鈍考急考 54 原 昌平 (ジャーナリスト)  PDF

男はつらいよ、女はつらいよ

 この10年ほどの間に日本で関心度が大きく高まり、理解が進んだ社会問題は、まず性的少数者の問題、次いでジェンダー問題だろう。
 以前なら、同性愛者や性別変更者は、嫌悪、好奇心の対象となり、テレビでも、からかいの言葉が平気で飛び交っていたが、もはや、そういう言動をすれば、アウト。
 女性に対する不当な扱いや性別役割意識についても、世の中は敏感になった。
 これらの変化は、声を上げ、権利を主張する人たちが闘ってきたからこそ、生まれた。いくつかの法律や制度もできたが、まだまだ残る差別を解消しないといけない。
 その前提で、あえて言うのだが、ジェンダー関係で発言する一部の人々の姿勢には、へきえきする。
 たとえば「オッサン政治」という言葉で、政治のあり方を批判する人たちがいる。
 言わんとすることは、わかる。年長の男性たちが権力を長く握り、保守的で、水面下の根回しや駆け引きで動かしていくような政治は、おかしいということだろう。
 しかし、オッサンという言葉は、中高年以上の男性に対する明らかな侮蔑語である。
 そこで何年か前、オッサンという侮蔑語を使って論じるのはやめてほしい、オバハンとかババアとか言われたら、あなた方も気分が悪いのではないか、と筆者がフェイスブック上で発言したことがある。すると、ある女性地方議員から「ミソジニー(女性蔑視)だ」と非難された。
 男性の抑圧性、加害性を自覚しろと言いたかったのかもしれないが、聞く耳を持たずに男性を敵視し、異論を封じ込めるのは、どうなのか。
 女性の政治家なら、たいてい良識があって平和的で優しいのか。具体的に政治家の名前と言動を思い浮かべたら、あまり、そうは思えない。
 それは男社会に媚びてオッサン政治に染まった女性たちだからだ、という論法をされたら、議論のしようがない。
 差別とは、人格、見識、能力などと関係のない属性によって、見下したり不利に扱ったりすることだろう(能力、思想による差別もあるが)。
 それが問題なのは、個人の尊厳、人間の平等に反し、多様性を損ねるからなのに、他者を頭から否定するのは矛盾している。性別を問わず、人間に広く存在する困った性質も多々あるのではないか。
 ジェンダー平等を言うのなら、男性に求められてきた性別特性のイメージ(意識)にも着目する必要がある。
 女性が優しさ、きめ細やかさ、控えめなどを要求される一方、男性は、強くあれ、弱音を吐くな、自分で稼げ、といったことを、家庭や学校、社会から要求されてきた。
 貧困・孤立など社会福祉の領域では、困っていても「助けて」と言えない人が多いことが大きな課題の一つで、特に男性にその傾向が強い。
 男女それぞれに性別特性のステレオタイプが内面化されて、個性の発展を妨げ、生きづらさをもたらしている。
 そういえば、〈男はつらいよ〉という映画も、ジェンダー不平等だろうか。今ふうなら、女もつらいよ、どちらでもない人もつらいよ、とか。

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