40年の疑問
笹野 満(北丹)
私は丹後に赴任して42年になる。当時、医師会で親しくしてもらった、ご指導たまわった先生方はすでに亡くなられて、私ひとりになった。総括しろと言われているが、今さら丹後の医療を云々しようとは思わない。ただ、40年来、考えてきたことを書いてみたい。
診療報酬の価格体系がはたして妥当なものか、という疑問である。経済学では、価格は物、サービスの代価であるが、また、価格は市場経済下でその効用、希少性を知る最も重要な情報である。効用、希少性を知らせるインフォメーション効果を持っている。例えば車を購入するとき、価格を知ると、その車のスペック、付属品等の相対比較を知ることができる。診療報酬を比較しても、その有効性を推測することはできない。少しずつ変更しているうちに相対的な臨床有効性の情報が偏向している。
例えば、フィブラストという、褥瘡の治療の外用薬があるが、高価で1本1万円を超えている。若い外科、皮膚科の医師が使用しているのを見せてもらったが、有効な症例は見たことがない。褥瘡の治療は、創傷治癒の原則を守らないと成功はしない。つまり、ポケットを切開し、ドレナージを効かせ、壊死した皮膚、腱、骨等の組織を除去することが前提になる。適宜、外科的処置が終わっても、治癒が遷延するとすれば、この薬の適応があるだろうが、現実には使用したことはない。従来の褥瘡処置で充分の効果を得ている。添付文書には、褥瘡、皮膚潰瘍が適応であるが、外科的処置の必要性は書いていない。
この薬が、外科的処置を代替できるわけではないが、これほど高い価格を設定すると外科的処置は不要と誤解させているのではないか。褥瘡処置の点数はきわめて安く、ほとんど入院料に包括され価格さえ設定されていない。このことにより、外科的処置はフィブラストに比べると、とるに足らぬものであるというインフォメーションを発信している。
もっとも、フィブラストに高い薬価をつけたのは遺伝子組み換えという新しい技術をつかったからということであろうが、これは少し納得がいかない。厚労省が税金でもって産業政策を行うのは異議ないが、保険料で産業政策を行うのは逸脱ではないかと考える。
我々は大学で保険制度の講義は受けなかったし、若い医師が保険制度に関心を持っていることは稀だろう。個々の事例で疑義や不満を持つことはあるが、全体像を把握することは不可能に近い。医師会にしろ、保険医協会にしろ、個々の争点は研究しているであろうが、構造的な把握はできていないと思える。元々、制度の中に浸っている者(ステークホルダー)が全体像を把握することは難しい。
私が卒業した頃、薬品は100錠注文すると、100錠添付するのが常態で(50%値引き)、150、200錠添付という噂も聞いていた。薬価に対し、技術料の評価は極めて低かった。過去に、政府が財政的に逼迫していたので、「技術料の評価を下げるが、薬価差には口出ししないという了解があった」という話も聞いた。真偽のほどは知らない。
長い年月の間、いろいろ改正があったが、今でも薬価は欧米に比べれば数倍高いというし、技術料の評価は同じように低い。厚労省にしろ、医師会・保険医協会にしろ、また保険者側にしろ、利害関係者が言うことはあまりあてにはならない。この問題は公共経済学の好個の適用例ではないか。アメリカの中古車市場の情報の偏在とそれによる価格形成の不均衡の研究は、ノーベル経済学賞に評価されている。日本の医療制度の経済学的分析はノーベル賞ものだと思うがどうか。私の知る限りでは、納得がいく保険制度の構造分析は目にしていない。歴史の長い制度は、経済学でいう「経路依存性」を持っている。新しい制度を接ぎ木すること自体、別の費用を生み出すという問題も含まれている。
今日、人口減少、少子高齢化という大状況が変化している。高度成長時代の残渣を持っている現行制度で対応できるのか、考える時がきている。基本的な構造分析を期待している。
次のことを記憶されたい。中東の原油を運ぶ40万トン級のタンカーは舵を切っても、実際舵が効いてくるのは20~30㎞先である。医療制度の変更は小刀細工では変わらない。
筆者プロフィール
1971年8月、京都大学医学部卒業。
72年、倉敷中央病院外科にて研修。
74年、丹後中央病院外科に勤務。
85年に丹後中央病院院長に就任。
06年に京丹後市立弥栄病院の特別参与へ。北丹医師会の副会長・会長を歴任。