福祉国家構想研究会 対抗軸を探る 10 佛教大学教授 岡ア 祐司  PDF

基礎控除+所得控除=103万円の引き上げは
「手取りを増やす」切り札か?

 先の総選挙で「1995年からの最低賃金の上昇率1・73倍に基づき、基礎控除等の合計を103万円から178万円に引き上げる」と公約した国民民主党が28に議席を伸ばし、にわかに「年収の壁」がクローズアップされている。
 総選挙直後から3党(自民、公明、国民)の協議が始まったが、衆議院での政府の補正予算の成立に向けた3党合意の妥協点(12月12日現在)は、「年収103万円の壁」を2025年から引き上げ178万円を目指す、特定扶養控除(大学生などの子どもに関する親の扶養控除)は130万円から引き上げるというものだった(補正予算案には維新の会も賛成)。
 果たして、この3党合意で苦しい家計は救われるのか、「年収の壁」による働き控えは解消されるのか、そして多くの人が貧困から脱却できるのか。
 「年収の壁」と言っても、性質の違ういくつかの壁がある。
 @103万円、所得課税の基準―基礎控除48万円+給与所得控除の最低額55万円=103万円。基礎控除は年収2400万円から段階的に減り、2500万円で0円。
 A106万円、社会保険料の壁1―従業員51人以上の会社、週所定労働時間20時間以上、年収106万円(月額賃金8万8千円以上)、雇用期間2カ月超、学生ではない―以上の場合、厚生年金+健康保険の社会保険料負担が始まる。月1万2500円程度。
 B130万円、社会保険料の壁2―第3号被保険者になる被扶養配偶者の認定基準の上限。適用事業所(常時50人以上雇用)で雇用されている場合、年金の第2号被保険者、健康保険に加入する。
 つまり、@は個人の課税最低限の問題であり、AとBは社会保険制度に加入できるかどうかの問題である。
 これにからむのが所得税の配偶者控除、配偶者特別控除である。事実上、配偶者控除の壁は年収150万円である。
 子どもの扶養控除では、0歳から15歳までの年少扶養控除は2022年度に廃止され、16歳から18歳の一般扶養控除は高校の学費実質無償化を理由に、22年度に25万円縮減され38万円になり、特定扶養控除(18歳から22歳)は63万円である。子の年収が上がると親の扶養控除から外れてしまう。
 所得税の応能負担、生計費非課税という民主的税制の原則に立てば、どう考えても年間48万円の基礎控除は低過ぎる。ただし、基礎控除+所得控除の引き上げは、所得の低い層よりも高い層に「手取り増」の効果が大きい。大和総研の試算「課税最低限『103万円の壁』引上げによる家計と財政への影響試算(第2版)―『基礎控除引上げ+給与所得控除上限引下げ案』を検証」(2024年11月8日」)によると、課税最低限を現行から75万円引き上げた場合(単身もしくは配偶者控除の適用のない共働き・16歳未満の子どもの世帯で試算)、基礎控除のみの引き上げで、年収200万円で8万2千円、300万円で11万3千円、800万円で22万8千円、1千万円で22万8千円の手取り増、基礎控除と給与所得控除の引き上げの場合、年収200万円で8万2千円、300万円で5万3千円、800万円で10万7千円、1千万円で10万6千円である。
 仮に基礎控除+所得控除を若干引き上げたとしても、物価高騰が続き、毎日負担する消費税負担の額も重く、高等教育の学費値上げ、家賃引き上げ、交通費引き上げ、医療や介護の実質的負担が高くなる現在の状況では苦しい家計の改善は望めない。
 したがってより切実に求められるのは賃上げ、それも中小企業支援、医療・福祉業界への実効的な支援策を含んだ賃上げ政策の実行であり、消費税率5%への減税である。
 一方で、現役世代に不満が大きく、「働き控え」の要因になっているのは、重い社会保険料負担である。なぜ社会保険料負担を避け、働くことを控えなければならないのか。貧困、家計の逼迫のため、社会保険料負担に耐えられない、やむなく収入を抑制する作戦を取らざるを得ないのである。背景にあるのは貧困なのである。
 社会保険財政を本当の意味での、「社会」保険財政に切り替えていく必要がある。保険原理を社会原理で修正するのが社会保険である。社会原理とは人権・生活保障の目的達成を重視し、国家負担、大企業負担と労働者の保険料の三者拠出で財政をつくり、労働者の生活を破壊しない程度にまで保険料負担を抑制するという意味である。
 自営業、フリーランス、業務請負など不安定な働き方の人は高い国民健康保険料(税)の負担に生活を圧迫されている。年収の壁だけが問題なのではない。社会保険料の構造―標準報酬月額の設定、保険料率の見直し、32級以上の高所得者の保険料設定が検討されるべきであり、保険料負担で貧困にならないシステムが必要である。国の財政負担と大企業の社会保障負担の拡大、国民への生活保障機能を射程に入れた政策の検討がなければ「手取り増」にすら到達しないのではないか。
 男片働き+専業主婦の男性優位家族モデルの税制と社会保険制度を見直し、個人の生活保障を基本に改革すべきである。特定扶養控除を引き上げるより、返済免除の給付型奨学金の充実、現在も奨学金の返済に追われている人への返済免除の制度をつくり、学費無償化に向けた積極的な教育政策に踏み込むべきである。
 課税最低限の引き上げは必要と考えるが、「手取り増」に効果的なのは税額控除の方であろう。政策目的―貧困の解消、生きる見通しの条件づくり、個人の尊重―を明確にしなければ、民主的な税制と所得再分配政策は実現しない。

公開研究会2024 動画配信中

2024年9月21日に開催した「能登半島地震の現場から問う! 復旧・生活再建をめぐる対抗軸―蔑ろにされる被災者の命と暮らし―」を福祉国家構想研究会ホームページで公開しています。
過去の公開講座の動画もご覧いただけます。

●岸田政権の「新しい資本主義」をどうみるか
― 社会保障、少子化対策の動向にも踏み込んで―
●コロナ禍の労働市場と労働運動
― 非正規・貧困・ジェンダー平等の視点から―

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