京都を知ろう 医史編 事件から60年サリドマイド胎芽症と薬害 過去の問題ではない 今知ってほしいこと 日ノ下医院 日ノ下 文彦 医師(西京)  PDF

日ノ下医院の日ノ下文彦医師(西京)は2014年から2021年3月まで厚生労働省のサリドマイド胎芽症に関する研究班長を7年間務め、さまざまな調査や研究、活動に従事した。今年で薬害サリドマイド事件が発生して60年あまりとなるが、障害を背負って生まれた被害者は過用症候群や二次障害に悩まされている。この現実を医療や看護、介護、福祉に関わる多くの人に知ってもらいたいとの思いを寄稿いただいた。

NHK ETV特集「続・薬禍の歳月 ~薬害サリドマイド事件60年~」
2025年3月15日23時からNHKのETV特集「続・薬禍の歳月~薬害サリドマイド事件60年~」が放映された。これは、2015年に放送され放送文化基金賞のテレビドキュメンタリー番組部門の最優秀賞、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門大賞を受賞するなど注目を集めたETV特集「薬禍の歳月~薬害サリドマイド事件50年~」の続編である。今回の番組では、薬害により四肢の障害を持って生まれた被害者が還暦を過ぎ、幼少期より下肢や上腕、手、口など体を酷使した結果、深刻な痛みや身体機能の低下など二次障害に苦しむ状況が報道された。サリドマイド薬害被害者の一人である増山ゆかり氏は絶望する仲間を支えようと国から新たな追加補償を勝ち取ったドイツを訪ね、ドイツの被害者たちと語り合った。
筆者は以前厚生労働省のサリドマイド薬害問題に関する研究班長を務め、2017年、自ら被害者の健康・生活実態調査を実施している。番組ではインタビューを受け、自身のコメントが放送された。

サリドマイド薬害の実態
サリドマイド(thalidomide)は旧西ドイツのグリュネンタール社が開発・販売後、英国やスウェーデンなど欧州各国、カナダ、ブラジルなどでも発売された。わが国では大日本製薬がグリュネンタール社とは異なる合成方法でサリドマイドを製造し、1958年にイソミンRの薬品名で販売した。追って、他の数社もジェネリック薬を製造し販売した。
サリドマイドは安全な鎮静剤、催眠剤として販売されたので、わが国でも多くの妊婦が内服し、その結果、さまざまな先天性障害を有するサリドマイド被害者が生まれた。特に、わが国ではレンツ警告(下段参照)後も製品回収が遅れ、1964年までに計数百人の被害者が誕生したと言われており、当時の厚生省が公認しただけでも309人に上った。サリドマイド胎芽症(以下、サ症)は上肢や下肢の奇形が有名であるが、四肢の奇形がほとんどなく聴覚障害や耳介の奇形など頭部の異常が主体のグループも存在する。公認された309人のうち、上肢低形成群(わが国では上肢下肢ともに短い症例は極めて稀)が227人、聴器低形成群が63人、混合群が19人であった
1)(図2)。同じサ症でも障害部位が異なるのは胎児の器官形成期において母体がサリドマイドを服用したタイミングの違いによると考えられている。

サリドマイド訴訟と和解
サリドマイドによる重篤な先天性障害は世界中を震撼させたが、わが国のサリドマイド被害児の父母たちは「父母の会」を結成し、薬害に関する因果関係の立証と責任の所在を明確にするため、1963年、名古屋で初めて大日本製薬を被告とするサリドマイド訴訟が提起された。次に、京都地裁で国と大日本製薬を被告とする訴訟も提起され、以後、他の地域でも国や製薬企業を相手取った訴訟が提起され、1971年、全国サリドマイド訴訟統一原告団が結成された
2)。
提訴された当初、国や製薬企業は先天性障害とサリドマイドの因果関係を否定する立場であったが、医学的な因果関係が明らかとなるにつれ薬害の予見可能性の議論へと移行した。原告団は1970年代に高まった製造物責任の概念も取り入れ徹底的に「落度責任」を追及した。1974年10月、ようやく原告団と厚生省(当時)、大日本製薬の間で和解が成立し、3者が和解確認書に調印した2,3)。これは、法的に薬害責任が認められ賠償の道筋ができ上がったという点で画期的なものであった。

