A おもてなしの精神
お客さまは神様か
清少納言の随筆「枕草子」は、「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる」で始まる。この「山ぎは」は東山連峰のこと。若き日の清少納言は、宮中から見る東山での春の夜明けにときめいた。
文豪・川端康成は下鴨に家を借り、生活しながら長編小説「古都」を著した。文章の端々には、移ろいゆく季節の美しさが散りばめられている。小説「古都」には、京都の四季を愛してやまない康成の思いが凝縮されている。
春の朝、東山連峰の山ぎわにたなびく雲には、今なお清少納言のセンチメンタリズムが漂い、京都の街角に訪れる四季には今でも康成の思いが息づく。あでやかに四季が移ろう豊かな自然に囲まれた京都の街には、歴史、文化、文学の香りがする。遠い過去からずっと蓄積されたこれらの精神的、学問的、あるいは芸術的ともいえる無形の価値は、美しい景観とともに京都の魅力の本質であり、他の都市にはなく、京都だけが持つブランドである。ブランドは質の良さ、格調の高さ、唯一無二の存在に対して与えられる呼称であり、決して誰彼構わずやみくもに安売りされるようなものではない。しかし、安売りされ、安物を求める人込みでごった返す時、京都の街から文学の香りは消え失せる。
我が国に根付いている「おもてなし」の精神。2013年9月に開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会でフリーアナウンサーが日本の「おもてなし」をアピールし、東京開催を訴えたシーンは印象深い。
「もてなし」という言葉は平安時代の源氏物語にも登場する日本独自の概念であり、互いを大切に思い、良い時を過ごすという意味が込められている。しかし近年、過剰なおもてなし合戦の結果、客を神様のように扱ってきたことにより、顧客が理不尽な要求を突き付けるカスタマーハラスメントが横行するようになった。古き良き伝統であるはずの「おもてなし」の精神。そのあり方は曲がり角を迎えようとしている。いまや「お客さまは神様」とは限らない。
多くの地域住民は観光客を献身的に歓迎したいと願っている。しかし一方だけが犠牲や我慢を強いられるような状況において、人々の心の中から素直な「おもてなし」の気持ちが湧いてこなかったとしても、それはとがめられるべきことではなく、むしろ人間として自然な感情であろう。観光産業が健全であるためには観光客と住民との関係が互恵的でなければならない。観光客の喜びは、地域住民の喜びと感謝があってこそである。
前回までの要約
コロナ禍が収束し、オーバーツーリズムが再び問題になっている。京都の価値を認識し、最大限発揮することが重要。