私も昨年前期高齢になり、年を重ねると目に見えないものに心動かされるのでしょうか。私の出身の広島市の瀬戸内海気候の穏やかな風土と異なり、寒暖の差の激しい盆地の町、歴史都市、京都の土地柄に生まれた茶道は、御存じのように秀吉をはじめとする時の権力者に受け入れられながらも、利休をはじめ反発を繰り返しながら成長をし続けてきました。
私にとっての茶道の魅力とは、ひたすら型にはめることを極めるという点です。しかもその所作は、最も効率的で無駄のない動きを求めれば求めるほど、結果的に日本的な美をひたすら追求することに繋がっていきます。若い頃は、伝統的で封建的な物に対して、個性を殺してしまうと反発ばかりしていましたが、実は、それはうわべだけであり、茶道の目指す境地とは「和敬清寂わけいせいじゃく」といって、皆と和してうまくやり、相手を敬い、清らかな心を保ち、どんな困難にも動じない、しかも濁りのない澄んだ心を作るというものです。
私は一般内科診療に、積極的に東洋医学を取り入れていますが、動揺した時に、腹式呼吸法で心を落ち着かせたり、東洋医学の根底に流れる、「陰陽」の考え方など、茶道にも通じることが多々あり、非常に参考になっています。
思うに、私も残された人生の質を考える年齢になりました。効率中心主義の西洋文化文明にどっぷりつかっている現代の日本人、大人にとって、もちろん、子ども達にも、茶道を含む日本文化に小さい頃から触れる環境にあってほしい。そうすれば、たとえ気持ちが混乱しても決して巻き込まれることなく自分を見失わないですむ一つのきっかけになるのではないか、と茶道のお陰で、確信できるようになりました。かつての私のように、食わず嫌いで日本文化の奥深さに接していないいまだ御縁のない先生方、特にお若い先生方は、私のように年を重ねてではなく、本場京都にいる利点を最大限生かされて、茶道を含む、深遠な日本文化との出会いの機会を得られたら、より一層人生が味わい深くなるのではないでしょうか。
MENU