「東京五輪の名花」と謳われた体操の金メダリスト・チャスラフスカさんが亡くなった。74歳だった。ちょうど今プラハに留学中の息子一家から連絡が入り、思わず中学時代の親友に電話して懐かしい思い出話で故人を偲んだ▼彼女は私達の憧れの人だった。当時普及し始めたカラーテレビで見た真っ赤なレオタード姿の美しく優雅な演技は、今でも鮮やかに蘇る。休み時間や放課後にみんなで集まり、平均台やマットの上でその気になって一生懸命真似をした▼1968年メキシコ五輪では「プラハの春」への軍事介入に抗議して紺のレオタードで出場、ソ連選手の金メダル受賞に顔を背けて抗議の意志を示しその姿が世界中に配信された▼民主化運動を支持する「二千語宣言」の撤回を拒否し、ソ連体制下のチェコ社会から排斥され、清掃員などさまざまな下積み生活を余儀なくされ、また家族のトラブルも重なり苦労が続いた▼1989年「ビロード革命」成立。ハベル大統領の片腕として新生チェコ共和国に復帰した。動乱の最中二十数年ぶりにヴァーツラフ広場一杯の人々の前に立ち、結束を呼び掛ける姿は強く美しかった▼お会いしてから半世紀、少女の私に優しくお声をかけて下さった笑顔と手の温もりは忘れません。東京オリンピックが日本人に残したものは大きかった。(さ)
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