私の宝物 もののあわれ  PDF

私の宝物 もののあわれ

石田 博(右京)

 新春にあたり、私が大切にしている「もののあわれ」を再考してみた。駿台京都校の名物講師であった田中重太郎氏によれば、清少納言の「枕草紙」(以下枕)が四季の見立てのルーツだそうである。「春はあけぼの」で始まる初段は多くの人口に膾炙されている。

 その枕のなかで、春で最も趣があるのは暁であるとされている。

 やうやう白くなりゆく山際とあり、後世の美意識の礎となっている。

 京都で趣があり観光シーズンである新春が、リウマチ・膠原病患者さんにとっては苦難のプロローグでもある。関節痛やレイノー症状が悪化しはじめる季節であり、診療に気合が入る頃と言っても過言ではない。とりわけ、血管攣縮によるレイノー症状は、決定的な治療法がないだけに、四肢末端潰瘍を見ると胸が痛い。医学は日進月歩するのが良いところで、今までは抑制性サイトカインであるインターロイキン(以下IL)10を使った、NOやエンドセリンを介する先進治療を進めていたが、臨床効果は十分でなかった。さりながら、肺高血圧症に使われていたエンドセリン受容体拮抗剤(以下ERA)がやっと、全身性強皮症による皮膚潰瘍発症予防に適応拡大された。

 ERA治療は、我田引水の私でも、IL10治療より臨床効果の優位性は有意に勝っていることを認めざるを得ない。

 さて前置きが長くなったが、私が大切にしている「もののあわれ」に関して考察したい。日本の代表的な国学者本居宣長(以下宣長)は、紫式部の「源氏物語」の中に「物のあわれ」を見つけ、さらに「古事記」にまで遡り「言意並朴」なる太古の神々の中に、「物のあわれ」の本来の姿を発見するに至った。これに明確な回答を示したのは小林秀雄(以下小林)の代表作「本居宣長」であろう。すなわち、この作品は、小林の天賦の叡智と鋭敏な感性、加えて自意識過多の性格を、宣長に等身大に投影したものである。そして、その中で、己自身を見出し、ひたすら宣長の中に、自己の「われ」を追求し続けた力作に思える。小林は、若くして作家を志したものの、余りにも物事の本質が見えすぎる透徹した資質の故に、作家としては大成せずに、結局評論家の道を歩むことになった。われわれ医師も同じようなことが言えるのではなかろうか。医師たるもの、患者さんの「もののあわれ」に真摯に寄り添いたいものである。

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