小泉 昭夫 京都大学医学研究科環境衛生学分野教授
本紙で連載した吉中丈志氏の「見つめ直そうwork health」を書籍『いのちの証言・二硫化炭素中毒―ラマツィーニ、現在によみがえれ』にまとめるにあたり、書籍のあとがきや帯の原稿執筆、また本紙「私のすすめるBOOK」への寄稿などを小泉昭夫氏にお願いした。それを縁に、今回、司馬遷の言葉を借りて「天道是邪非邪(皆さんどう思われますか?)」というコラムを執筆いただくことになった。小泉氏の経歴は下記をご参照いただきたい。
小泉昭夫●略歴
1952年7月に兵庫県尼崎市で生まれる。西宮市の甲子園球場のすぐ隣にあった甲陽学院高校を71年に卒業。東北大学医学部78年卒業。東北大学医学部助手を経て、83年医学博士、83年から87年まで米国留学、87年に秋田大学医学部衛生学講座助教授、93年同教授、2000年に京都大学大学院・医学研究科社会健康医学専攻系教授、現在に至る。専門は、環境保健および産業保健。福島第一原発後の健康問題を追跡する一方、もやもや病や小児四肢疼痛症などの難病における環境と遺伝要因の相互作用に注目し研究している。小学生からの阪神ファンである。
戦後GHQが残した負の遺産
労働衛生行政は、目まぐるしく変わる。最近、ストレスチェックが導入され多くの職場でその対応に追われている。労働衛生行政といえば、必ず思い出す光景がある。高校通学途中に、山口組の田岡組長の散歩にたびたび出会った光景である。組長は、尼崎の関西労災病院のVIP個室に入院していた。
組長が、なぜ、関西労災病院に入院していたのか不思議に思っていた。組長の自伝『山口組三代目 田岡一雄自伝』(徳間文庫カレッジ、2006年刊)を読み、労働省との深い関係がよく納得できた。戦後の混乱期に尼崎は、労働争議が頻発していた。時あたかも朝鮮戦争勃発の時期である。朝鮮への兵站を担う阪神間の港湾の労働者もまたレッドパージや労働争議の渦中にあった。そこで、当時の占領軍GHQは、山口組を通じ、労働争議から兵站輸送を確保したいと思った。山口組は、全面的に米軍に協力することになり、組合とも鋭く対立することになった。またこの事業で山口組の経済基盤は一気に安定化したのである。その後、労働省は、労働者の不満を抑え込むため「飴」の政策として労働者の労災救済の名目で、阪神間に労働者の病院を建設した。GHQを介して労働省とつながりのできた組長は、用地買収で協力した。その結果、恩義を感じた労災病院側は、田岡組長をVIPとして扱ったというのが、入院の背景である。
では、GHQはどのように組長に繋がっていったのであろうか。当時の日本には、米国の情報機関に所属する文化人や政治家、旧満州からの旧工作員がいた。その中に、児玉誉士夫や731で有名な石井四郎も入っている(米国国立公文書館機密解除資料『CIA日本人ファイル』加藤哲郎編集・解説、現代資料出版2014)。児玉、田中清玄ラインが仲介の労をとったと考えられる。
米国の社会は、「自由と民主主義」を法の原理として掲げている。しかし、現実と法の乖離を埋めるため、情報機関によるアウトロー活動を行ってきた歴史的事実がある。しかし、正史ではその存在は認めず、文書として公開するにとどめている。東洋では法と現実のギャプを埋めるアウトローとして、「任侠」がある。東洋において過去を振り返れば、司馬遷は「史記」に「遊侠列伝」を置き、即ち正史の一部に「任侠」を位置づけている。情報公開される資料を基に、歴史の残渣を整理しながら、「天道是か非か(天道是邪非邪)」(司馬遷)を問う必要があろう。