また事件をきっかけに政策が妙な方向へ進みかねない。
相模原市の知的障害者施設で7月に起きた殺傷事件は、弱い立場の人々が標的にされたという面でも、優生的な思想に基づく犯行という面でも、衝撃的だった。
重度障害者はいないほうがよいというゆがんだ確信を容疑者が抱いたのはなぜか。社会的背景を含めて深い部分まで解明される必要がある。その意味で、事件の原因は現時点でもよくわかっていない。
ところが、容疑者が2月19日から3月2日まで措置入院していたことから、塩崎厚労相は事件の翌日に「措置入院の解除後のフォローアップを検討したい」と発言。首相や官房長官も、厚労省を中心に再発防止策を検討するよう求めた。8月10日からは厚労省が設けた「事件の検証及び再発防止策検討チーム」が、措置入院解除後のあり方に重点を置いて議論を進めている。
だが、はたして問題は精神科医療の不備なのだろうか。
大量殺人の計画を書いた手紙を衆院議長公邸に届け、同趣旨の内容を警察や勤務先の施設に話した2月の時点で、なぜすぐ精神科医療にゆだねたのか。業務妨害などの容疑で逮捕や捜索をできなかったのか。措置解除の数日後に施設近くで本人を警察が現認して施設に防犯カメラ16台を付けさせたのに、なぜマークが甘かったのか。警察の失態はほとんど検証されていない。
措置入院の対象になる精神症状が本当にあったのかも疑問が残る。他害のおそれが明らかでも、精神障害によるものでなければ、措置入院の対象にはならない。極端な考えが精神障害とは限らない。
治安にかかわる信念や思想を医療の対象にするなら、極左グループやイスラム過激派やヘイトスピーチをする連中も、措置入院させてよいことになる。旧ソ連のように体制批判者を精神科に放り込むことにもつながりかねない。
1964年のライシャワー駐日米大使刺傷事件の後、精神障害者は治安対象として隔離収容政策が進められ、日本は世界一の精神科病院大国になってしまった。
2001年に起きた大阪教育大付属池田小事件の犯人は以前の傷害事件後に措置入院していた時期があり、当時の小泉首相が「精神的に問題のある人が逮捕されても、また社会に戻ってひどい事件を起こす」と発言し、心神喪失者等医療観察法が作られた。しかし犯人は精神病ではなく、詐病だったことが精神鑑定や裁判で明らかになり、焦点のずれた法制度になった。
今回の事件で、措置入院解除の厳格化、退院後の監視、強制通院といった方向へ進めば、入院中心から地域生活中心への移行を掲げてきた精神保健福祉政策に逆行する。
再発防止を考えるなら、命の価値に軽重をつける差別思想と社会が闘うこと、必要な時は刑事司法による対処をしっかりやることだ。
医療はあくまでも本人のためにある。差し迫った自傷他害のおそれがある時に措置入院させるのも、本人のためとされている。本人ではなく治安のため、社会のために医療が行われる状況になったら、今回の事件以上に恐ろしい。
医療は治安の手段ではない
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平