和解による賠償とその後の救済・補償
和解確認書に基づき、被害児は障害の程度に応じて3クラス(A、B、C)に分類され、賠償金が父母に一律300万円、被害児にはクラスに応じて実質数千万円まで支払われた
3)。賠償金の一部(5億円)は「サリドマイド福祉センター」(現公益財団法人「いしずえ」)の設立と運営に充てられた。また、賠償金の一部はサリドマイド福祉センターに委託され、長期継続年金の形で年金を受け取れる仕組みも設けられた
2)。
現在、「いしずえ」は年金の管理や支給にとどまらず、被害者の健康管理・治療に関する相談と支援、障害者の生活改善と社会的地位向上に関する事業、医薬品の副作用被害防止と被害救済に関する事業、その他の支援・交流事業など幅広く活動しているURL)。
一方、厚生労働省は「いしずえ」との定期的な接触以外に、2011年4月、厚労科学研究として「全国のサリドマイド胎芽病患者の健康、生活実態に関する研究班」(3年単位)を立ち上げた。本研究班はその後も継続され、今では「サリドマイド胎芽症患者の健康、生活実態の把握および支援基盤の構築に関する研究班」として、被害者の健康や生活への支援、福祉や臨床の充実、臨床研究に貢献している1,4,5)。
筆者らが班研究として2017年に実施した健康・生活実態調査 6)によると、サリドマイド被害者で「健康状態がよくない、あまりよくない」とした人の比率は20・2%で、同年代一般人(厚労省による国民生活基礎調査)の13・2%よりも明らかに高かった(図3)。同じく、サリドマイド被害者では「健康上の問題が日常生活に影響している」と回答した人が40・5%(一般人11・8%)もいて健康状態が好ましくない人が相当多いことが推測された(図4)。また、調査時点で「病気やけががある」と回答した人の比率が68・8%にも上っていた。実際、サリドマイド被害者は中高年になると増えてくる生活習慣病(高血圧、糖尿病、脂質異常症など)のみならず、幼少時期からハンディを克服するために無理を重ねた結果、腰痛や肩こり、関節症、視力障害、聴力障害の進行、精神疾患等々、過用症候群や二次障害で苦しんでいる。
英国やドイツでは2010年以降、生活上の不自由や苦痛に悩んでいる被害者にそれぞれの方法で多額の補償が追加された。サリドマイド被害者が自己責任のない薬害で若い時以上に苦悩している問題に対し、両国が追加補償に踏み切ったのは評価に値する。わが国の場合、1974年、被害者と国および製薬会社の間で和解が成立した後、法的、社会的にはそこで時間が止まってしまい、その後あまり進化していないように見える。1960年代、70年代はまだ医学がそれほど進歩しておらず、サ症についてもその後に判明した臨床的問題や異常が多々ある。さらに、被害者たちが若かりし頃に比べ初老期に至るまでの経年性変化に目をつぶるわけにはいかない。したがって、わが国もドイツ、英国に見習って追加の補償を考えるべき時期にきているのかもしれない。

過ちて改めざる、是を過ちという
„ToErrIsHuman"つまり「ヒトは誰でも間違える」という有名な格言がある(米国のIOM[InstituteofMedicine]がまとめたレポートのタイトルにもなった)が 7)、論語の衛霊公第十五29にも「過ちて改めざる、是を過ちという」という文言がある。これは「仮に重大な誤りがあっても、二度とその誤りを起こさないよう取り組むべきだ」という至言であり、論語が編集された紀元前から現代に至るまで通用するヒューマンエラーの真髄である 8)。
我々医療者や医学・薬学の関係者、製薬企業、薬事行政や健康管理に関わる公的機関、マスメディアはすべて二度と深刻な薬害を起こさぬようサリドマイド事件を肝に銘じ忘れることがないよう努めていく必要がある。

ひのした・ふみひこ 京都市生まれ〔略歴〕
1981年3月
東京医科歯科大学(現東京科学大学)医学部卒業/1986年3月
同大学院医学研究科博士課程修了(内科学専攻、医学博士)大学院修了後、東京医科歯科大学第二内科医員、ハーバード大学医学部病理学教室客員研究員、国際医療福祉大学臨床医学研究センター助教授、国立国際医療センター腎臓内科診療科長、帝京平成大学健康医療スポーツ学部看護学科教授を経て、2023年5月に京都市西京区桂にて日ノ下医院開業。国立国際医療センター時代には厚労省「サリドマイド胎芽症患者の健康、生活実態の把握および支援基盤の構築 研究班」班長を7年間務めた。〔学会・研究活動〕
内科学会、腎臓学会(功労会員)、透析医学会、高血圧学会、糖尿病学会、急性血液浄化学会、American Society of Nephrologyなどに所属し臨床・研究に勤しむ。〔趣味〕
趣味は旅行や語学(英検1級、仏検3級)だが、開業後は地域医療に専念していて国内も海外も思うように旅行できず。

