診察室の必需品 診療机に鎮座する木製の印鑑入れ  PDF

 還暦を大幅に過ぎてから開業したので、開業してまだ13年半。過日、めでたく? 後期高齢者の仲間に入れさせてもらった。同級生はすでに開業して30〜35年という方が大半で、店仕舞いしたり閉院の準備に余念のない方も多いようだ。私も最近は専門分野の症例が少なくなり、開業の曲がり角かなと思うことも増えてきたが、婦人科専門ということもあり、なおしつこく婦人科診療を続けている。
 私の診療机にはデスクトップのパソコンの左側に木製の印鑑入れ二つと右側にも斜めに傾いた木製の印鑑入れが鎮座して、中に入っている印鑑が私から取り上げられるのを待っている。それにしても医療DXの時代に今時印鑑を使う医師がまだ現役で働いている(今の仕事の内容が現役であればの話だが)のを想像できないだろう。最近は使用する印鑑が増え過ぎたからなのか、私の視力が落ちたからなのか、なかなか目指す印鑑を取り出せなくなってきた。呼んだら印鑑入れから飛び出してくれたらいいのにと思うこの頃である。
 私も高齢になり、近くの総合病院のさまざまな診療科にお世話になることが増えてきたが、診ていただく先生方は当然のごとく私より若く、その日の診療録や処方をキーボードから電子カルテに打ち込んでいく。
 私も実は勤務医の後半の辺で電子カルテ必須の病院に勤めたことがあったが、ボールペンを使えないのが何とも歯がゆく嫌で嫌でたまらなかった思い出がある。やはり私としては書くことで記憶に定着(むろん、定着しないこともあるが)する確率が増える。キーをタッチして電子カルテに記入したところで海馬を刺激しないようだ。一方、むろん若い世代は逆に紙カルテにボールペンで記入したことすらないだろうが。さらに大事なところには紅べに色の赤鉛筆でアンダーラインを強く引く楽しい作業も残っている。ちなみに、この紅色の赤鉛筆を探すのが現代では至難の業なのだが。見つけたら買い占めておかなければいけない(笑)。
 というわけで、私の診察机周囲には天然記念物だらけなのである。印鑑入れに格納されている印鑑には検査、処置、ホルモン剤が多いのだが厄介なのは漢方薬だ。とにかく文字数が多く、結果として印鑑のサイズが小さく同じような名前のものもあり間違えやすい。それから印肉も重要なグッズだ。印鑑の文字の隙間に印肉が挟み込まれ、押した印鑑の文字が不明瞭になってくる。したがって、それなりに不定期に印鑑のクリーニングが必要であるが、糸ようじやアルコールを含ませたティッシュで拭って文字を鮮明にする。まさにこの作業は印鑑供養とも呼んでおきたい。
 今度6月に恒例の近畿産科婦人科学会の春季大会が奈良で実施されるので新しい印鑑入れ(印鑑立てとも言うらしい)を新調したい。近鉄であれJRであれ奈良駅に降り立ったところ、墨や墨汁の匂いに包まれるので印鑑入れも独創的なものがあるのではと期待しているのだ。
阿部 純(宇治久世)
あべ じゅん

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