最後の浮世絵師 月岡芳年の魅力 武田 信巳(西京) 第7幅  PDF

「念願の東京自慢十二ヶ月」を揃える過程
辛抱と揃えた時の喜び

明治13(1880)年に出版された「東京自慢十二ヶ月」は芳年の浮世絵画作の中でも決してかなり珍しくて高価なものではなかったものの、絵師が立ち寄って丁寧に制作されると聞く初摺り揃物の200枚(いわゆる一杯)については慶応4(1868)年7月17日江戸府が東京府になった際にも江戸の人々は絵草紙屋や地本問屋の恐らく発売日の朝、店頭に買い求めたと思われる。では江戸時代の浮世絵の値段は当時の貨幣価値でいくらだったかと言うと20文前後、現在の金額に換算すると数百円から千円ぐらいだったとされている。蕎麦1杯が16文程だったので版元が企画を立て絵師が絵を描き、彫師が版木を掘り、摺師が和紙に摺るなどの手間を考えると決してそんなに高くはなかったと思われる。
では本作について述べるとある意味、江戸時代を郷愁して各月に応じた四季折々の東京名所の花々や行事などと人気の芸妓を併せた絵(ブロマイド否、今風に言うとアイドルフォトショットか?)でバックには当時の風俗も微細に描き込まれている。詳しく観ると号は全て大蘇芳年で、一月は「初卯妙義詣・柳橋はま」、二月は「梅やしき・新橋てい」、三月は「吉原の櫻・尾州樓長尾」、四月は「亀戸の藤・柳橋小つゆ」、五月は「堀切の菖蒲・大坂町(現・人形町)たん子」、六月は「入谷の朝兒(顔)・新橋福助」、七月は「廊の燈篭・仲之街小とみ」、八月は「廿六夜・品川嶋濤・染園」、九月は「千駄木の菊・根津八幡樓小櫻」、十月は「滝ノ川の紅葉・日本橋八重」、十一月は「酉のまち・日本橋小三」、十二月は「浅草市・新橋くめ」が描かれている(全図)。豊かで色彩技巧を凝らした全12図は恐らく、初摺りで彫師・摺師は片田彫長と記されている。出版元は明治中期から大正時代に活躍した伊勢屋と称し、彫画営業組合長も務めた地本問屋の井上茂兵衛で、きっと敏腕プロデューサーだったのだろう。この言わば麗人十二傑蒐集には約10年を要したが、貧乏コレクターの小生から言わせてもらえば、浮世絵に限らず一揃え蒐集にはアンテナを張りつつ何しろ出合いを待ち須く辛抱が肝心で、牛歩ながら兀々と歩みを止めないでおくと憧れの方はきっと待ってくれていて喜びを齎してくれるハズである。

(全図は芳年のみ)
一月は「初卯妙義詣・柳橋はま」
二月は「梅やしき・新橋てい」
三月は「吉原の櫻・尾州樓長尾」
四月は「亀戸の藤・柳橋小つゆ」
五月は「堀切の菖蒲・大坂町(現・人形町)たん子」
六月は「入谷の朝兒(顔)・新橋福助」
七月は「廓の燈篭・仲之街小とみ」
八月は「廿六夜・品川嶋濤・染園」
九月は「千駄木の菊・根津八幡樓小櫻」
十月は「滝ノ川の紅葉・日本橋八重」
十一月は「酉のまち・日本橋小三」
十二月は「浅草市・新橋くめ」

出所 国立国会図書館デジタルコレクション 月岡芳年『東京自慢十二ヶ月』(出版者:井上茂兵衛、出版年:1880年)

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