続々 漂萍の記 老いて後 補遺/谷口 謙(北丹)<48>  PDF

続々 漂萍の記 老いて後 補遺/谷口 謙(北丹)<48>

続 邂逅

 邂逅の話を続けよう。Nさんに会ったあと、続けて入られたのがO町O集落のKさんだった。KさんはNさんと同じ所に勤めていらっしゃる同業の方だった。Kさん宅は代々自転車屋で、ぼくはこの方の祖父の時代から知っている。お爺さんはなかなか血気盛んな人で商売熱心な方だった。当時、大宮中学が発足し、五十河谷に分校があったが、その他の地域全員が口大野の本校に通学することになった。一部の地域を除きほとんどが自転車通学だった。K爺さんはぼくをつかまえて話しまくった。O地区とその奧のT地域の、中学一年生になって通学予定の子どもは○○人だ。その一軒、一軒を漏れなく廻り自転車を売り込む。何人入学して何台売れたか。毎年○○%位だが今年は少し成績が悪かった。某々の所の姉の時にも売り込み、さんざん前運動もしていたのに今年は他所に取られた。怪しからん。

 あの親爺は仁義を知らぬ男だ云々。毎年三月頃にはこんな話をよく聞かされた。まあ、田舎は田舎の商法で一生懸命だったんだろう。自転車屋の息子はぼくの一級下で、同じ宮津中学に入学をして同じく汽車通学だった。O集落は地主、機業、糸店の多い所でお金持ちの子弟が多数あった。言っては悪いが、爺さんも引目を感じていたのかもしれない。

 某日、汽車通学が一汽車遅れたことがあった。口大野駅に近く、下車する準備をしていると左方の窓から見ると一級下のKさんの父が自転車で峠の上を走っていた。

「やあ、やあ、Kが早う帰って自転車に乗っとるぞ。あれみい、小学校の時の服を着とるぞ」

 走っているKは笑ってぼくたちに右手を上げて挨拶をした。Kはひどく子供じみて見えた。家に帰って父に話したら、父も思いがけなかったんだろう、「ふーん」と頷いて言った。制服は他所行きなんだな、つまり帰宅してからは古い小学生時代の服を着る、通学の時はそれは許されないので中学の制服を着る。といったことだったろうと思う。K自転車屋は爺さんも元気がよかったし、そんなに苦しい家計ではなかったろうと思う。子どもに倹約の美風を教える二宮金次郎的な家風であったのかもしれない。

 さて、検診でぼくの前に立っている人は、その爺さんの孫にあたる人だが、書類の年齢欄に60歳と記してあった。この方も家業の自転車屋を継がないで仕事に出ていらっしゃる。あの爺さんについて、どれほどの記憶を持っていらっしゃるだろうか。

 検診で人々に会うのは楽しかった。休院して2年半位になったが、なつかしい顔に接した一日は貴重だったと思っている。

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