医師の診る風景北丹より8 (弥栄町編)  PDF

府北部から超高齢社会への挑戦1
安原 正博(北丹)

拝啓

 紅葉美しき候、思いがけず貴君の報に接し、ご壮健をお慶び申し上げます。貴君が信州、安曇野にて、医を業としながら書を友とし、同時に雪のキリマンジャロ登山を目指す青年のように生きておられるご様子に時空を超えた青春を思い出しました。
 私は京都府立医科大学を定年退職後、2008年4月より、海の青、空の光、地の緑豊かな丹後半島に位置する京丹後市立弥栄病院に勤務しています。当地の特記すべき歴史、風習については別の機会に譲り、本日は勤務する弥栄病院から見た丹後医療圏の風景を、弥栄病院の挑戦、共同研究機構「長寿・地域疫学講座」、近未来の現実と題して3点に絞り、述べたいと思います。

弥栄病院の挑戦

 1948年、「医療のない村に人は安心して住めない」との地域住民の要望により開設された村の小さな診療所は、弥栄町国保病院を経て、病床数248床、医師16人の中規模病院となった。04年、丹後6町が合併し京丹後市が発足すると京丹後市立弥栄病院に名称変更した。しかし、低医療費政策、新臨床研修医制度、医療従事者不足などの複合的要因により、病院経営は慢性的赤字を示し、憂慮すべき状態が続いた。
 院長就任の08年、弥栄病院の挑戦として「持続可能な病院経営」と「医療の公共性の確保」を目指す改革を始めた。医療機器・薬品の物品管理(SPD)、電子カルテ導入、在宅医療推進のための在宅医療センター設置(訪問診察、訪問看護、訪問リハビリ、医療連携、地域包括支援センターの各部門を有機的に統合)、総合医養成のための教育研修病院、地域医療の研修指定病院(京都第一赤十字病院、第二赤十字病院、神戸市立医療センター中央市民病院からの研修医受け入れ)など、全職員が病院の現状を深く認識し、病院活性化という一つの方向にベクトルを合わせて行動した。その結果、09年度以降、病院収支は黒字を維持するとともに、新病院改築計画を立案し、現在、小田洋平院長の下で病院改築工事が始まった。

共同研究機構「長寿・地域疫学講座」

 現在、京丹後市の総人口約6万人中、65歳以上高齢者は約2万人で、その高齢化率は33・4%と全国平均26・8%よりも高率である。京丹後在住で116歳にて逝去された男性長寿世界一の木村次郎右衛門さんは人間の限界年齢(120歳)に達して、生涯にわたり活動されてこられた。このように京丹後市の位置する丹後半島はGerontopia Tangoというべき長寿の里である。超高齢社会を迎えた我が国はかつて経験したことがない様々な問題を世界に先駆けて克服しなければならない。
 15年10月、京丹後市立弥栄病院と京都府立医科大学とは、丹後医療圏の長寿者の健康・長寿要因を解明し、その研究成果を地域社会に還元し、生涯現役の健康長寿社会を創造する目的で、弥栄病院内に「長寿・地域疫学講座」を開設した。この構想は12年頃より、京丹後市、弥栄病院、京都府立医科大学との間で継続的に討議され、15年に入り、京都府立医科大学吉川学長のもとで現実に至った。
 現在、2人の循環器内科専門医がこの制度下で勤務している。この講座では、京都府立医科大学は弥栄病院(常勤医11人)に内科医を恒常的に派遣することで京丹後市の医師不足解消に資し、赴任した医師は弥栄病院での臨床経験を大学での研究に生かすことになる。
 従来、京都府から丹後医療圏医に派遣される医師は自治医科大学卒業生にほぼ限られていたが、本制度により、医師派遣の新たなシステムができ、今後、丹後医療圏の医師不足解消の契機になると予想される。
(つづく)

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