天道是邪非邪 3  PDF

小泉 昭夫 京都大学医学研究科環境衛生学分野教授

国民皆保険制度と経済成長

国民医療費の総額は、2014年度の試算で40兆円を超えた。また医学の進歩により新薬が次々に上市され、高齢化と相まって費用の増大は続くであろう。国民皆保険制度は誇るべき制度であり、国民に公平で良質な医療を提供してきた。持続可能な対策を切に願う一人である。
国民皆保険制度の源流は、明治時代の後藤新平の政策提言にさかのぼる。後藤の建議は、「富国強兵」から「労働力保持」に替えた点で、一定の前進と川上武氏(近代日本医療史の先駆者)は評価する。1938年には、厚生省の創設とともに、産業振興と戦時下の健兵健民政策から国民保険制度(国保)が成立し、市町村の95%に普及したことから実質皆保険となった。しかし、この段階では国庫負担は極めて少なく、国保は財政的危機に陥った。税収のめどが立った高度経済成長期の61年にようやく国民皆保険制度が実現した。
75年頃仙台の医学部近くに本屋があった。その本屋の店主のNさんは、小売りの一方で、東北に伝わる童話や育児本などを出版する良心的な地域出版を経営していた。Nさんは、陸軍士官学校卒で、戦後は大学編入後、国家公務員となるも組合運動への参加によりレッドパージで職場追放。その後、「国際派」として活動する中、逮捕。しかし、奥さんともども持ち前の楽天性とバイタリティーで、昭和30年代初め大手ミシンメーカーに就職し、高度経済成長期にトントン拍子に出世したが、出版の夢を断ちがたく75年頃に自立。はだし保育の嚆矢の育児本を出版し大ヒット。住民運動の一方、選挙地域後援会長として大活躍。衆院共産議席獲得の原動力となる。Nさんは、「安保反対だが、あの時はつらかった。食っていけないんだもんな。経済成長では救われた」としみじみ語るのが常であった。
国民皆保険制度は、川上武流に言うと「思いがけない社会保障制度の前進という意見もあるが、経済成長の破綻を防ぐ政策」として、「労働力保持のために導入された」。経緯はどうであれ、現在社会制度として深く国民の間に定着し、公平な医療を実現し、平均余命の延長に貢献した点は疑いない。それゆえにこの制度を守るため、国民は覚悟をもって知恵を絞る必要がある。前提となる、財政基盤の確立は、避けて通れない議論であり、「経済成長」そのものが悪いのではなく、表面的で短期的に財政バランスを重視し、「国民の健康」という大切な根幹を切り捨てることが問題である。それは成長の芽をもつむ。尊敬すべきNさんの意見は至言である。

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