忘れ得ぬ症例 日常診療は一期一会
吉村 陽(相楽)
勤務医時代の退院要約を見ると、各々の患者さんのことが思い出されてきます。お顔は浮かんでこなくても色々と思い出されます。転勤してしばらくして患者さんが亡くなったと、挨拶に来られたご家族。安定していると思って転院してもらったところ、しばらくして死亡広告が出た患者さん。次から次へと思い出されてきます。
開業して症例報告や研究発表をしなくなったからか、思い浮かんでくるのは、症例としての客観的な記憶より、想い出としての患者さんばかりです。それもほとんど、亡くなった方です。当然、反省、後悔の連続です。今となっては顔がカーッとしたり、アーッと声をあげたりはしませんが。
医師になって2年目の夏、常勤5人、そのうち内科医は上司の副院長と2人の僻地病院で、幼い兄弟が川底で発見され、半日以上蘇生を試みたが成功せず、家族の依頼で中止したことがありました。人工呼吸器も従量式の物が1台しかなく、1人にはアンビューを使って、夜通し心肺蘇生をしていました。
その副院長は地元の寺院の住職でした。お盆は病院の担当外来は休診にされて住職に戻っておられました。「死亡診断書は患者さんへの最後のお勤めになるので、丁寧にかけるような診療をすることを心がけるように。助かるだろうと思った患者さんは助かるし、助からないだろうと思った患者さんは助からないものだ。たとえ助からないだろうと思ってもできる限りのことをするように。患者さんは助からなくても家族は助かる」と教えられました。しかしその後も死亡診断書を書かなければならなくなった時、過去の診療録を取り寄せ視直していると、患者さんとのなにげない話や、所見が後で重要な意味をもつようになることがあり、思い込みのため診療の感度が不十分だったと、反省後悔するのはいつもでした。
大学医局時代、たまたま病棟で担当となり、以後大学にいるときは入院されるたびに担当を命じられ、長期派遣から医局に戻るのを待っていたかのようにCOPDの悪化で亡くなられた老婦人がおられました。
この方は上品な方で看護婦に人気があり、担当医の私もそのおかげか看護婦との関係も更に円滑になり、チームとして診療にあたれるようになりました。看護婦と素直に付き合うことが診療に如何に役立つか実感させられました。以後看護婦やその他のスタッフと十分な意思疎通を図りながら診療することを心がけるようになりました。この方とは付き合いが長かったこともあり、亡くなられた後、自宅を弔問に伺いました。初めての経験でした。その方は地元の舞の家元の方だと知りました。様々な方と知遇を得て社会人としてもその街の一員となるきっかけになりました。
日常診療は一期一会の心がけで取り組んでいるつもりですが、日々の診療はコマ送りです。巻き戻しや、早送りをするとわかることでも、その診療時には気づかないことがいっぱいあります。診察が終わるたびに、あるいは検査結果が出るたびに巻き戻しや、早送りをして反省しています。
時間に追われる日常ですが、(医院経営や医療制度の事を考えなければ)診療は楽しく、まるで、医者であることが趣味のように思えることがあります(本当はもっと客観的に、そして冷静な診療を心がけなければいけないのでしょうが…)。
現在このような気持ちで診療できるのは患者さんのおかげです。そして、亡くなられた方には、改めて御冥福を御祈り致します。