原 昌平 (ジャーナリスト)
過剰な終末期医療は、ほぼ行われていない
一般の人々の多くが抱いている終末期医療のイメージは、どんなものだろうか。
入院すると、濃厚な医療をされ、高齢者でも、とにかく命を延ばす措置をされる。たくさんの管をつながれ、スパゲティー症候群にされる。
それは、医療従事者がとにかく延命すべきという考えにとらわれているから。それは医療従事者が刑事責任や民事責任を問われたくないから。そのほうが病院の診療点数が増えてもうかるから――。
1980年代から2005年ごろまでは、そういう状況がそれなりにあったと思う。
しかし、近年の医療現場の様相は大きく変わった。
難しい救命、濃厚な医療、とことんの延命は、高齢者にはやらない傾向にある。労力がかかるので、現場は歓迎しない。自然に看取るほうが倫理的と考えるスタッフが増えた。ナースは、機器を付けた患者に対し、見るにしのびないという意識を持ちがちだ。
これらの傾向は、筆者が属する複数の病院の倫理委員会での事例検討や、医療関係者・患者・家族から聞いた状況をもとにした見方だ。
学術的に実証するには、医療現場の実態調査や意識調査が必要だが、過剰な終末期医療が少ないと考えられることには、制度面の背景がある。
入院の診療報酬で、出来高払い(医療行為の点数積み上げ方式)が減り、包括払い(マルメ)が増えたことだ。
特定機能病院や急性期病棟の大半は、DPC(診断群分類包括評価)になった。手術・麻酔・放射線治療・リハビリなどを除き、病名ごとに1日の入院料は定額だ。
救命救急、ICU、HCUなどの専門病棟も包括払い。療養病棟は、患者ごとに医療必要度とADLによって決まる包括払いである。
出来高の一般病棟でも75歳以上の患者、入院90日超の患者は包括払い。投薬、注射、検査、処置、画像診断などをいくらやっても、1日の診療点数は変わらない。
出来高払いの病棟・患者はかなり少ない。包括払いだと濃厚な医療をやっても病院の収入は増えず、逆に労力とコストがかかる。むしろ早すぎるあきらめや、不十分な医療・ケアが懸念される。
医療行為の中止・不開始はすでに少なからず行われている。厚労省のガイドラインに沿って集団的に検討して決めたことなら、法的責任を問われるおそれは、まずない。
終末期の延命医療費の全額自己負担化を掲げた参政党、尊厳死の法制化を唱えた国民民主党は、状況認識が根本的に間違っている。20年以上前の古い感覚だ。終末期医療の費用が膨張して財政を圧迫しているという実態もない。
ただし、課題はある。
一つは、がん以外を含めて緩和ケアがまだまだ不十分なこと。なのに、終末期の医療費が抑制されたら、人生の終わりが悲惨なことになる。
もう一つは、タチの悪い一部の病院。救急、生活保護、高齢者、精神科などの患者をターゲットに過剰医療、劣悪医療でもうける。その手の病院は、病名や症状のでっちあげ、意図的な病状悪化、身体拘束・暴力などを行う。メスを入れるべきは、そちらだ。







