福祉国家構想研究会 対抗軸を探る 9 京都橘大学教授 岡田 知弘  PDF

能登半島地震の復旧・復興めぐる対抗軸
優先すべきは憲法に基づく人間の復興

 その国の福祉の真の水準は、大災害時に顕著に表れる。本年元日に発災した能登半島地震直後における奥能登の避難所と、4月の台湾花蓮地震直後の避難所を見ただけでも彼我の差は明らかである。日本の場合は、阪神・淡路大震災前の水準まで押し戻されたとの指摘もある。
 能登半島地震の死亡者数は9月3日時点で337人に達し、うち関連死が110人となっており、その数は今後も増える見込みである。数千年に一度の直下型地震に伴う振動と津波が起こり、珠洲市で全世帯の7割、輪島市で6割の住家が全壊および半壊の被害を受けた。死亡原因の多くが圧死や窒息死であったが、震災関連死は劣悪な避難状況の中での凍死や病死が多く、こちらは人災と言っていいだろう。
 初動体制が遅れたのは正月や道路の寸断といった要因だけでは説明できない。石川県が道路の啓開計画を立てていなかっただけでなく、市町村合併政策によって公務員の数が市町で3割以上減少しているほか、県の土木職員も4分の1近く減少していたことも大きい。小泉純一郎内閣以降の新自由主義的構造改革が災害への対応力を弱めているのである。
 8月に被災地を調査したが、依然として瓦礫の処理が進捗せず、公費解体も3割で着工している程度であった。仮設住宅の建設は進んでいるものの、当初8月末完了だったものが、10月末にずれ込むという。したがって避難所は年内まで置く必要があるが、馳知事は9月に入って避難所は原則9月末に解消すると表明した。8月に「所得が低い人が避難所に滞留する傾向にある」と、避難者蔑視の発言をし、ひんしゅくを買ったばかりであったのに。
 私は、災害への対応、復興にあたっては、日本国憲法が基本に置かれなければならないと考えている。これは、東日本大震災の際に、住民の健康被害と生活復興のために命を賭して国と東京電力を相手に闘った福島県浪江町長の馬場有氏(故人)から学んだことである。
 馬場町長は、とりわけ第13条の幸福追求権、第25条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、そして第29条にある財産権が重要であるとしたが、その視点から見るならば、被災8カ月後の能登半島被災地は違憲状態にあると言える。
 なぜ、このような悲惨な事態が放置されたままなのか。私は、国や県の姿勢が決定的に問題だと考えている。政府サイドからは、発災直後から「復興よりも移住促進」「選択と集中で中心都市に移住を」というキャンペーンがなされ、4月の財政制度等審議会の分科会では、今後の復旧・復興にあたっては、財政コストを念頭に集約的なまちづくりを行うべきだという報告までまとめた。ある被災自治体の復興担当者にヒアリングしたところ、現に復旧・復興に関わる補助率が従来よりも削減されており、とても厳しい状況にあるという。
 また、復旧の前提になる公費解体は、被災者の罹災証明等の申請を必要とする。だが、国と県がいち早く二次避難所への避難を指示し、多くの住民が県内外の宿泊施設にバラバラに移動した。そこでも、北陸新幹線の敦賀延伸に伴う観光客招致のために半ば強制的に他所への移動を要請された。移動先は全て自己責任で決めることになっており、被災地自治体は避難者の移動先を把握できず、被災者は公費解体の申請もできない状態となった。
 さらに、公費解体には、壊れた自宅等から重要な品物を取り出すボランティアの力が必要であるが、この一般ボランティアの受け入れについては当初、道路事情が悪く県が制限した。しかし、交通事情が改善した8月段階においても、県が窓口を一本化して管理、規制しており、現地ではまったく足りていない状況が現在も続いているのである。
 石川県は復旧・復興本部会議を設置し、「創造的復興プラン」を策定する作業を開始し、6月に決定した。2月の会議の際に馳知事が「創造的復興」策として強調したのは、奥能登4病院を再編統合した能登空港病院構想であった。さらに3月の会議では「災害と国防の一体化」を掲げ、自衛隊の輪島駐屯地や能登空港の国防機能強化を示唆する発言をあえて知事は行っている。さすがに反発も強く、6月策定の最終プランでは、マイルドな表現になっているが、本音は隠しようがないと言える。これでは棄民政策である。
 しかも、これらは馳知事が独自に考案したわけではない。上記会議体の構成メンバーは国からの派遣組やすでに石川県の部長級ポストに出向していた国の官僚が多数を占め、復興プランにはマイナンバーカードの活用や遠隔診療、病院統廃合といった各省庁が推進したいメニューが並んでいるのである。現場の医療・福祉関係者や患者、そして被災者の現状や要望とかけ離れた惨事便乗型の復興プランだと言える。そこには被災者や被災地の生活全体をどのように復旧・復興するのかという展望は示されていないし、危険な状態となった志賀原発の廃炉についても一切語られていない。
 さらに復興計画づくりの会議体には、被災住民の代表である市町長は入っていない、まさにトップダウン的な仕組みである。ちょうど国による地方自治体への補充的指示権を認める地方自治法改正が強行された時期のことであり、被災地でその先取りがなされていると言える。
 現場の実情を見ない復旧、復興策は、被災地の地域社会の再生、被災者の生活再建にはつながらないことは、これまでの災害復興の歴史が示している。今後、首都直下地震や南海トラフ地震が確実視される中で、財政的な理由と居住地の差異をもって人の命に差別を持ち込むことは、決して許されることではない。ましてや軍事費を最優先し、被災地の復興予算を削減して良しとすることは憲法の理念とは真っ向から対立する。憲法に基づく「人間の復興」こそが、いま求められている道である。

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