歴史の改竄はなぜ許されないか
報道を見ていて物足りなかったのは、では彼は沖縄について、どんな歴史認識を持っているのか、積極的に語らせるに至らなかったことだ。
自民党の西田昌司・参院議員が5月、沖縄のひめゆりの塔の展示に関して「日本軍がどんどん入ってきてひめゆり隊が死ぬことになり、アメリカが入ってきて沖縄が解放されたという文脈で書いてある。歴史を書き換えるとこういうことになってしまう」などと発言。強い批判を浴び、謝罪と撤回に追い込まれた。
他者が主張していないことを主張したかのように言って攻撃する「わら人形論法」の一種。左翼憎しの妄想的な発言で論拠がないから、持ちこたえられなかったのだろう。
取材陣は、撤回するかどうか問うだけでなく、西田氏自身の考えをもっと引き出し、忠実に照らしてもらいたい。相当におかしな歴史理解が根底にあるのではないか。
1945年3〜6月の沖縄戦のポイントは二つだろう。
第1に、本土防衛の時間を稼ぐ「捨て石」にされたこと。日本の敗色が濃くなり、2月には元首相の近衛文麿が戦争終結を求める意見を上げたのに、昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないと」と否定。沖縄での徹底抗戦は、すさまじい艦砲射撃の雨と悲惨な地上戦を招いた。
第2に、日本軍の多くが軍の都合を優先し、住民を守らなかったばかりか、洞窟や地下壕から追い出したり、集団自決に追い込んだり、スパイ容疑で殺害したりしたこと。
それでも米軍に解放されたと受け止めた住民は、ほとんどいないだろう。米軍は多くの土地を強制収用し、27年間、占領統治を続けた。基地が広大な面積を占拠し、米兵の犯罪が後を絶たない状況は、現在も続いている。
踏みつけにされてきた痛みをまるで理解していないから、あんな発言ができる。
さかのぼると、琉球は独自の歴史を持ち、統一王朝は450年にわたった。後半は薩摩の属国だったとはいえ、清にも朝貢しており、欧米諸国との条約も結んだ。
その琉球を明治政府が一方的に併合して日本の領土に組み込んだのが1879年の琉球処分。北海道開拓と並び、日本の領土・植民地拡大の第一歩だったとも言える。
日本だけが悪いと言いたいわけではない。どんな国でも民族でも、力による征服、人道に反する行為、不正義、ずるい行動は、よくない。
欧州の強国は中南米、アジア、アフリカ、大洋州の多くを侵略・植民地支配した。
米国も、先住民の土地収奪、黒人奴隷制、ハワイ侵略、日本への無差別空襲、原爆投下、イラク侵攻などをしてきた。
旧ソ連のスターリンの暴虐やシベリア抑留も、中国のウイグル・チベット・香港民主派への弾圧も、かつての韓国の軍事政権も、北朝鮮の恐怖政治も、問題である。
人間の痛みと苦しみを心に刻み、繰り返させないために、歴史の勝手な書き換えを許すわけにはいかない。
大国のトップに力ずく、好き放題の人物が目立つだけに、物を言おう。自国か他国か、敵か味方かという発想ではなく、地球市民の目線で。