追って聞きました

被害者の方はどのように生活されていますか。――これまでたくさんの被害者の方にお会いしてきました。サリドマイド薬害と聞くと、手の障害をイメージされる方も多いと思いますが、実は聴覚が不自由な方も多いです。国立国際医療センターで働いていた時、年に1回被害者の方に人間ドッグを受けていただく機会があり、検査に付き添っていました。聴覚に障害があるとコミュニケーションを取るのが非常に難しいです。
被害者の障害はさまざまで重症度の程度も異なります。日本で最も重症度の高い被害者は両上肢・両下肢の欠損の方で、口や肩、短い指等を使って生活されています。大好きな絵やイラストを短い手指等を使って描いておられます。不自由を抱えながらも懸命に生活されているパワーには圧倒されます。今、なぜ薬害問題に目を向ける必要があるのでしょうか。――医学教育ではサリドマイド薬害のことは教えません。ですので、20代、30代の若い医師はサリドマイド薬害と聞いても知らない医師もいると思います。現在でも、薬害問題のほか、医療に関わる課題、社会に潜む課題や矛盾は多々あります。中には存在すら知られていない問題もあると思います。当事者、それに関わる人が声を上げ、世間に知ってもらうことが何よりも大切と考えています。

参考文献1) サリドマイド胎芽症患者の健康、生活実態の把握及び支援基盤の構築に関する研究班(研究代表者 日ノ下文彦):サリドマイド胎芽症診療ガイド 2020. 厚生労働科学研究費補助金補助金(医薬品・医療機器レギュラーサイエンス総合研究事業)「サリドマイド胎芽症患者の健康、生活実態の把握及び支援基盤の構築に関する研究」, 2020.2) 一番ケ瀬康子、加藤一郎、西田公一:鼎談 サリドマイド訴訟の和解をめぐって. ジュリスト 577:15-34, 1974.3) サリドマイド訴訟常任弁護団:サリドマイド訴訟の意義 -その経過と和解の内容の評価. ジュリスト 577:47-59, 1974.4) サリドマイド胎芽病患者の健康、生活実態の諸問題に関する研究班(研究代表者 日ノ下文彦):厚生労働科学研究費補助金(医薬品・医療機器レギュラーサイエンス総合研究事業)「サリドマイド胎芽病患者の健康、生活実態の諸問題に関する研究」総合研究報告書,2017.5) サリドマイド胎芽症患者の健康、生活実態の把握及び支援基盤の構築に関する研究班(研究代表者 日ノ下文彦):厚生労働科学研究費補助金補助金(医薬品・医療機器レギュラーサイエンス総合研究事業)「サリドマイド胎芽症患者の健康、生活実態の把握及び支援基盤の構築に関する研究」総合研究報告書, 2020.6) Hinoshita F, et al. A nationwide survey regarding the life situations of patientswith thalidomide embryopathy in Japan, 2018: First report. Birth Defects Res111:1633-1642, 2019.7) Institute of Medicine (US) Committee on Quality of Health Care in America.To Err is Human: Building a Safer Health System. Washington (DC), NationalAcademies Press, 2000.8) 日ノ下文彦:薬害について思うこと. 医療( 8/9):372, 2017.参考URLいしずえ(サリドマイド福祉センター). http://ishizue-twc.or.jp( 2025年6月13日現在)

サリドマイド薬害事件とは…

サリドマイド(thalidomide)は、1957年に旧西ドイツの製薬メーカー・グリュネンタール社が鎮静剤、催眠剤として開発し、ほとんど副作用がなく妊婦も安心して服用できるという触れ込みで販売された。その後、1960年頃からドイツでは特別な誘因や遺伝素因がないにもかかわらず、先天性四肢障害(いわゆる海あざらし豹肢し 症など)を有する新生児が数多く報告された。当初はその原因が突き止められなかったが、ハンブルグ大学小児科のWidukind Lenz博士が、海豹肢症の子どもを持つ母親の病歴、薬歴を徹底して調査し、おそらく妊娠中に服薬したサリドマイドが原因と結論付けた。そして、1961年11月、グリュネンタール社の製造開発責任者に奇形児とサリドマイドの関係について説明し、製造販売中止を申し出る(いわゆるLenz警告)。グリュネンタール社は最初抵抗していたものの、同年11月27日、西ドイツでの販売中止に踏み切り、妊婦が同薬を使用しなくなって奇形児は生まれなくなった。
サリドマイドによる先天性障害(サリドマイド胎芽症、以下サ症)は日本、台湾、英国や他のヨーロッパ諸国などでも認められていたが、1961年末までに英国や北欧諸国ではサリドマイドの販売が中止された。同年11月17日、UPIがサリドマイドの重大な問題をニュースとしてわが国にも配信したが、日本では製品回収が遅れ、実質的に1963年半ばにやっと回収が終了したと言われている(図1)。つまり、レンツ警告の後、未然に防げたはずの被害者が数多く生まれることとなった。ちなみに、米国では1960年9月、ウイリアム・メレル社からサリドマイド剤の発売申請が行われたが、アメリカ食品医薬品局(FDA) 新薬部門医務官Frances O. Kelseyが末梢神経炎の副作用が報告されていたことより疑念を抱いて申請を受理せず、結果的に米国ではサ症の子どもは生まれなかった。

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