輪行:サイクリング公共交通機関を使ってサイクリングを始める所まで自転車を持って移動する事(広辞苑第七版)
兵庫県を輪行散歩
スケッチは神戸と姫路で、輪行の途中に描いたものです。兵庫県に5年間ほど単身赴任をしていたのですが、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生しました。ドドーっと天地が唸り、まるで痙攣のような揺れに襲われました。社会保険神戸中央病院の機能はかろうじて保たれましたが、産婦人科医の私はしばらく病院から離れられなくなりました。住む家や出産場所を失った妊婦が北区に殺到して来たのです。ただ3週間ほど経過すると少し落ち着きました。JRが芦屋駅まで通じたので、無沙汰の大阪の自宅に一時帰宅しました。病院から芦屋まで自転車。自転車を畳んで高槻まで電車です。当時の輪行ノートの抜き書きをいたします。
「2月10日(金)15時、鈴蘭台を自転車で出発。有馬街道を下り中央区に出ると、見慣れた街が災害の光景。あちこちで家屋が倒壊。おびただしい駐車と人の動き。自衛隊の装甲車も連なっている。道は所々でひび割れている」
「三宮のビル群は大きく傾いたり崩れたり。すでに巨大な工作機が並んで復旧作動中。東門街は無残。駅前にはバスを待つ果てしなく長い行列。お洒落な神戸の人がくすんで見える。あのJR阪急阪神の頻発電車の代わりがバスだけ」
「自転車だからと路地を抜け道しようとしても無理。至る所が倒壊で行き止まり。傾いた家屋が路上にのしかかっている場所もある。高架線を見上げると脱線電車がそのまま。国道だけが確実に大阪に進める道。しかし車が大渋滞。歩道も人が溢れて民族移動の様相。自転車は押して前進」
「灘区、東灘区、今回の最激震地区に入る。コンクリートの家屋以外は、ほとんどが潰れているようにさえ見える。おびただしい民家の数。あの未明の時刻にはどの家にも家族が寝ていて、人のいなかった家はなかっただろうに。この柱や梁の折り重なり方はどうだ。あの時ここにいて、生き残る自信は全くありません。尋ね人の張り紙多数」(2月10日の読売新聞による死者数5296人)
「芦屋市に着いた。早い冬の日が暮れてきた。たちまち被災地は町も道も真っ暗。芦屋駅舎に近づき、電車の音にホッとする。駅から洩れる明かりを頼りに自転車を畳み袋に入れる」
「電車内は温かい。淀川鉄橋を渡ると大阪。窓外にネオンが輝き、地震など別世界」
題の絵・挿絵も筆者
神戸港中突堤にて
七五三参りの子に出会う。
姫路市松原八幡神社にて