続・記者の視点(58)
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
権力をふるいたがる人たち
たとえば、薬を指示通りに服用しない患者を叱りつける。公務員の給料を半分にしろとネットに書き込む。それらは権力の行使だろうか?
筆者はイエスだと思う。
狭い意味での権力は政治、行政、司法などが持っているが、人と人の間の力関係という広い意味でとらえた権力は、人間社会のそこらじゅうに日常的に存在する。
職場、学校をはじめとする各種の組織はもちろん、家庭にも、地域にも、社会運動にも、様々な力関係がある。
何らかの決定権限や指揮命令がないと世の中が回らないのはその通りだが、問題は、必要以上の権力を積極的にふるいたがる人たちが、少なからず存在することだ。
ここで言う権力の行使は、他者の意思や行動を左右することだけではない。力関係の確認(誇示)も含まれる。
職場の力関係を背景にした言動で、相手が不快感を抱けばパワハラになる。教師の多くは制裁や評価の権限を背景に、子どもに言うことをきかせている。いじめも力関係である。家庭内で力関係を誇示すると、DVや児童虐待が起きる。買い物や飲食のとき、店員にえらそうにすれば、買い手(消費者)という立場が持つ権力の誇示だろう。
医療現場で患者や他職種に対して最も権力を持っているのは医師である。医学部や医療界には封建的な風土が残っており、医師の方々は権力のいやな部分を十分に実感してきたはずだが、そういう風土の中で権力的ふるまいを身につけてしまった医師もいる。
逆に、むちゃな要求をする患者は、医療機関の顧客という立場をよりどころに、権力を誇示したいのである。
なぜ、一部の人たちは権力をふるいたがるのだろうか。筆者は「優越感の確認」だと思う。対等の関係では気が済まない。自分が相手より力を持つこと、強い立場にあること、あるいは優れていることを確認することによって、気分をよくしたいのである。
これは多くの場合、不安や劣等感の裏返しである。自分に自信を持っていれば、わざわざ力関係を確認する必要はない。能力・見識・人格が本当に優れていれば、人は自然についてくる。
困ったことに、権力をふるいたがるタイプの人が組織の上に立つと、自分にしっぽを振る人間を好むので、さして能力の高くない茶坊主が昇進する。ゴマスリで出世した人は自分に不安があるから、権力をふるいたがる。かくして組織は劣化する。
社会的な現象も、一種の権力行使として解釈できる。
過ちをした著名人への過剰な非難、価値観や道徳の押しつけ、生活保護利用者へのバッシング、外国人への差別や憎悪をまきちらすヘイトスピーチもそうだろう。主観的には正義感や被害意識があるのだろうが、反撃しにくい人々をたたくことによって、優越感を得ているのである。
他者との対等な接し方を養うには、どうすればよいのか。根本的には教育の課題だが、やっかいなことに学校は相当な権力行使の場である。