事実経過である(判決事案ではハイリスク患者が痰や嘔吐の主訴で入院、内視鏡胃管挿入後の胃穿孔で人工呼吸管理、事故抜管、渋々気管切開を承諾という経緯があった)。
第三に、基本的にはコミュニケーションの問題であり、人間である以上誤解や無知もあるし、他人の内心は分からないことが多いため、内容の妥当性や態様の相当性を欠く発言がなされても、それが誤解・無知に基づいている場合には、まずは誤解や無知を解消すべくコミュニケーションを図るべきであって、直ちに違法なハラスメントと認定されるものではない。
第四に、上記の三つから、医療従事者はペイハラ発言はもちろんペイハラに該当しない発言によっても精神的に圧迫され苦痛を感じ、その結果業務に支障を来しかねないのであるから、スタッフが精神的負担を感じている場合には絶対に一人に任せず組織として対応すべきである。その際、患者の生命身体がかかっている以上できることは最大限行う反面、できないことはできないと明確に説明し毅然と対応すべきである。
組織として最大限対応する
判決事案から具体例を検討してみたい。家族Aは深夜から未明の時間帯に、人工呼吸器の酸素飽和度の設定に異議を唱え、医師の指示によるものとの看護師の説明に納得せず、約40分の長時間にわたり看護師を問い詰め、その際「ここの看護師さんたち、そこ考えてくれないのよね。頭悪いのか、どうなのか。ちゃんと見てよって感じなの、こっちからしたらね」「他の病院だったらぶったたかれてるよ」という発言があったという。これについて長崎地裁は「長時間にわたって看護師らを問い詰めて拘束したことは医療妨害というべき」と判示している。
まず「拘束した」という認定には疑問を覚える。法律家が「拘束」という言葉を使うのは、部屋に施錠して監禁したり、「火をつけるぞ」と脅すなど、自由な行動を不可能または著しく困難にするような行為であるが、そのような事情は一切認定されていない。また40分間の長時間、クレームを受けた看護師がどのように応対したかも書かれていない。もし例えば「他の患者のナースコールがあるので行きます」と明確に言ったにもかかわらず「ナースコールなんかどうでもいい。私の質問に答えろ」と言ったのであれば医療妨害であろうが、福岡高裁で覆ったところを見るとそうではなかったのであろう。40分であろうが何分であろうが、看護師がおとなしく傾聴している間は、相手は話を続けてもいいと認識してしまうため、業務に支障があるなら支障があるとまずは伝えるべきである。担当の看護師がそれを言えないのであれば、上の者が伝えて看護師を守る必要がある。本事案では救急病院で夜間にも医師がいたであろうから、(主治医でなくても)医師の口から酸素飽和度の設定に問題がないことを医学的見地から説明することも考えて良かったかもしれない。組織で対応する、できることは最大限するというのはそういうことである。あるいは「当直医も今は手が離せない。終わったら来るからそれまで待って」と言う。できないことはできないと毅然と対応するということはそういうことである。
ペイシェントハラスメント対策
福岡高裁判決は「患者および親族が置かれている状況を考慮すると、医療の現場においては、その精神的不安定さから社会的に不相当な言動に及ぶことがあったからといって、それらが全て不法行為を構成するほどの違法性に該当する行為であると評価することは相当ではない」という旨を述べたと言い、その言葉だけが一人歩きして、「医療従事者はどんなハラスメントでも耐えろと言うのか」という批判が沸き上がっている。しかし本判決は呼吸管理という患者の生命に関わる事案であり、クレームの内容が専ら医療のことであり、看護師の精神的負担が大きいことに組織として迅速に対応し相手にその旨を伝えていないらしい事案についての判断である。決してどのような発言でも耐えろと言っているわけではない。この判決の機会にぜひ前記の厚労省マニュアルを参照され、ペイハラ対策を進められたい。
【カスタマーハラスメント対策企業マニュアル】
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000915233.pdf
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