残暑お見舞い申し上げます 2024年 夏  京都府保険医協会 役員・事務局一同  PDF

在宅診療 ―忘れられない患者
中嶋 弥恵(宇治久世)

 Fさんはまじめな人だった。いつも白いワイシャツで猪首に紐ネクタイだった。本人いわくネクタイだと先生が診察しづらい、しかしノーネクタイだと無礼と勘案結果の服装とのこと。定年まで警察官。名前を呼ばれて入室するとピッタリ足を揃え、「本日はよろしくお願い申し上げます」と80度でお礼をして座る。出室の時は「ありがとうございました」と80度でお礼をして去って行った。
 初めて会ってから2カ月後、末期肺がんが見つかりFさんは在宅療養となった。ご自宅玄関にはFさんらしい爽やかな檸檬の日本画が飾られていた。SpO2 80台となっているにもかかわらず、私が往診するとベッドからよろよろ立ち上がりピッタリ足を揃え、「本日はよろしくお願い申し上げます。こんなところまでお呼び立ていたしまして恐縮です」と80度でお礼をして…ふらふら直立であった。いよいよ命が危うくなって、往診するといつもあいさつしようと体をよじり、それでも立ち上がれず最終的に「申し訳ない。ごあいさつも満足にできず」と心のこもったお詫びの言葉から診察が始まった。静かに亡くなられた時はただ視界が滲み、残された奥さまのお世話をきちんとしようと思った。
 Oさんは末期アルツハイマーで寝たきり。旦那さまの献身的介護のおかげで何度も亡くなりそうになっては助かることを繰り返していた。最期の時、東京から駆けつけた娘さんやお孫さんに見守られてOさんは旅立たれた。
 訪問看護師から亡くなられましたと電話が入り、20分後に私がお宅に到着。私と旦那さまは度重なる訪問診療の中で何度も治療方針を話し合い関係は良好だった(と私は思っていた)上、亡くなるべくして亡くなった症例のため、私は聴診器とペンライトを取り出し、いつものように在宅看取りの死亡確認を行った。
 「ご永眠されました」
 その言葉を告げた時、旦那さまはひどく驚いてそして怒気を帯びた調子で「えぇ !亡くなったんですか!」と仰った。そして短い沈黙の後、「そうですか…やえ先生がそうおっしゃるんなら…分かりました…」と男泣きに泣き始めた。その時、初めて妻の死を自覚したご様子だった。その時、いやいや!! 亡くなっとるに決まってるでしょ!! 看護師さんもそう言ってたでしょ! 家族一同そう思ってたでしょ!! という私の心の叫びは置いておいて、死亡確認ってポーズでやるものじゃないんだ…そんな大事なものだったんだ…そしてアタシのことをそんなに信頼してたんや…とあの日、自分の仕事の責任の重さを思い知った。

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