憲法を考える(52)
憲法・立憲
この3月末には「安保法制」が施行されますが、この法の国会審議では「戦争法案」という呼称を巡っての論争など(私には本質を見抜いた呼称に思えますが)、合憲・違憲、立憲主義などが今までになく広く議論されました。既に書いたことの繰り返しですが、改めて法律・憲法、立憲主義について述べたいと思います。
法律と憲法の違いは、法律は国民の自由を制限し、社会の秩序を維持する、すなわち国民に対する制限として働くもの。憲法は国家の権力を抑制し、国民の人権を保障するもの、すなわち国家に対する制限として働くものといわれています。
法律は我々の多数の意志に従って決められ、それに基づいて我々の間で相反するものを調整し、我々はそれに従います。しかし我々が遭遇する様々な状況において、多数に従いさえすれば、それはいつでも正しい判断になるとは限りません。そのためにはどのような状況に陥ったとしても、全体の判断に間違いが生じないように、どのような場合でも守るべきものを(歴史が教える教訓をも含め)あらかじめ冷徹に考え、決めておかねばならないことになります。その時々の状況で奪ってはならないものを明らかにし、国家、国民が守るべきものとして、現実には国家と個人との圧倒的な力の差のもとでは主に国家が守るべきものとして、あらかじめ決定しておかねばならないものがあることになります。憲法とはこの守るべきものを明文化したものに他ならず、多数決のもとであってもなお行ってはならないことを定め、国家のもつ力を制限し、それによって奪ってはならないもの、たとえば人権を守るものであるといえます。
そして立憲主義は単に憲法を制定し統治するというのではなく、そこで制定される憲法が、先に述べた要件を満たし、人権を保障し、権力分立などあるべき国家の統治機構を定めていることが必要です。歴史をみれば、その権力が人の生存すら脅かすほどでもあったのは紛れもない事実であり、その権力に歯止めをかけようとして生まれてきたのが、立憲主義だといえると思います。
「安保法制」の法案・条文は、またその審議・成立の過程・手続をも含め、憲法の定めるところに背反していないか、その疑いは払拭されているのか、疑問が残るといわざるを得ないように思います。
(政策部会・飯田哲夫)