新医師会館入居「不承認」を受けて  PDF

新医師会館入居「不承認」を受けて

今後も会員の立場で活動

京都府保険医協会理事長 関 浩

 戦後、新制医師会が誕生、1年半遅れで保険医協会が発足し府医師会館の中で事務所を構えた。その後、現会館建設にあたって、当時のべ99人の医師会会員が参画し、時間をかけ多様な議論がなされたという。当初の設計段階より協会入居は前提とされ、以来43年の時間が過ぎた。

 2007年8月、第60回協会総会において新京都府医師会館への入居に努力せよとの決議を受け協会執行部、理事会は総会決議の重さを肝に銘じて努力を行ってきた。

 複数の地区医師会においては「執行部だけで決めるべきではない」と地区会員のアンケートが実施され大多数の賛成が得られ、また「南部4地区連絡協議会において入居要望決議が発議され、同じ医師会館にあってお互いが、補完しながら私たち会員を指導してほしい。新医師会館建設が医師会員を分断して将来に禍根を残すこととならないよう」との意見も寄せられた。最終的には24地区中18地区から「新医師会館建設にあたっての要望」をいただき、森会長に協会入居は多くの会員の声であることを訴えた。

 「両会は路線が違う」との意見があるが、まったく同じ考え、方法を採るならば、二つ存在する意味はない。協会が発足当時から追求してきた社会保障充実と府医が述べている社会保障の確立と思いは同じ、医療を良くしたいという思いは変わりはない。変わるのは手立て、手段であろう。昔から、「医師会は裃を着けて行政と話し合う、協会は尻をまくって喧嘩する」と言われるが、違ったアプローチで会員のため、望ましい医療のため、それぞれの得意分野で最大限の努力をすることが、両会に課せられた使命ではないかと考える。求める山の頂が同じでも別々の登山道があるほうがよい。両会の相互協力とそれぞれの活動により、京都の医政活動に大きな成果をもたらしたことは疑いがない。また利便性の面より一緒にいてほしいという会員からの声も多い。

 建設費用の大部分はこれまで営々、寄与してきた会員の財産である。会員は自らの純正の医師会館と思うからこそ、これまで蓄えられてきた原資は拠出されてもよいと考えるだろうし、維持管理費用もまたしかりである。建設にあたり、特別の会費徴収は求めないと府医代議員会で表明されているところであり、会員としてそう望みたい。新たな医師会館はやはり、我々会員の財産なのである。

 「会館建設・会費検討特別委員会」で示された、「府医執行部に一任する」との同委員会の議論の結果(京都医報No.1931)をもって真に会員の意見が反映されたといえるのであろうか。本来、会員の総意をもって決定されるべきではないか。

 私たちは、本会事務局を府医師会館に置くことは、両会会員にとって有益であると信じている。また両会に属する多くの会員もそれを強く望んでおられる。大勢の会員の意向と応援を大きなうねりとなし得なかった責任を痛感する。

 入居を受け入れないのであれば、協会会員に説明でき、了解できる内容の提示、即ち、「他団体の入居基準は何か」と府医執行部に求めているが、未だに回答はない。

 「府医と協会は、設立の趣旨、方向性が違う団体である」と、よしんばそうであったとしても会員に対して同居していて何か不都合、不利益をもたらすのであろうか。「同居していることで誤解される」とはどのような意味を持つのか。「両会同居の京都は特殊」というが、他に北海道医会は医師会館に永年同居し、お互い友好的に会員のための活動を行っている(北海道と新潟のみは医会と称する)。

 さすがに、京都協会が思想的偏りを持つとの声は昨今きかれないが、イデオロギーの色濃い保団連の下部組織というレッテルを貼る益なき声がある。保団連は各都道府県協会・医会から構成される、いわば連合体であり、各地域は単なる下部組織ではない。中央と相対する際に全国組織を持つ有利さはどの団体も同じであろう。これまでも京都協会は保団連に対して、意見が異なれば正面より主張してきた。是々非々の立場をとっており、その意味では主流派とはみなされていない。それでも良い。京都には昔から強きには与しない、右向け右の態度は取らないという風土があるではないか。

 殊にここ10年間繰り返されてきた、診療所に対する煩雑な事務量増加、ルール改定、なによりも「勤務医支援」口実の財源シフトなどにより開業医の経営の困難さ、重圧が減る気配はない。協会事務所を他所に構えたとしても、健全な医業経営に資するため協会はこれからも会員の立場に立った活動を続けるつもりである。

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