万が一の時にそなえて!医療訴訟の基礎知識 VOL 13 元裁判官が解説します  PDF

元大阪高等裁判所
部総括判事・弁護士
大島 眞一

集団検診時の肺がんの見落とし
裁判所の判断とは

1 はじめに
 事業者は労働者に対し年1回健康診断を受けさせる義務、労働者は受ける義務があります(労働安全衛生法66条、同規則44条)。
 検査項目のうち、診断結果をめぐってトラブルになりやすいのが胸部X線検査です。
 職場や学校の定期健康診断では、場合によっては鮮明度が低くロールフィルムに何百枚と巻かれたX線写真を、コマ送りにして短時間のうちに読影しなければならないこともあるようで、正確な読影は困難なことが少なくないといわれています。他方、受診者としては「異常なし」との診断結果であれば安心し、精密検査などの診療を受ける機会を失い、何か異常があってもすぐに病院を受診しない問題があることが指摘されています。
2 最高裁判決
 集団検診に関する最高裁判例としては、昭和57年4月1日判決(民集36巻4号519頁)があります。国家公務員の定期健康診断(胸部 線検査)における肺結核の見落としが争点となり、患者が国を被告として訴えました。
 広島高等裁判所岡山支部は医師の過失を認定し、患者の請求を一部認めたことから、国が最高裁判所に上告しました。
 最高裁は、医師の診療行為は公権力の行使に当たらないとして、国家賠償法1条1項による責任を認めた右記判決を破棄して差し戻しましたが、胸部 線検査での見落とし自体についての判断は示しませんでした。
 ただし、判決文中のカッコ書きで「多数者に対して集団的に行われるレントゲン検診における若干の過誤をもって直ちに対象者に対する担当医師の不法行為の成立を認めるべきかどうかには問題があるが、この点はしばらく措(お)く」との判示がされており、集団検診では医師に求める医療水準が通常の診察よりも下がるかのような判断が示されています。
 この最高裁判決以外に集団検診について判示した最高裁判例はありません。
 なお、差し戻された広島高裁岡山支部は、昭和59年10月30日、患者が肺結核に罹患していたと疑うべき陰影はあったが、健康診断が公権力の行使に当たらないとして原告の請求を棄却しています。
3 集団検診の特殊性
 集団検診は受診者に関する情報が全くない状態で実施されますから、すでに一定の情報を得た上で画像診断を行う通常の診療と異なることは明らかです。
 問題となるのは、例えば、集団検診で慎重に読影すれば肺がんを見つけられたと思われるのに、それを見落とした場合、過失があるといえるかという点です。病院を受診した時には肺がん末期の手遅れの状態で、それ以前に受けた集団検診のX線画像を精査したところ、その頃にすでに肺がんの所見があった場合が紛争になりやすいケースです。
4 地方裁判所判決
 集団検診では担当医師が短時間に大量の画像を見る必要があり、検査結果の精度には限界があるといわれています。
 名古屋地方裁判所平成21年1月30日判決(判例タイムズ1304号262頁)は、2時間弱で700枚あまりの写真を読影していた事案です。通常1時間で200枚程度が限界とされているようですので、相当多い枚数だったことは確かです。
 患者側と病院側から複数の医師の意見書が提出されており、「肺尖部のかくれんぼ肺がん」であり、健康診断のスクリーニングでは指摘は困難で見落としに該当しないという意見書や、「肺尖部のかくれんぼ肺がん」との考え方には疑問があり、一般臨床医であっても胸部単純X線写真を見慣れていれば、異常陰影を指摘することは困難でないという意見書などが提出されました。
 他に、大学病院の呼吸器内科の医局に所属し胸部X線写真の読影経験のある5人の医師に、同じ条件で読影してもらったところ、3人は要精密検査とし、2人は要精密検査としなかったとの実験結果も報告されました。
 名古屋地方裁判所は、異常ありとして指摘すべきかどうかの判断が異なり得るとして、医師の過失を認めず、請求を棄却しました。
5 二つの見解
 医師の話を聞くと、もともと集団検診は一定のスクリーニング機能しかなく、安い費用で実施しているのであるから、ある程度見落としがあってもやむを得ず、低コストのまま高い医療水準を求めるのは無理な注文であると述べる人が多いように思います。
 他方、患者の立場からすると、異常がないかを知るために定期健康診断を受けているのに、「個別の検査であれば慎重に読影するので異常を発見できたが、集団検診だから、ある程度異常を発見できなくとも仕方がない」というのであれば、何のために定期健康診断を受けているのかという反論が出てきます。
 また、実際の訴訟の場面で難しいのは、事後的に当時患者が肺がんであったことが分かってから、過去のX線画像を評価する点です。その評価の際には、当該患者が肺がんであったとの前提で事後的に分析することになりますので、専門家であっても先入観が入り込む余地がありますから、当該診断を行った状況下で判断するとどうだったかを検討する必要があります(上記名古屋地裁判決は、そのために実験結果が提出されたものと考えられます)。
6 まとめ
 いかに考えるかは、集団検診精度の在り方や要するコストとも関係しますので難しい問題です。
 集団検診は身体の異常を疑わせる兆候がないかを把握するためのもので、精密検査の必要性をスクリーニングするためのものです。そうしますと、検診時の読影の誤りは通常の診察での読影の誤りとは異なることは確かです。
 裁判においては、集団検診であるため受診者に関する情報が全くなく、かつ、画像を比較的短時間で読影せざるを得ない状況を前提として、見落としが過失といえるかを判断することになると考えられます。つまり、健康診断の意義を没却しない程度の診断精度が保たれるよう、担当医に求められる義務の水準を設定する必要があると思います。

過去の連載は
保険医協会のホームページで
ご覧いただけます。
https://healthnet.jp
VOL 1 医療訴訟の概要と特徴
VOL 2 過失の判断基準
VOL 3 説明義務
VOL 4 因果関係
VOL 5 応招義務
など

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