憲法を考えるために(37)  PDF

憲法を考えるために(37)

経済と憲法

 今回は今までに取り上げたことのない「経済と憲法」について考えてみたいと思います。憲法とは国の基本となる構成原理で、国のありよう、国の政治的な秩序を決めるものですが、経済の基本的な秩序も、国のありようを大きく左右するのは疑いのない事実です(例えば改革開放前後の中国)。しかし日本国憲法(特に9条)が、平和にかかわる問題に形骸化したとの批判はあるにしても、なお強い規範力をもっているのと対照的に、「経済と憲法」は一般的には充分な議論がされてこなかったように(私には)思えます。

 90年代以降、グローバリゼーションがまさにその言葉通りに世界を覆い尽くしていく中、市場原理主義がもたらす競争(そしてその結果としての格差)、規制緩和(例えば労働に関するそれらがもたらす非正規労働者の社会的問題)、「小さな政府」(そしてそれがもたらす、国が担うべき公共性の限りない矮小化)など、経済のありように起因する大きな転換が社会に起こっています。

 ごく大まかに概観すれば、現代の憲法における経済と社会のありようは、よく知られているように「福祉国家」と呼ばれるものです。日本の憲法において具体的には、25条「生存権、国の社会的な使命」(健康で文化的な最低限度の生活の権利、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上)と、28条「勤労者の団結権」(少し分かりにくいのですが、これは労働力の自由な売買に制限を加えることで生活の権利を守ろうとする労働基本権)の二つの条文といわれています。

 そして一方、経済的活動(の自由)についての具体的言及は、22条「住居・移転、職業の自由」と、29条「財産権」(財産権はこれを侵してはならない)です。そしてこの経済的活動(の自由)に関わる2条にのみに「公共の福祉」によりその権利の制限ができるとの条文があります。(13条「個人の尊厳、幸福追求権、公共の福祉」にも「公共の福祉に反しない限り」の文言がありますが、これはここに述べられている個人の自由が、何でもありの自由ではなく、ここに述べられている理念を侵害するような自由(人間の尊厳を侵害するような自由)は認めないという意味に思えます)。

 経済のありように起因する大きな転換は、国家からの(個人の)自由と、その国家(の力による)福祉との関係の問題、思想・言論などの自由と、経済活動の自由といういわば二つの自由の問題、「公共の福祉」と(その対立概念としての)「公共の利益」の問題、自己責任・自立と憲法25条「生存権」との関係の問題など、考えるべき多くの問題を私達に提起しているのではないでしょうか。(これらの問題については、できれば次回に考えてみたいと思っています)

(政策部会理事・飯田哲夫)

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