特集2 永田和宏氏の記念講演 「歌」という言葉の強さ  PDF

特集2 永田和宏氏の記念講演 「歌」という言葉の強さ

 
 歌人・永田和宏氏(京都産業大学総合生命科学部教授)を講師に「言葉と力」と題し、開催した総会記念講演(7月27日)の概要を紹介する。
 
「歌」でつながる想い
 
 永田氏は、人は言葉でコミュニケーションをとるが、なかなか思ったことが言えない、伝えたいことが伝えられないというジレンマを抱える。一方で、自身の体験として、「歌」としての言葉がどれほど想いを伝え、強い力を発揮するかを実感することになったと述べ、夫人で歌人の故・河野裕子氏とラブレターのごとくやりとりした相聞歌、そして河野氏の闘病中や臨終の際に詠んだ歌を紹介。歌に託した想い、歌だからこそ伝えられた想いを語った。
 そもそも大学時代に短歌のサークルを通じて知り合ったふたり。当時から、多くの相聞歌を交わしてきたふたりだが、日常生活の中で敢えて口に出さなくても、大切な想いは歌を通じて分かり合えるという。
 
言葉にすることの難しさ
 
 恩師との思い出では、亡くなる前日に見舞った際、これが最期になるかもしれないと直感したが、ずっと伝えなければならないと思っていた「ありがとうございました」の一言がどうしても言えなかった。言えばそれが別れの言葉になってしまう。言えないまま病室を去ろうと廊下に出たとき、驚くほど大きな声で「永田君、ありがとう」。自身が言えなかった言葉を恩師から掛けられ、永田氏も「ありがとうございました」と廊下から返したが、言葉で自分の想いを伝えることの難しさをいやというほど体験したと述べた。
 その想いが深ければ深いほど、言葉にしたときに薄っぺらく感じてしまう。それを恐れて言葉にしない。また、恩師とのやりとりのように、その言葉が別れの言葉になってしまうという思いから、どうしても口にできないなど、言葉の無力さを痛感したと語った。
 
想いは歌に歌は想いに
 
 夫人の河野氏とは、結婚後も相聞歌を作り続けた。亡くなってから詠んだ追悼歌を入れれば、500首以上にもなる。
 2000年、河野氏に乳がんが見つかったとき、永田氏は自身が動揺してはいけないと必死で平静を装う。しかし、河野氏が亡くなってから見つけた短歌には、一緒に悲しんでほしい、病気ではなく自分と向き合ってほしいと思っていたことがわかったと語り、夫婦の間に決定的な行き違いがあったとした。
 08年にがんが再発。このときは河野氏は病気を冷静に受け止め、亡くなるまで歌に想いを託した。永田氏も歌を作れば別れが前提になってしまうというジレンマを抱えつつ、それでもなんとか自身の想いを伝えたいと作り続けた歌を、当時の心情ととともに紹介した。
 
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに 私をさらつて行つてはくれぬか 河野 裕子
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて 海へのバスに揺られていたり 永田 和宏
 
最後まで残りし弟子か最期まで 看取れることを喜びとして 永田 和宏
もうすぐ死なねばならぬ人より逃れくれば 石に時間をもてあます亀 永田 和宏
 
わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ 君を思へどなぐさめがたし 河野 裕子
一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ 永田 和宏
ともに過ごす時間いくばくさはされど わが晩年に君はあらずも 永田 和宏
長生きして欲しいと誰彼数へつつ つひにはあなたひとりを数ふ 河野 裕子
さみしくてあたたかかりきこの世にて 会ひ得しことを幸せと思ふ 河野 裕子
歌は遺り歌に私は泣くだらう いつか来る日のいつかを怖る 永田 和宏
手をのべてあなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が 河野 裕子

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