「京都市高速中止を表明」を読んで  PDF

「京都市高速中止を表明」を読んで

山本昭郎(下西)

 京都市は1987年に新十条通の都市計画を発表していましたが、93年に油小路線・久世橋線・堀川線・西大路線の計画を決定しました。稲荷山トンネルで山科と十条通を、油小路線で伏見経由・京阪道路を結び、現久世橋線の道路幅を50mに拡張し、その上に幅25mの高架道路を建設し、久世の現イオンモール桂川の道路に接続。久世橋線から、京都市内へ行きは西大路線で、帰りは堀川線で結び、いずれも地下道で五条通に出入り口をつくるといった計画です。油小路通の住民や商店の多くの人たちが立ち退きを迫られました。また、計画で道路や自動車公害で悩まされる恐れのある住民や市民団体が、計画反対に立ち上がりました。そうして生まれたのが、“京の道と交通を考えるネットワーク”(代表:故足立明唐橋診療所長)でした。道路が増えればクルマが増える、これ以上大気汚染が進んではならないと、1992年6月から始めた下西医師会有志(代表:故足立明、飯田哲夫、宇都宮久清、故谷田悟郎各医師と筆者)による五条、九条、十条通、下西地区の小中学校のNO2カプセルでの大気汚染調査にも熱が入りました。

 事業主体の阪神高速道路公団の失業対策事業と揶揄されながら、1995年3月に新十条通を着工したものの、住民の反対で山科トンネル発削は3年間工事中止の末、7年かけて08年に完成。さらに斜め久世橋区間で油小路線と接続させることで、伏見区を経由して山科と京阪国道につながる油小路線が、阪神高速8号線京都線として11年3月に2路線全線開通しました。総事業費2900億円、京都市負担716億円といわれています。京都市にとって大きな財政負担となりました。そして、16年5月25日、京都市の門川市長は、残る3路線については交通情勢の変化や財源の確保ができないなどの理由で、計画の中止を表明しました。

 約四半世紀にわたり、住民や市民団体の反対を押し切り、京都高速道路2路線は建設されてきましたが、反対運動の先頭に立たれた多くの方が鬼籍に入られました。ご冥福をお祈りします。

 運動の後ろを歩いていた小生にも、京都高速道路残り3路線の中止の報に接し、やっと報われたなという感慨、その10日後に同年齢の反戦・人種差別反対の雄モハメッド・アリ氏の訃報を聞いて、自分の青年・壮年期の時代が終わったなと思いました。

ページの先頭へ