肛門科の徒然日記3 渡邉 賢治 (西陣) 痔瘻で悩んだルイ14世  PDF

 歴史上の偉人も肛門の病気で悩んでいました。今回は、「太陽王」ルイ14世が痔瘻で悩んで、ヴェルサイユ宮殿で痔瘻の手術を受けたことについて紹介します。
 1686年11月18日早朝、ヴェルサイユ宮殿の2階にある「牛の目のサロン」に臨時の手術室を設け、ルイ14世は痔瘻の手術を受けました。
 痔瘻は肛門と直腸との境目に肛門腺という腺があり、最初はここに感染を起こし化膿して、肛門周囲膿瘍になることから始まります。化膿するため強い痛みが出て、切開して排膿する必要があります。切開すれば痛みは楽になります。ただ炎症を起こした原因は排除できていないため、また同じように化膿して膿が体に広がらないよう、自分の体が自分を守るために硬い管(瘻管)を作ります。再度炎症を起こしてもこの瘻管を通って体の外に膿が出るようになります。痛みはなくても膿が瘻管を通って出てくるのが嫌な症状になります。痔瘻を根本的に治すには、痔瘻の根治術が必要になります。
 さて、「牛の目のサロン」は、本来は国王の寝室の隣に位置する控えの間で、国王の起床と就寝の儀式を行う際の待合室として使われていました。
 一般のヴェルサイユ宮殿の見学コースからは外れているので、普段は見ることはできません。場所的には、2階の「鏡の回廊」と大きな鏡一枚で隔てられた背中合わせの部屋です。執刀医は首席外科医のフェリックスでした。
 当時の「医師」は現在の医師とは違い、医学古典を学び、それらを次の世代に引き継ぐ使命をもつ医学者でした。医学の古典文献に則って診断を下し、簡単な指示を出していました。実際に治療を行っていたのは「床屋外科医」でした。今も床屋さんに赤、青、白の看板があるのはこの名残りで、赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表しています。「外科医」も現在の手術をする外科医ではなく、実地の臨床を自らが行う医師のことを指していました。
 ルイ14世も当初は侍医団のトップだったアントアヌス・ダカンによって保存的療法や瀉血が行われていましたが、よくならないため、主席外科医であったフェリックスに治療がまかされました。
 手術を行うにあたって、フェリックスは、①痛みに耐えられる手術ができるのか②手術の方法やそのときの手術器具は③手術中、手術後の出血に対してはどうしたらいいのか④手術後の痛みは耐えることができるのか―などさまざまなことで悩んだと思います。
 フェリックスは国王が発病して以来、痔瘻に対しての外科的治療を考え始め、実際に肛門疾患の患者を集めて、その全てを自分が執刀して手術をすることで国王に対して安全に痔瘻の手術が行えるように手術手技を確立しました。

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